表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/44

ep.6

 中は狭く、静かだった。

 湿った木の匂いと、炉にこびりついた灰の香りが鼻をくすぐる。石造りの小さな炉が壁際に寄せられ、干し草を押し固めただけの寝床は、潰れたまま干からびて、主の不在を物語っていた。


「あの氷……あとどれくらいで、アルベルサ領まで届きそうなんだ?」

「さ、さあな」


 どうやらこの話題には、あまり触れられたくない様子だった。動揺を隠せていない。不自然に動くテテポの耳から、それは容易に見て取れた。


「わ、わかんねーけど……あの調子なら、一年もすりゃキーキの村まで来ちまうかもな」

「そんなに早いのか?」


 一方で、アワの声は低く、心の底にじわりと広がる不安を押し隠していた。


「魔女の呪いをなめんなよ?」


 テテポは尾をふわりと動かして、丸まるように床に座り込む。


「氷の粒子を吸った連中は、徐々に身体の内側から冷え始める。だけど怖いのは、そっからだ。目に見える症状が出てきた瞬間。不安と恐怖に駆られて、人間のバカ共は一斉に逃げ出す。それが都心部に流れ……あとは、凍った森で見てきたとおりだ」


 妙な真実味があった。あたかも、実際にその目で見てきたような口ぶりだ。

 アワは、黙ってテテポを見つめた。


「……人が全身氷になるまでの期間は、どのくらいなんだ?」

「さあな。人それぞれだろ」

「最初は人間からなんだったよな?」

「呪いは人間の欲望に(まと)わりつく。強欲なバカは、あっというまだろうよ。散りばり始めたら最後。粒子は人に限らず全てを侵食し始める」


 炎がぱちりと弾け、(まき)の焦げる匂いが立ち昇る。

 沈黙の後にアワが口を開く。


「どうしようもないんだよな?」


 しばらく黙っていたテテポは、視線を逸らして呟いた。


「……し、知らねーよ」


 小さく吐いたアワの息が炎に消え煙となる。


「たく。そんなに氷の魔女が怖いのか? 森の氷から何かわからなかったのか?」

 テテポは不機嫌そうに「……あーもう」と顔をしかめてから、睨むように見上げた。

「おい。今、おれの記憶、勝手に覗き見たんじゃねーだろーな?」

「ぼくは、テテポと違って自分の意思で記憶は見られないの知ってるだろ?」


 テテポいわく、水は記憶媒介だという。人の中を巡る水を通じて、熟練の魔術師は記憶に触れることができるのだ。

 アワにはまだそれが思うようにはできない。だが、微かな波のように揺れる人の感情を、読み解くことは可能だった。


「あの森で、テテポの動揺は……おもいっきり感じ取れたけど。よっぽど怖かったんだな?」


 テテポの様子があきらかにおかしい。


「テテポは、凍った氷から何か見たんじゃないのか?」

「ば、バカいうなっての。おれは、そんな下世話なこと、しねーよ」

「ほんとに?」


 焚き火越しに目を細めると、テテポは少しだけ身を引いた。


「ほ、ほんとにきまってんだろ。まったく……」


 そう言うと、テテポはそのままごろりと転がって、干し草の寝床に背を預けてしまった。

 アワは火に手をかざしたまま、しばらく言葉を飲み込んでいた。テテポのやつ、何か隠してるな。

 テテポの言ったことは本当だった。

 氷の森で記憶を探ろうとしなかった。いや、テテポには、それができなかったのだ。恐怖で。



 夜明けとともにキーキ村を目指したふたりは、到着するなりある商人を探す。

 市場はちょうど立ち始めたところだった。霜の残る石畳には、わずかに雪が縁取りを描き、屋根には白い静けさが積もっていた。

 焼きたてのパンの香りがする。村を出て二十日余り。ようやく人の気配。串に刺した肉を焼く匂いや、果実の酸味の混じった風。色とりどりの布で飾られた屋台が並んでいた。


「いやはや、世界は平和そのものだね〜。食欲、そそるわ〜」

 皮肉っぽく呟くテテポに、おまえは食べないだろと、アワはつっこみを入れる。

「とりあえず、あの商人を探そう。話では、村に戻ってるはずだから」


 ——それは、ひと月前。ヴェルディナ王国での建国記念祭の時だった。

 祝宴に沸く広場の片隅で、その商人は小さな屋台を構えていた。氷の森から持ち帰ったという、凍った花を売っていたのだ。


『誰も信じちゃくれないけど、ベルー国が……消えたんだよ!』


 そう言いながら歯を見せて笑っていた商人のことが、昨日のことのように思い出される。

 アワはすぐにそれがただの土産ではないことを察し、花を買い取り、すべて処分した。


「おれ、アイツ苦手なんだよなー。汗と脂で顔テッカテカの物欲バカ」

「たく……そんなこと言ってられないだろ? 下手すると、大変なことになる」

「ああいうタイプが真っ先に死ぬんだぜ?」


 しばらく市場を歩いて数人に訊くと、意外な答えが返ってきた。


「数日前に旅立ったよ。また王都に行くって言ってたかな。あの人は、儲けても儲けても落ち着かない性分なんだよ」

「アワ、大丈夫だ。アイツはどっかで、きっとのたれ死んでる」


 隣でテテポは鼻を鳴らす。


「……たく」

 肩を落としながら「……いいかげん、可愛い顔して毒を吐くの、やめてくれないか?」と、アワがため息をついた、その時だった。


 乾いた雪を踏み鳴らす足音と共に、周囲も騒つき始めた。男が焦った様子で、誰かの名前を呼びながら辺りを見回している。

 その顔には見覚えがあった。男はアワを見るなり目を見開いて、息を詰めるように駆け寄ってきた。


「あーっ! 魔術師様! いいところにおいでです!」


 男は、以前アワが治療したことのある娘の父親だった。


「とにかく来てください、大変なんです!」


 彼に連れられて着いたのは、村はずれの開けた野原だった。


「あーっ! あそこです、あそこです!」


 男が手を振る視線の先には、うっすらと雪の降りしきる野原に、狩りの陣が張られていた。ひときわ大きな天幕が中央に据えられ、その周囲に豪華な毛皮を着飾った男女が散らばっている。


「さあさあ、早く参りましょう。大変なんですっ」


 男は村の案内役を任されていた。

 この村の外れで王族関係者によって行われている『冬の狩り』は、雪の森に棲む『霜狼(しもおおかみ)』を追う儀式的なもので、年に一度、アルベルサ領国の貴族たちが集まり、先祖の加護と豊穣を願う伝統の催しだった。

 銀色の毛並みを持つ霜狼は、この土地では力と気高さの象徴とされており、狩猟の成功は名誉と見なされた。

 しかし、その輪の中心にあったのは凛とした誇りではなかった。そこには煌びやかな女——

 重たげなコートに毛皮の襟巻(えりま)きをあしらい、真珠の飾りのついた帽子を斜めにかぶった女がいた。葡萄(ぶどう)色の厚手のドレスは、雪に映えてひときわ目を引いた。


「違うのよ⁈ わたしは悪くないわ!」


 頬は上気し、目元には泣き腫らした痕のような赤みが走っている。



挿絵(By みてみん)



 ジナイーダ・マーフォリア。アルベルサ領主の娘にして、王家の分家筋にあたる縁戚(えんせき)とも(ささや)かれる女。

 己の価値と立場を何よりも重んじ、富と名声に目がない。自らの評判を守るためなら、他人の犠牲も(いと)わず、気に入らぬ相手には、履いていた靴を舐めさせたという噂すらあった。

 だがその顔には気品よりも焦燥と苛立ちが浮かんでいた。


「なんだ? あの絵に描いたようなバカは?」


 ぼそりとこぼしたテテポの声は、ジナイーダによって、あっさりと掻き消された。


「なにしてるの、早く医者を連れてきなさいって言ってるでしょっ⁈」


 跳ねる声。


「違うのよ、私はただ引き金に手をかけただけで……。あの方が勝手に動いたの! 避けなかったのが悪いのよっ!」


 彼女の足元には、血を流して倒れている貴族と思しき男がいた。ふくらはぎのあたりを撃ち抜かれ、真冬の地面に倒れたまま(うめ)いている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ