この世の本質は無駄なのか?
無駄のなかに、生はある
昼下がり。自室。天井をぼーっと見上げていたら、不安が襲ってきた。
時間は流れている。でも、自分だけが取り残されているような気がした。
通っているのは通信制高校。誰かと顔を合わせる機会は少ない。だから、ひとりで考える時間だけはやたらと多い。
ふと思う。
生って、そもそも無駄なんじゃないか?
だって、何をするにも「生きている」ことが前提になる。
死んでしまえば、もう感じられないし、考えられないし、何もできない。
つまり、生きているからこそ、ようやく何かができる。
この世界は全部、生っていう見えない土台の上に乗っかってる。
生がなければ、僕も、あなたも、なにも始まらない。
そう思った瞬間、ふっと息を呑んだ。
すべての行動が、見えない大きな力に支配されている気がした。
自由に動いているようで、気づけば決められたレールの上を歩かされてる。
そんな、ぞわっとする感覚。
「生」は大地みたいに僕たちを支えてくれる。
けど同時に、こんな問いを投げてくる。
「なぜ生きているのか?」
「何のために生きているのか?」
……答えなんて、ない。
考えれば考えるほど、頭の中がもやでいっぱいになる。
固いはずの地面が、ぐにゃぐにゃに歪んで見えてくる。
僕はいま、何の上に立ってるんだ?
これは本当に「地面」って呼べるものなのか?
それに、人間ってやたら「理由」をほしがる。
食べる理由。歩く理由。話す理由。
どんな小さな行動にも、意味をつけたがる。
でも、よくよく掘っていくと、全部の理由が「生きるため」に行き着く。
たとえば「食べる」。それは快楽かもしれない。でも本質的には、生きるため。体を維持するため。
そこに気づいたとき、ふっと笑ってしまった。
めちゃくちゃ合理的に生きてるのに、「なぜ生きてるのか」だけが分からない。
笑うしかないじゃん。
いや、笑いというより、ため息か。ちょっとだけ、苦いやつ。
――じゃあ、なぜ僕たちは「生きるために生きる」の?
それって、自分の足で歩きながら、「なんで歩いてるの?」って聞くようなもんだ。
目的が目的を求め、答えがまた別の答えを引っぱってくる。
終わらない。これはもう哲学の迷宮だ。
息が詰まりそうになる。
出口が見えない。
汗が、背中をつーっと伝う。
迷宮に入ったまま、戻れなくなる気がした。
それでも問いは消えない。
そして気づく。
「生きるために何かをする」って前提そのものが、めちゃくちゃ曖昧だ。
じゃあ、なぜ生きる?
答えは……出ない。
たぶん、どこにもない。
だとしたら、生を前提にした行動も、もしかして全部、根っこは「意味なし」なんじゃないか?
その想像だけで、虚無に突き落とされた気分になる。
喉が渇く。でも、何も飲みたくない。
ただ、時間だけが静かに流れていく。
「意味がない」――それは、ただの言葉じゃない。
心の奥に沈む、重たい石だ。
前に、一度だけそんな気持ちをSNSに書いた。
誰にも反応されず、流れていった。
でも、それでよかったのかもしれない。
誰にも届かない場所でこぼれる言葉も、きっとある。
人生は迷路だ。
そのゴールが、意味のない闇だったら?
それでも人は歩き続ける。
……なぜ?
それはもう、意思じゃないのかも。
生きることが本能?
それとも、「止まり方」を知らないだけ?
もし、生きることの「無駄」を全部そぎ落としたらどうなる?
残るのは――死。
生きることをやめる。それが最も効率的で、無駄のない選択。
なんとも皮肉な話だ。
でも、本当にそれでいいのか?
それって逃げじゃないのか?
無意味さに絶望して選ぶ「終わり」。
それは納得できる答えなのか?
じゃあ、なぜ人は死なずに、今もこうして生きているのか?
その問いだけは、どうしても心に残る。
僕は何度も立ち止まる。
振り返る。歩く。また立ち止まる。
それだけの毎日だ。
人は本当に「意味がある」と信じて生きているのか?
それとも、意味も理由もないまま、「なんとなく」で生きているのか?
いや、もしかしたら。
無意味を、どこかで「楽しんで」るのかもしれない。
無駄を受け入れ、小さな意味を見つけながら、笑ったり泣いたりしてるのかもしれない。
そんな人の姿を思い浮かべると、不思議と胸があたたかくなる。
バカバカしい。だけど、なんか……美しい。
「無意味を楽しむ」。それは反抗だ。
この世界に意味がないなら、自分だけの意味をつくってやる。
無駄だと知っていても、生きようとする。
その矛盾こそが、生の真実なんだと思う。
そして、二つの姿が浮かび上がる。
ひとつは、生の無駄を断じて、手放した人たち。
もうひとつは、無駄を抱きしめながら、なおも生きる人たち。
後者こそが、今を生きてる人間だ。
小さな意味を、毎日コツコツ積み上げている。
希望でも、慰めでもいい。
そこには、確かに「生」がある。
最後に、こう言おう。
生は、無駄だ。
でもその無駄を抱えて、笑い、泣き、考えること。
それが人間の「生」だ。
この世界の、本当の姿だ。
無駄のなかにある、このささやかな生の光。
それを、僕は見つめ続けたい。
たとえ儚くても。
たとえ誰にも届かなくても。
今ここにいるという実感だけは、信じていたいのだ。