【スピンオフ】サイド攻撃は瞬間移動の如く
◇◇
大森珈琲店で仕事の合間の一休み。これ自体は僕の極めて平凡な日常の行動の一つだ。いつの様にカウンター席に座り、汐入が入れた珈琲で一息つく。
僕、能見鷹士は個人事業主としてコンサルタントを生業としている。元は大手シンクタンクで働いていたが、ブラックな企業風土に嫌気がさし、三十路が見え始めた28歳で退職。一念発起し、中小企業に特化した地域密着のビジネスコンサルタントとして起業した。B級グルメ、クラフトビール、映えスポットやパワースポットの開拓、アニメとのコラボや聖地巡礼のツアー、プロモ動画、SNSの活用など、商店街復興、地域活性化の為にあらゆる企画を地域の人と一緒に伴走するのがモットーだ。
そして珈琲を淹れてくれたのは汐入悠希。亡き父親の残した探偵事務所を継いでいるが、仕事のない時は大森珈琲でバイトをしている。つまりほとんどの日は大森珈琲にいる。
実を言うと汐入とは中学時代の同級生なのだが、当時はあまり親しくはなかった。女子剣道部にいたかな、ぐらいのうっすらした記憶しかない。高校は別だったが通学の電車が同じだったので話すようになり、それから親しくなった。所謂、腐れ縁ってやつだ。
今日は珍しく梅屋敷さんがやって来た。
「いらっしゃいませ、あ、梅屋敷さん!」
と店長の大森さんが挨拶をする。
「元気そうだな、大森。ホットコーヒーを頼む」
と梅屋敷さんは大森さんにオーダーをしながら僕の隣のカウンター席に腰掛ける。
「よう、能見。汐入と少し話をさせてくれ。汐入、ちょっと邪魔するぜ。」
と梅屋敷さんは、僕と汐入を交互に見て声をかける。
「もちろん!僕に許可を取る必要なんてありませんよ。特に話し中でもないですし」
「ああ、梅屋敷、ワタシは全く問題ないぞ」
と僕と汐入は同時に答える。
汐入がぞんざいな口の聞き方をしているけど、梅屋敷さんはひとつ上の先輩だ。高校時代に知り合った。それ以来の付き合いなのだが、最近までどんな仕事をしているのか、僕も汐入も知らなかった。実は刑事だったなんて、それを知ったときは僕も汐入も驚いた!あの時、梅屋敷さんのお陰で僕と汐入は修羅場から生還できた。もう感謝しかない。あの一連の出来事で大けがを負った梅屋敷さんが無事に回復したようで嬉しい限りだ。あ、この話はまた別の機会に譲ろう。
ちなみに、大森珈琲の店長の大森さんは梅屋敷さんの同級生だ。
梅屋敷さんは汐入から渡されたウエットティッシュで手、次いでおでこを拭きながら話しを続ける。
「表立っては相談しにくいことなんだが。捜査上の秘密とやらでな・・・。お礼はちゃんとする。俺のポケットマネーで」
「ああ。どの財布から出ようがワタシは全く構わない。こちらも秘密は守る。安心して話してくれ」
と汐入が応じる。
秘密は守る、とか言っているが、僕が聞いているこの状況はいいのだろうか?
大森さんは「梅屋敷さん、ホットのブレンド。どうぞ」と珈琲を持ってきたが、無関心を装いすぐにカウンターの奥に戻ってしまった。とは言え、大森さんにも聞こえてるよな、梅屋敷さんの話し。などと、僕が心配しても仕方のないことを考えている間にも会話は進んでいる。
「この間、ちょっとした盗難事件があってな。ホシは分かっている。ほぼ間違いなくそいつの仕業なんだが、最後の詰めでこちらの隙につけ込まれた」
「ふむ。どういうことか詳しく聞こうじゃないか」
僕も聞き耳を立てて(というほど離れていない。梅屋敷さんは僕のすぐ隣で話しているのだ)、成り行きを見守る。
「そうだな、ホシの名前を仮に星田としよう。1週間前、ちょうどサッカーの日本代表の試合があった日だ、星田はその日、あるお宅に盗みに入った。Aさん宅とでも呼んでおこう。星田がAさん宅で盗難を実行したのはものの数分。あっという間だった。手際の良さから常習犯だと思う。多分ほかにも余罪はあるだろう」
「ふむ。それで?」
「詳しくは話さないが、いろいろな観点からホシは星田で間違いないと踏んでいる。だが、裏取りである問題が発生した」
「問題、とは?」
僕も興味津々だ。汐入の的確な質問によしよしと心の中で相槌を打つ。
「聞き込みなどから星田の行動を時系列で整理すると、ほぼ同時刻に異なる場所で行動をしていることになってしまった」
「同時刻に異なる場所で行動?ドッペルゲンガーでもいるのか?それともテレポテーションか!?」
探偵という職業とは到底思えない、理論性からかけ離れた言葉が飛び出す。だが、梅屋敷さんは表情を変えず続ける。
「どちらもあり得ないが、聞き込みの証言から時刻を推定するとそうなってしまう。証言に間違いがない、と仮定するなら、瞬間移動でもしないと矛盾が生じる。だから困っている」
おお!なんという展開!ドラマなら、実に興味深い、みたいな台詞が飛び出しそうな出来事だ!これは梅屋敷さんの話しを聞き終わるまで僕は仕事に戻れないぞ!梅屋敷さんが隣で僕のことを特に気にせず話しをしているという、この状況に波風立てることなく、しっかりと最後まで聞いてしまおう!僕も秘密は守ります、梅屋敷さん!と心の中で誓約書にサインをする。
「ふむ。実に興味深いな」
あ、ベタに言うんだ、汐入・・・。
若干、僕が引いていることは全く気にせず汐入が続ける。
「時系列を詳しく教えてくれ」
「ああ、もちろん。それが今日の相談で一番大事なところだ」
と言って梅屋敷さんは一枚のメモを見せる。
メモには上下に二つの時系列のパターンがある。「上段が俺たちが考えている時系列だ」
そこには19時27分アパートを出る、19時30分犯行完了、19時31分アパートに戻る、と書き込んである。
「まずは犯行時刻を19時30分と仮置きしよう。星田のアパートからAさん宅は自転車や原付で1分程度。どんなに素早く犯行に及んでも盗難に2分はかかるだろう。そしてアパートに帰ってくるのにさらに1分程度。つまり19時27分頃にはアパートを出て、30分頃犯行を完了し31分頃アパートに帰ってくる、という時系列にならないと犯行は成り立たない」
「ふむ。なるほどな」
「そして下段が聞き込みの情報から作成した時系列だ」
そこには19時30分の部分に「星田がアパートを出る」「Aさん宅で犯行に及ぶ」「星田がアパートに戻る」と書き込まれている。
「これでは星田が犯行可能とする俺たちの考えに矛盾する」
「うむ。だが、ホシは星田で間違いないんだろ?」
「ああ、間違いない。間違いないのだが・・・取り調べに当たった若い奴がうっかり口を滑らせた。星田に、どうやって19時30分にアパートを出て同時刻に犯行をして同時刻に帰って来れたのか?って質問しやがった・・・。相手は常習犯の手練れだ。こちらに綻びがあると察知し、途端に畳み掛けてきた。それは自分には犯行は不可能ってことじゃないんですか、刑事さん、って」
梅屋敷さんは苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべる。
汐入は、やれやれ、と口を歪め肩をすくめる。
「理屈はわかるが数分のズレがそんなに重要か?証言した人達が答えた時刻だって19時半頃、とかぼんやりしてるんじゃないのか?」
「それがそうではないことが問題なんだ。時刻の推定自体は実にシンプルだ。現場周辺に聞き込みをした結果、Aさん宅の物音や星田のアパートの出入りなど、全てが‘’日本代表が点を取った時だ‘’という証言となった」
「つまり―――そんなに皆、代表の試合を観ていたのか!?」
いや、汐入、そこじゃないだろ!と心の中で全力でツッコむ!梅屋敷さんは動じず冷静に言葉を継ぐ。
「代表の試合は19時キックオフだった。そして日本代表が点を取ったのが前半30分。19時30分だ。試合は1-0で日本の勝利。その時間以外には点は入っていない」
「そーゆーことか!確かにその証言なら数分ものズレは生まれないだろうな。今の話だけで判断すると同時刻にすべての事象が発生したと考えられるな!実に興味深い!」
また言うのだね、汐入よ。実は気に入っている?それとも梅屋敷さんをいじっている?
「でも待てよ。アパートを出るのと入るのとは区別できるのか?」
「詳しく話すと、星田のアパートの出入りについては、星田の部屋の左右の住人に話を聞いた。右隣りはRさん、左隣はLさんとしよう。Rさんは足音とカギを開ける音、ドアを開閉した音をこの順に聞いたといった。だからこれは帰ってきた際の物音だろうと判断した。出たことには気が付いていない、あるいは覚えていないとのことだ。一方、Lさんは逆だ。ドアを閉めた音に次いでカギをかける音を聞いた。足音には言及していない。アパートの廊下を歩いて出口に向かう際にはLさんの部屋の前は通らないからだろうな。Rさんの証言を鑑みるとLさんの証言は出掛ける時の物音だろう」
「で、時刻の裏付けとしては二人とも、点を取った時だ、と言ったということか?」
「ああ、そういうことだ。彼らの言葉通りに言うならば、Rさんは、日本のゴールが決まった時だった、と言いLさんは、久保田ケフサ選手がシュートを決めた時だった、と言った」
「ふむ。で、Aさん宅近隣はなんと?」
「ああ。物音がしたのは点が入る頃だったかな、と言っていた」
「なるほどな。表現は違えど、確かに日本代表が点を取ったという同じ事象を表しているように思えるな・・・。うーむー・・・」
と言い、汐入はしばし考え込む。
「ふむ。ところで久保田選手はハーフなのか?イケメンか?」
「ん?ああ、そこ大事なのか?母親が日本人で父親が中米の血筋らしい。なかなかのイケメンだ」
「いや、全く大事ではない。ワタシの予想通りイケメンなんだな、ヨシ!」
ヨシ!って?なにが?しばしば汐入の思考は理解できない。
「梅屋敷、少し時間をくれ。明日、何かしら見解を述べよう。それでいいか?」
「明日だな。よし、いいだろう。汐入、期待しているぞ!瞬間移動の謎を解いてくれ!」
と言って梅屋敷さんは大森珈琲店を出て行った。
◇◇
さて、僕もそろそろ仕事に戻るか、と席から立ち上がったその時、
「能見、今夜付き合え。貴様は確か、何かスポーツ系の有料チャンネルに加入していたな」
と汐入が話しかけてきた。
「え?入っているけど、それが何か?」
「一緒に代表の試合を見よう!久保田選手のご尊顔を拝みたい」
「はぁ・・・。まぁいいけど。多分アーカイブ配信でまだ見れると思う。じゃ、夜、家に来てくれ」
「では19時前には貴様の事務所に行く。19時ちょうどから見てみよう!」
仕方ない。確かに梅屋敷さんの話しは興味深い。汐入の謎解きに協力するのも悪くないだろう。
「了解した。じゃあ、待っている」
18時50分頃、汐入が来た。テレビの前に二人で座り、スポーツチャンネルのアーカイブから例の代表戦を再生する。
「なぁ、能見、簡単にルールを確認したいのだが、サッカーはボールがゴールに入れば得点なんだな?」
「ああ、言わずもがなだ。それだけ知っていれば充分だ!」
「ファール何回かでポイントとか、ロングシュートなら3点とかは、ないんだな?」
「くどい!サッカーの得点はゴールのみ、一つのゴールにつき一点だ!見るぞ!」
「わかった。では、シュートがゴールに入るところをしっかり見る」
国歌斉唱で俄然気分が盛り上がる!19時ちょうどと言うわけにはいかなかったがほぼ19時に合わせ試合が始まった。
結果が1ー0で終わるだけはあり、なかなか引き締まった試合だ。双方、プレスが厳しく攻守の切り替えが早い。
汐入はどれが久保田だ?おお!ケフサはこれか?確かになかなか良い男だな、などと試合はそっちのけで選手をウォッチしている。
試合開始から20数分。そろそろ点が生まれる頃だ。
相手のクロスが日本のゴール前に入る。ゴール前の激しい競り合いに勝ち何とか日本がクリアする。クリアされたボールはセンターサークル付近に落下し、再び競り合いとなる。ヘディングで競ったボールはルーズボールとなり、相手側のコートに流れる。ここでボールを保持できてばチャンスだ!
日本の右サイドに流れワンバウンドしたボールに久保田選手と相手ディフェンダーが寄せる。一瞬早くボールに寄せた久保田選手は、バウンドし宙に浮いているボールを右肩で上手く前に弾き出し一気に加速してディフェンスを置き去りにする!
そのままサイドを縦に突き進んだ久保田選手は二人目のディフェンスと対峙する。右足インサイドで切り返し中に切り込む、と思いきや瞬時に左足で前方にボールをコントロールし、瞬間移動の如く縦に突破し二人目も置き去りにする!
そしてそこから中央に切り込み放ったシュートはニアサイドの僅かな隙間からゴールに吸い込まれた!
結果を知っているにも関わらず、ウォォー!ナイス!ケフサ!!と叫び、汐入とハイタッチをする!
が、しかし!
「あれ?能見、これどーゆーこと?」
と汐入が怪訝な顔をするので僕は向き直ってテレビを見る。
「あっ、これは・・・」
◇◇
翌日、僕は大森珈琲店で汐入と、梅屋敷さんの来店を待っている。
「おっ、梅屋敷、来たか」
「おう。瞬間移動の謎は解けたか、汐入」
とカウンターに腰掛け汐入に答える。
「ああ。謎は解けたぞ。ところで、梅屋敷。日本代表の試合はしっかり見たか?」
汐入は梅屋敷さんの為に豆を挽きながら話しを続ける。
「ん?事件の時の試合か?いや、見てない。色々あってそれどろこではなかった」
「ふふっ、そうか。詰めが甘いぞ!梅屋敷!聞き込みの証言の裏どりをしっかりしないとな!」
汐入は得意気に言葉を続ける。
「なあ、梅屋敷、もう一度、聞き込みの証言を確認させてくれ。まずは星田がアパートを出る時と思われるLさんだ。何と言った?」
「Lさんか?Lさんは、久保田ケフサ選手がシュートを決めた時だった、と言っていた」
「ふむ。良いだろう」
挽いた豆をフィルターに入れゆっくりとお湯を注ぎながら汐入が頷く。
「では次にAさん宅近隣の人は何と言った?」
「ああ、それは、点が入る頃、だったな」
ゆっくりと褐色の液体が滴となりドリップされる。
「うむ。最後だ。Rさんは?」
「日本のゴールが決まった時だった、と言っていたな」
「なるほど。よし、ワタシのオリジナルブレンドだ。味わってくれ」
と梅屋敷さんに珈琲カップを差し出す。ああ、頂くとしよう、と梅屋敷が珈琲を口に含む。
「改めて聞くと、この三人は実に正確に表現しているな!この証言に全く矛盾はない!」
「なんだって!どう言う事だ?汐入!皆、得点が入った時を指しているだろう?」
「違うんだな、それが。梅屋敷、しっかりと試合は見たほうがいいぞ。この得点においては、シュートを決めてから得点になるまでタイムラグがあったんだよ!」
「えっ?あ、もしかして・・・」
僕が説明を補足する。
「そうなんです、梅屋敷さん!昨日、この試合のアーカイブ配信を見ました。久保田選手がシュートを決めたのですが、その前のプレーに疑義があってVARの確認が入っていたんです!非常に難しいプレーで久保田選手のトラップが右肩か右腕か、つまりハンドの反則になるかどうか、かなり時間をかけて判定が行われたんです!」
「そうだったのか!?だからシュートを決めた時、点が入る頃、ゴールが決まった時、なのか!!確かにシュートがゴールに入る、判定中、得点と判定される、とそれぞれの事象を言い表していると考えれば矛盾はないな!」
梅屋敷さんは合点がいった、という様に僕らの謎解きに同意してくれる。
「ああ、そう言う事だ!梅屋敷」
「わかった!汐入、ありがとう!恩に着るぞ!」
「ああ。礼は弾んでくれ!久保田選手の試合に招待で手を打とう!待っているぞ!」
久保田選手は今シーズン終了後、欧州に移籍だ。今ならまだ国内リーグで見れる。梅屋敷さん、危なかったね〜!
「おっ、おう。サッカーリーグのチケットだな。よし、ペアで手配してやる!能見と行ってこい!」
えっ!僕?
「いや、梅屋敷さん、僕の分はいいですよ!」
「口止め料だ!折角だから一緒にいってこい!」
汐入をチラッと見る。特に何も言わず成り行きを見ているようだ。わかりました。ここは素直に頂きます。
「梅屋敷さん、ありがとうございます!」
久保田選手の瞬間移動の如きサイドの突破、楽しみだ!
(終わり)