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魔女と足なし姫  作者: Y.Itoda
エピローグ
63/63

ep.62

 目の前には、淡く光る木があった。

 深い森の奥にひっそりと。


「ここは?」


 ミアの視線の先に立つ一本の大樹。

 辺りに茂る大きな木々の隙間から届く陽の光はわずかだった。昼間なのに薄暗く、星明かりのような青白い明かりが広がっていた。


「きれい……」


 息をするように言葉が出た。

 枝の先に咲くのは、淡く光る白い花。風に揺れるたびに、花弁(はなびら)が柔らかに舞い、それはまるで、空から降る雪のように足元を化粧した。


「以前、話をした場所です。ミア様がルフェルナの花を見せてくれた時に」

 ミアは「ああ」と、ひとつ記憶の糸を手繰るように頷いた。

「名は、淡雪(あわゆき)です」


 これがアワの好きな花。母親が好きだったと言っていた。

 何となく、その残り香がこの場所に残っている、そんな気がした。

 ふたりは手を繋いだまま、そっと木の下に座った。

 頭上からひらひらと花弁が落ちてくる。

 花の香り。葉擦れの音。そして、光の粒たちが舞っていた。

 小さな羽音。やがて、ひとつ、またひとつ、木の根元へと光を放つ虫が集まってきた。


「……ヒサラです」


 アワの声が耳を喜ばせた。


「この花の光に誘われて、やって来きます」


 ヒサラの腹が淡く黄色に光っている。


「アワが言っていた通りね」


 目の前を、その虫が横切ると、光の粒が残像のように残った。


「たくさん集まると、星が咲いたみたいに見えるわ」


 アワの指先が少しだけ震えていた。側で触れていると、彼の心音が伝わってきた。

 アワは見上げている。降り積もる花弁を、ただじっと。そこに、誰かの面影を重ねるように。

 ミアは気づいてしまう。

 彼が今、見ているのは——亡き母だった。

 淡雪の下に舞う光の粒。そのひとつひとつが、過去の時間を照らし出す。

 アワの記憶が、静かに解ける。

 母、レイナは——

 氷の魔女の呪いにかかっていた。

 それは自身がいち早く気づいていた。彼女は水の魔力を宿した水の巫女(みこ)だった。

 エリディオの王家には、魔女の呪いのことは(ふる)くより密かに語り継がれていた。それ故にレイナは王宮を去った。深い森の奥でひっそりと余生を送ることを選んだ。

 それを、まだ幼かったふたりの息子は、遠くから見送るしかなかった。

 王の命だった。会うことは禁ずる。

 それでも——ベルナールは、何度もこっそり会いに行った。兄のベクトールは陰ながら知っていたのだが。

 花の話をした。夜空の話もした。

 ふたりきりで交わした言葉は、数え切れなかった。

 呪いは氷が崩れ、その粒子によって伝染する。レイナは、それを誰よりも知っていた。

 だが——

 その日は、訪れた。

 自ら動けなくなったレイナを、ベルナールは腕に抱えて連れてきた。

 花弁が降り積もる、この淡雪の下へ。

 レイナは、穏やかに笑っていた。

 そして、最後にこう言った。


「……もう、いいのよ。行きなさい、ベルナール。遠くへ。もう、時間がないのよ」


 けれど、彼は首を横に振った。

 何度も、何度も。


「……嫌だ」


 レイナの顔が強張(こわば)って、目に涙を溜めた。


「お願い、行って。……死んでしまうのよ、あなたまで……!」


 ベルナールも泣いていた。


 (まぶた)も頬も濡らしながら、それでも、動かなかった。


「……行かない。ぼくは、行かない」


 声が震えていた。

 肩を抱きしめるその手が、細かく揺れていた。


「どうして……どうしてなの……」


 レイナは震える声で呟いた。そして、最後に目を閉じて、声にした。


「ごめんなさい。……こんな母で」


 ベルナールは、声を上げて泣いた。嗚咽(おえつ)しながら泣きじゃくった。


「でも……ありがとう」


 レイナの唇が、そうわずかに動いた。

 懸命に伸ばしたその手は、彼の頬に触れることなく——氷は、崩れ落ちた。


「ほら! 湿っぽいのは、やめましょう」


 アワの声が風のように耳に届いた。

 伸ばされた指がミアの頬を撫でる。伝っていた涙の筋を、優しくなぞるように拭った。


「きっと、母もそれを望んでいません」


 その時、ちょっとだけ笑った。

 あの、変わらぬ笑顔で。

 それでも、ミアは言葉を呑んだ。何も言えなかった。ただ、胸が詰まる。


「ぼくは……あなたのおかげで、今こうして生きてます」


 アワは、自分の胸に手を当てた。

 そう——母親の氷の粒子を吸ったアワは、呪われていたのだ。その心臓を。

 しかも、魔女と対峙しながら自らの命がもう短いことを悟っていた。

 ミアはそのことが悲しかった。

 もし、それをもっと早く知っていれば、もう少しばかりは、まともな言葉をかけることができたかもしれない。

 アワには支えられてばかりだった。

 そんな嘆いてばかりの様子を見かねたのか、ミアの隣にふわりと影が落ちた。


「……ベル?」


 ベルは静かに歩み寄り、ミアの横に座る。手に触れた鼻を、ミアはそっと撫でた。


「ありがとう、ベル」


 その姿に、アワは目を丸くした。


「えっ……ペガサスを手懐けたんですか?」


 ミアはふふんと鼻を鳴らす。


「そうよ? すごいでしょ?」


 どや顔だった。誇らしげなその表情に、アワは息をこぼす。

 ミアは、ふと頭上を仰いだ。降り注ぐような光と、枝先の花弁を見つめながら、ぽつりと呟く。


「あなたの名前って、この木から取ったのね?」

「ええ。……他国を旅していた時に、名前を聞かれて、咄嗟にそう名乗ってました」


 ふっと笑う、その声音が、昔話のようだった。

 ミアも笑った。


「一緒ね」

「……一緒?」


 アワが首を傾げた。

 ベルに触れながら、ミアは顔を輝かせた。


「この子の名前。アワからとったの。ベルナールっ。ほら、雰囲気が似てるでしょ?」


 そう言われて、アワは目をぱちくりとさせた。


「……ぼく、そんなに馬面ですかね?」


 ミアは吹き出した。


「そんなこと、知らないわよっ!」


 ふたりの笑い声が、木漏れ日のように、森の奥にこだました。

 アワが、空気を変えた。

 ひと息ついて、目の前を見据えながら言った。


「……さて。その力、どうするつもりなんです?」


 訊きながらも、アワにはその答えはわかっていた。彼女ももう、答えは出ている。


 ミアは自分の手を見つめ「はあ」と、わざとらしくため息をした。

「ほんと、困ったものよねえ?」


 と言って、左手には水の魔法と、右手には火の魔法を、ぽわんと見せつけるようにして浮かべ笑いを誘う。


「この力、どうしましょう?」


 肩をすくめ、冗談めかして笑うミアを、アワは愛おしく眺めていた。

 ふたりはもう知っていた。

 この不思議な力の根源を。


 ——ふたりの出会いは、原初の恋のようなもの。


 それは、遠い昔の滅びた記憶。

 年表も暦もない、想像すらできないほどの、遥か昔……この大陸がまだ海に沈んでいた頃のこと。

 ミアが両手に出していた魔法を解き、視線を落としてから、ふっと息を吐いた。


「そういえば、この時の私はなかったわね……」


 その時代、ミアには足がなかった。

 彼女の姿は波間を泳ぐ魚。ヒレを優雅にたなびかせ、見たことないような美しい星空を見上げていた。

 色とりどりの海のなかには、桃色のイルカもいた。

 きらきらと輝く珊瑚礁(さんごしょう)とクリスタル。それは宝石が散りばめられたような世界。

 そのなかに人魚のミアはいた。

 そして、森で暮らす、青年アワに恋をした。

 ……だが、神はそれを許さなかった。

 人々が水と火の力を正しく使えぬなら、罰が与えられると。

 裁きは下された。

 大地は割れ、天は落ち、海は怒り、全てを呑み込んだ。

 ふたりは引き裂かれた。

 それでも別れ際、アワは言った。


『ぼくたちはまた、必ず戻ってこれる』

『私のことを絶対に忘れないでね』

『ああ……絶対に、忘れないよ』


 その記憶を胸にミアは立ち上がった。

 アワもまた、ゆっくりと立ち上がる。


「……決まってるわ」


 ミアの声が、森に響く。


「もう、私たちにこの力は必要ないわ」


 そう言って、彼女は空を見上げた。

 水と火。元々ひとつだったふたつの力を空に返す。それが、私たちの目的。二度と同じ過ちを繰り返さないために。

 アワの表情が少しだけ陰っていた。遠くを見つめ声にした。


「……テテポ。そこにいるんだろ?」


 誰にともなく、空気に向かって。

 返事は、ない。今のアワには精霊の姿も、声も届かなかった。

 けれど、そこには確かにいた。


「けっ……辛気くせぇ顔してんじゃねぇよ」


 木陰のなかで、不貞腐(ふてくさ)れるように腰を下ろすテテポがいた。

 ミアはテテポの言葉を、あえてアワに伝えなかった。

 そんなことをしなくても、ふたりは通じ合えている、そんな気がしたから。

 アワは、そっと目を閉じる。静けさが胸の奥に広がった。


「……テテポ。今まで、ありがとう」


 氷になった母が散り、心臓が止まりかけたあの瞬間。

 この場所で、テテポと出会った。


『おい、小僧。……しけたツラしてんな?』


 軽い調子だった。死ぬ間際なのに、冗談みたいに。


『おれがもう少しだけ……生きながらえさせてやる』


 それは、ふざけたように聞こえた。

 でも、アワはわかっていた。あの言葉が、どれだけ真剣だったか。

 言葉にならなかった。

 昨日のことのように浮かぶ、あの時の光景。ただ、涙が落ちて、頬を濡らしていった。


「……またな、テテポ」


 テテポは、ぷいと背を向けた。


「……けっ、しょーもねーやつ」


 その背中に、ドラココが容赦なく手を振り下ろす。


「なに泣いてんのよ、あんたっ!」

「泣いてねぇし! ……風が、ちょっと目に入っただけだっつーの!」


 ミアは笑った。けれど、同じように、少しだけ、目元を拭っていた。

 そして、再び手に力を宿らせる。

 左に水。右に火。

 手のひらを重ねると、それらは溶け合い、白く眩い光となった。

 光は空へと昇っていく。

 ふたりの精霊を伴いながら。

 高く、高く。

 そして、静かに。

 星々を指先でなぞるように、世界の始まりに還っていった。


 ふたりは、ゆっくりと歩き出した。


「ねえ、ひとつ訊いてもいい?」

「何ですか?」

「あの湖で踊った夜……奇跡を三回見せてくれるって言ってたでしょ? もしかして、今のが、そのひとつだった?」

「はい」アワはミアの顔を覗き込む。

「あの日は姫が眠ってしまったので来れませんでしたからね?」

「あっ……ごめんなさい」


 アワは微笑んだ。


 しばらく森を抜ける風に身を委ね、ミアが口を開く。


「……なんだか、毒を吐いてくる輩がいないと、ちょっと寂しいわね」


 アワは笑った。


「ですね」


 と感慨深く。


「……これから、どうするんです?」


 アルベルサ王のことだ。ヴェルディナ王は幽閉されている。


「死罪ですか?」


 ミアは少し黙り込んでから「あの猛獣は、しばらく氷のままにしておいてって、ドラココに頼んでおいたから平気よ」と微笑み返した。

「ぬかりないですね」

「氷が解けたら花屋にでも働かせれば、いいんじゃないかしら?」

「鬼! ……それはもう、彼にとって地獄ですね」

「あと、王国はアナトリーたちに任せるわ。あのふたりなら、きっと大丈夫。アワのお兄様もいる」

「……それは、まさか?」


 ミアはきっぱりと言った。


「王女は、やめるわ。あなたが言ってたじゃない。いくつもの名前があったっていいって」

「……で、でも。本当にやめるんですか?」

「ええ。名前も、役目も、全部よ」

「……なら」


 アワは歩きながら笑みを噛み締めていた。


「ぼくも。アワのままでいましょうか」


 ふたりは顔を見合わせて、ふっと笑った。

 やがて、木々の隙間から、柔らかな陽だまりが覗いてきた。


「行きましょう」


 手を握った声は明るい。


「うん」


 迷いはない。

 ふたりはあてもなく、エレナの森をを歩いていく。

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