世界が理不尽なら、ルールに従う俺たちがバグだと思った
チート能力を与えられた者は、“バグ”と見なされて処理される世界。
感情を抑制された先輩と、
その装置の“誤作動”をきっかけに、正しさを問われることになった新人処理官。
静かな管理社会で、感情と倫理の境界に揺れる短編です。
感情を取り戻したあの日、彼女の瞳が光を取り戻した。
その意味を、俺はまだ理解していなかった。
「監視は思いやり、介入は慈悲である」
皮肉でも冗談でもない。それが俺たちの標語だった。
世界には、ときどき現れる。
《理不尽な力 (チート)》を手に入れ、英雄気取りで世界を壊していくやつら。
俺たちは、そいつらを“バグ”と呼ぶ。
そして、処理する
今も、そのひとりを追っていた。
瓦礫の向こうで、怒鳴り声が響く。
焦げた鉄と血の匂いが入り混じって、息が詰まりそうだった。
「ソウマ、チート持ちの勇者だ、早く追え!」
仲間の声に振り返ると
——そこにいた。
勇者。
まだ少年の面影を残す顔。泣きそうな目。
「……くそっ、俺は、選ばれた勇者なんだ……!」
右手が動いた。その瞬間、何かが光った。
防具か、装置か——判別はつかない。だが、迷っている暇はなかった。
(選ばれた勇者、ね……きっと、誰かに認めてほしかったんだろう。
特別でありたくて、チートに手を出し、そして間違えた。)
でも——俺の任務は、“正常化”だ。
迷うな。引け。それが“正しさ”だろ?
指が動く。
銃声が響いた。
少年の体が、崩れ落ちる。
その時口元が動いた気がする、助けて……と。
その瞬間、ソウマは、思わず息を止めていた。
硝煙のせいか、あるいは、それ以外か。
わからなかった。
***
任務が終わったあとも、どこか胸の奥がざわついていた。
装備を返却しても、戦闘服を脱いでも、それは消えなかった。
(……何かが、引っかかる)
感情を押し殺した顔。
機械みたいな足音。
いつも通りのはずなのに、今日は少しだけ――違って見えた。
「……ソウマくん」
控えめな声が、背後から届いた。
振り返ると、そこにセリが立っていた。
現場経験の長い先輩。あまり多くを語らない人。
けど、目を見ればわかる——その奥に、傷つくことを恐れたやさしさがあった。
「任務、おつかれさま」
「……はい。セリさんも、おつかれさまでした」
ふいに、胸がざらつく。
「……さっきの任務なんですけど」
彼女は黙って頷いた。
「撃ったあと、少しだけ、変な感じがして……息が詰まりました。
それだけなんですけど」
自分でも理由はわからなかった。ただ、誰かに言わなきゃいけない気がした。
彼女はすぐには答えなかった。
でも、なぜか不思議と、拒まれてる気はしなかった。
「……うん、そういうの、あるよ。
……終わったのに、何かが残ってる感じ」
その言葉に、張りつめていたものが、ほんの少しだけほどけた気がした。
「今でもたまにある。……なくなったら逆に、怖いかもね」
彼女の目線が、そっと自分の右腕へ落ちる。
指が金属の輪をなぞる。
それはきっと無意識で――けれど、それだけに、目を逸らせなかった。
「……それって、特別な支給品ですか?」
「うん。感情を抑えて集中力をあげるものだって説明された
昔、ちょっとだけ……自分をうまく保てなくなったことがあってね。」
彼女は、指先で装置をとん、と軽く叩いた。
「これ、“コントロールくん”って呼んでるんだ。……変だよね?」
「……変じゃないです。
でも……自分の気持ちなのに、どこか他人事みたいに感じたりしませんか?」
彼女は一瞬だけ目を伏せた。
「……あるかも。たまに、笑おうとしても“ちょっと遠く”から
声が返ってくるみたいな感じがして」
「遠く……ですか」
彼女は右腕に軽く触れた。
「……だから、これがなかったら、どう感じるんだろうって、
ふと思うときはあるの。ちょっと変だけど」
彼女は少し目を伏せて、笑うように息を吐いた。
「……たぶんね。ほんとは、誰かに話したくて仕方ないだけなのかもしれない」
ソウマは、少し意外そうな顔をした。
「話すの……好きなんですか?」
彼女は小さく笑って、右腕に触れた。
「昔はね。……でも、この仕事してると、そんなの忘れるから」
一拍置いて、ぽつりと続けた。
「今日、声をかけたのも……ちょっと、変だったかもね」
少し視線を落として、それからセリは尋ねた
「……うまく笑えてた?」
「はい。声かけてくれて、ありがとうございました」
その言葉を口にした瞬間、自分でも少し驚いた。
この職場で、“ありがとう”を使う機会なんて、ほとんどない。
けれどその言葉に、セリはわずかに反応を見せた。
「……ふふ。めずらしいね、そういうの」
「変でしたか?」
「ううん。悪くないと思う」
***
帰還途中、拠点本部の裏道を歩いていると、セリがふと立ち止まった。
「……あれ?」
「どうかしましたか?」
彼女は足を止めたまま、空を見上げていた。
眉をひそめるでもなく、ただ、何かを確かめるような目で。
「うん。……変な話だけど、いま風の匂いとか、足元の感覚とか……
なんか、ぜんぶが急に届いた、みたいな……」
彼女の言葉は、どこか迷子みたいだった。
でもその表情は、明らかに今までと違っていた。
「……コントロールくんの調子、悪いのかもしれないな」
右腕の金属リングを、セリがぽん、と軽く叩いた。
その仕草が、少しだけ親しみを帯びて見えた。
「もしかして……一瞬だけ、止まってたとか?」
「たぶんね。でも、それが……」
彼女は言葉を切ったあと、ゆっくり続けた。
「ちょっと変だけど、すごくよかったの。
なんていうか……生きてる、って感じがして。……おかしいよね」
風に揺れる髪を押さえながら、セリはうっすらと笑った。
それは、今まで見たことのない種類の笑顔だった。
セリの横顔が、淡い光に照らされていた。
その目は、少し潤んでいた。
瞳に光が戻ったような、そんな気がした。
(……こんなふうに笑う人だったんだ)
任務中の彼女とは別の人のようで、不意に心がざわつく。
(なんだろう、この感じ……)
でも、それを認めるには、何かを手放す必要があるような気がして――
だから、まだ名前をつけることができなかった。
「たぶんね、ほんとは、外したいと思ってたのかもしれない。
でも、そんなこと考えちゃいけない気がして、ずっと黙ってたの」
セリは右腕をそっとなぞる。
「うん。怖いよ。装置がないと、また自分が壊れる気がして。でも……」
セリがゆっくりと振り返る。
「……ねえ、ソウマくん。
うまく言えないけど……今少しだけ、自分の気持ちを見つけた気がする」
その言葉に、ソウマは何も返さなかった。
ただ、空を見上げる彼女の横顔を、そっと見ていた。
見つめながら、なぜ自分が黙っているのかが、少しわかった気がした。
***
本拠点に戻ると、いつもの手順で報告処理に入った。
提出用の画面を開くと、ひとつだけ見慣れないファイルがあった。
(……こんなの、入ってたか?)
ファイル名は無機質な英数字の羅列。
迷った末、ソウマは再生をクリックした。
画面が切り替わる。
真っ白な部屋。中央に透明な装置。
その前で、少年のような青年が、はしゃいでいた。
「えっ、マジで? チート能力くれるんすか?
やっぱ俺、選ばれし勇者なんですね〜!」
無邪気な笑顔。
その脇には、女神を模したホログラムのような存在が浮かんでいる。
装置からアームが伸び、彼の右腕に
——あの金属の輪を、装着した。
(あれは……勇者に“チート”を与えるための装置……?)
ソウマの中で、知らなかった“事実”がひとつ、音を立てて崩れた。
勇者は、生まれつきそういう存在じゃなかったのか。
与えられた力で、動かされていた?
……その瞬間、青年の笑顔が止まった。
青年の目から光が消え、頬が引きつる。
喜びとも苦しみともつかない表情で、ゆっくりと笑っていた。
続く映像では、そのまま無表情のまま、そばにいた別の人物を殴り倒す姿が映っていた。
言葉も、迷いもない。ただ、機械のような動きだった。
ソウマの心臓が跳ねた。
その腕輪はセリの右腕についていた、金属の腕輪。
それと──まったく同じだった。
映像が暗転し、“記録終了”の文字だけが浮かび上がる。
ソウマは、椅子に座ったまま硬直していた。
(装置をつけられた時の、あの“無表情”。あれは、もしかして……)
セリがつけていたものも、“あれ”なのか?
あの装置が、彼女の感情を制御していた?
もしそうなら——
今までの言葉も、笑顔も、“操作されたもの”だったとしたら……?
でも、俺は知っている。
感情を抑え、痛みを飲み込んで、それでも任務に向かっていたあの姿。
あの笑顔は“装置が外れたから出た”んじゃない。
あの笑顔は、抑制されながら、抗いながら、
それでも残っていた何かが、ほんのわずかに零れたものだった
だけど、それでも──セリが、何かに“操作されていた”としたら。
でも、どう伝えればいい?
「その装置、勇者と同じです」――なんて言葉は
あまりに残酷だ。
***
その夜、ソウマは仮設宿舎でセリに声をかけた。
「……セリさん、少しだけ、いいですか」
「うん。どうしたの?」
セリはベッドに座ったまま、顔だけこちらに向ける。
声をかける寸前で、足が止まった。
たった一言が、やけに重たく感じる。
「報告映像の中に、変なものが混じっていて……
勇者が、ある装置をつけられて……
それが、セリさんの装置と、同じに見えて……」
言いながら、自分の声が震えているのがわかった。
「言うのが……怖かったんです。
でも、セリさんにだけは、黙ってたくなかった」
セリはしばらく黙ってから、小さく頷いた。
「……うん。怖かったんだね。
それでも、ちゃんと伝えてくれて……うれしい」
その優しさに、胸が痛んだ。
「……怖さは、まだ消えてないの。
でも、それ以上に、ちゃんと向き合ってみたいって思った」
その目が、ソウマを見つめた。
「……ソウマくん」
「はい」
「もし……私が“これ”を外したいって言ったら」
セリの手が、そっとソウマの袖をつまんだ。
「君が……外してくれる?」
問いは、静かだった。
でもその奥には、恐れと決意が滲んでいた。
自分にしか言えないことを、今、言ってくれている。
ソウマは、答えを探す間もなく、ただ言葉を返した。
「……はい。俺が、外します」
セリの目が見開かれ、そして、ゆっくりと緩んだ。
「……ありがとう」
その瞬間、彼女がその装置とともに生きていた時間の重さに、
少し触れた気がした。
***
──パチン。
小さな音が、世界の輪郭を変えた。
ソウマの指が、セリの右腕から“それ”──感情抑制装置を外した瞬間だった。
空気が変わる。
呼吸の密度すら変わったように感じた。
セリの目が、音もなく、深く、開かれていく。
「……世界が、ちゃんと見える」
震える声だった。けれど、それは恐怖でも苦痛でもなかった。
初めて雪を知った子どものような、純粋な感嘆。
風が草をわずかに揺らしていた。それに気づくまで、少し時間がかかった
「ありがとう……こんなに、心があったかいの、初めて」
セリは一歩、ソウマに近づいた。
鼓動が伝わる。手が重なる。触れた手の感覚が、言葉より先に伝わってくる
その動きの一つひとつが、ゆっくりと確かだった。
「ソウマくんの声……こんなに優しかったんだね」
もう一歩だけ、彼女が近づく。
ソウマを見上げるその目に、迷いと決意が揺れていた。
「……あのね、私……ずっと言いたかったことがあるの」
その瞬間だった。
ドクン。
……脈動。異常な強さで。
空気が、ねじれたように思えた。
「……っ……ああ、……なに……これ……」
セリの声に、震えが混じった。
両手が頭を抱え、指が自分の髪を握り潰すように食い込む。
「やだ……何かが、溢れてくる……止まらない……っ……!」
頬に涙が流れる。
次いで、嗚咽。
そして、叫び。
「怖い……こわい……怖かった、ずっと……!
泣きたかった……助けてって、言いたかった……
でも、ずっと、言えなかった……!」
声が裏返る。
泣きながら、彼女は震えていた。
「……私……あのときの声……思い出した……!
夜の怒鳴り声……息を殺して震えてた朝……
ずっと、忘れてたのに……全部、押し込めてたのに……!」
——音のない過去が、静かに裂けた気がした。
その目が、焦点を結ばない。
過去と痛みが、洪水のように溢れ、彼女を押し流していく。
「やだ……やだ……やだっ……!
助けて……ソウマくん……やだ……私……いなくなる……
私の中で何か暴れてる……消えちゃう……」
その瞬間、彼女の身体が反応した。
銃を手に取る。
反射。防衛。衝動。
駆け寄る装甲兵が、警戒の声を上げた。
だが、遅い。
鋭く、湿った音。
装甲兵の体が裂け、倒れ、空気だけが残った。
声が届く前に、すべてが終わっていた。
セリの頬を涙が伝っていた。
でもその腕は、迷いも痛みもないまま、引き金を引いていた。
笑っているようにさえ見えた。
けれど、それはもう――彼女じゃなかった。
「ねえ、ソウマくん! わたし、いま、ほんとうに生きてるの!
感じてるの! 痛くて、怖くて、でも、やっと……“私”でいられるの!」
その言葉は、哀しみでも歓喜でもない。
彼女の悲痛な叫びは、祈りのようだった。
セリとソウマの視線が交差する。
その目には、狂気と恐怖、そして──微かな、願いが滲んでいた。
——撃て。
セリの目が、そう言っているように見えた。
ソウマの指が動いた。
銃声。沈黙。重力に従って、セリの体が、地面へと膝を落とした。
風はまだあった。でも、何も感じなかった。
まるで、自分だけが世界から切り離されたみたいに。
セリの瞳は、狂気も衝動もなかった。
ただ、静かだった。
「ソウマくん……」
指先が、ソウマの袖を必死に掴もうとする。
それは、初めて心を開いたあの夜と、同じ動きだった。
「……あのね……」
唇が震えた。
けれど、もう言葉にはならなかった。
ひとつ、息が漏れて——
セリは、動かなくなった
***
数日後、帰還報告会が行われた。
整列する隊員たちの前で、管理者が事務的に報告を読み上げる。
「センチネル・セリ。任務中、精神統制を喪失し、死亡。
肉体をもとに再生体を生成。」
スクリーンに映し出された映像。
そこにいたのは、セリに“少しだけ”似た存在だった。
髪の色が薄い。
瞳の奥に光がない。
雰囲気も、声も違う
それは、セリをベースに作られた精神的にも物質的にも異なる存在だった。
映像の中の“彼女”は、まばたきもせず、ただ立っていた。
そこにはもう、伝えかけの言葉の続きはなかった。
管理者はスクリーンを見もしないまま、言葉を続けた。
「……彼女は“精神が弱かった”、だから死んだ。以上」
会場は静かだった。
誰も驚かず、誰も抗議せず。
その言葉は、当然の処理結果として受け止められた。
ソウマは、拳を握った。
手が震えていた。
「……“精神が弱かった”だと?」
思わず口の中で呟いたその言葉に、自分でもぞっとする。
違う。そんなはずがない。言いかけて、喉がつかえる。
セリの顔が浮かんだ。
装置を外そうと言ったあのとき、笑っていた。
泣きそうな目で、「ありがとう」と言って――
俺が外したんだ。
俺が外して……、壊した。
ソウマの拳に、力がこもる。爪が皮膚に食い込んで、じわりと血が滲んだ。
「“精神が弱かったから死んだ”……?」
誰よりも苦しんで、自分を抑えてた人間が、弱いって言われるのか。
感情を削って、恐怖も痛みも飲み込んで、最後の最後で、ようやく笑って。
それで、「壊れたから仕方ない」って?
(なら……何が正しかった?)
装置をつけて、言われた通り動いて、心を失って、
それでも「強かった」って言われるのが、正しいのか?
セリは間違ってたのか?
自分を取り戻そうとした、その一歩が、“弱さ”だったのか?
(——違う)
絶対に違う。
だからこそ、思った。
この世界の“正しさ”を――いつか、必ずひっくり返してやる。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
「正しさ」「感情」「管理」をテーマにした物語でした。
もし何か少しでも、引っかかるものがあったら嬉しいです。
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