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魔女と足なし姫  作者: Y.Itoda
終章
59/63

ep.58

 ミアは正気に戻ってから、それを知ることとなる。


「——ええ! 何、これ⁈」


 遅れてやってきた現実を前に、声を上げ飛びのいた。

 目の前に広がる白銀の世界。燃えたぎっていた炎は跡形も無くなっている。森が音もなく凍っていた。


「……え、え? ちょ、ちょっと……えぇ⁉︎」


 目が不自然に瞬いて、足が勝手に辺りを右往左往していた。

 生き物たちはおろか、緑を揺らしていた草木は、今やその葉一枚に至るまで白く氷になっていた。

 兵も。地面も。

 争っていた全ての者たち諸共に。

 その光景は、氷が時間ごと封じ込めているようにさえ思えた。


「テテポ! どうしよう、どうしよう! ねぇ、これ、ちょっと……え? 全部? 全部、氷にしちゃったよぉぉぉ」

「ミア! おまえは、何やっちゃってんだよ!」


 テテポもことの重大さに動揺していた。

 森は完璧に静まり返っていた。凍りついた草を、おろおろと踏みしめるふたりの足音すら場違いに響く。


「……全くどうすんだよぉ」


 呆然としたテテポの声は震える。尻尾の先をピクつかせながら、わなわなと落ち着きなく、その場を小さくずっと回っている。


「これ本当に全部、凍っちまってんだよなあ……さすがに死んでないよな?」


 側にいた人間に近寄って確認したテテポは、その事実に肩を落とした。

 その大きなため息に釣られるようにして、ミアもしょんぼりと肩を落とす。


「だってえ……」


 視線を落とし、氷の大地に映る、悲壮感たっぷりの自分を見た。


「そんなこと言ったって……これ……ほんとに私がやっちゃったの?」

「——おまえだ!」


 しらを切ろうとするミアに向かって、テテポは強めに突っ込みを入れた。


「今さら何、言っちゃってんだ」と鼻を鳴らす。

「何つー魔力だよ? ミア……おまえはバケモンか?」


 ミアはおずおずと頷く。


「はい……なんか、私……すごく、すごい魔力……持ってる、みたいです……」

「はああぁ……たくよ、バカ言っちゃってんじゃねーよ。ほんと、どーすんだ、これ」


 尻尾をバチバチと地面に打ちながら、テテポが頭を抱えて項垂(うなだ)れる。


「ど、どーしましょう……」


 両手を合わせておろおろしながら、ミアは氷の世界のど真ん中で立ちすくむのだった。



 伝承の湖に戻ってきた。

 途中、ベルに(またが)り空から、自分がエレナの森の全域を氷にしてしまったことを目にした。避難していた人々、アロス、アナトリーと、ジナイーダさえも。

 けれど、ここは違った。

 辺りを覆う、淡く薄い泡のような膜。この魔法の影響だろうか。泡の外側の草木も、陽の光を浴びて緑のままだった。

 魔法で創造した泡で全身を包み、湖の底にある小さな石の建物へと踏み入れた。

 氷のなかで安らかに眠る彼に手を伸ばす。そっと触れた。氷の表面に。

 冷たい。

 魔法の膜で隔てられているはずなのに、感触が痛みを伴って指先へ届いた気がした。

 冷たさが、まるで想いの形を借りて胸に突き刺さった。


 ——アワ。


 以前、湖を覆った泡の天井を、水溜まり越しに見上げた夜空をふと思い出した。

 湖面に映る星々を眺めながら彼はこう言っていた。


『全てが終わった後は、のんびりと暮らしたい。朝、目を覚まして誰に何を言われるのでもなく、その時の気分で、思いのままに、その時その時を過ごしたい』


 自由を求めていた彼が、氷のなかに閉じ込められてしまった。その願いも全てが凍りついてしまったのだ。こんな湖の底に、独りぼっちで。

 そう思うと、哀しくて仕方なかった。


「……ねえ? 私は、どうすればいい?」


 (ささや)いた声は水に沈み、溶けていく。

 けれど、返事はない。


「ねえ? 教えて……」


 揺れる瞳。問いかけるたび、心の(ふち)で何かが軋きしむ。

 私は正しいのだろうか。あの時のように声をかけてほしい。


「どうすれば……いいの?」


 指先に伝わる感情が、不安を静かに呼び覚ます。ひとりベッドの上で死にかけていた、あの日々を。


「ねえ、答えて。あの時みたいに……。『大丈夫だって』、言ってよ」


 祈るような微かな声だった。だけど、アワは目を閉じたまま、何も言わない。

 水面を割って浮上すると、全身を包んでいた魔法の泡は音もなく弾け、空へと体が放り出された。

 辺りを覆う泡の上。静けさはまだそこにあった。

 仰向けになった目に映る水溜り。膜を(くぼ)ませた雫の先から差し込む、一筋の虹色の光が眩しい。

 湖から浮かんできた水滴が頬に触れて弾けた。そのひと粒が、何かの記憶をくすぐる。

 亜麻色の髪はなびき、ドレスの裾は花弁(はなびら)のように広がる。縁を飾る銀糸が、陽の光を柔らかく返していた。

 ミアはただ、その穏やかな世界に身を委ねた。

 不思議だった。

 この切羽詰まった状況なのに……気持ちは(なぎ)のように落ち着いていた。

 アワに会えたから……

 そうだと思う。

 直接、触れることは叶わなかったけど、安らかに眠る彼の表情からは、大丈夫だと、言ってくれていた気がした。いつもみたいに、柔らかな笑みを浮かべて。

 建物のなかにあった氷像は何だったのだろう。テテポに似た小さな獣のようなもの。

 ただ……その周囲の崩れた壁や、床に散らばった石片は予想がついた。明らかに何か争った形跡。

 おそらく——アワと魔女はあの場所で戦った。そして、その時ふたりの間で、何かのやり取りが交わされ、私の呪いが解けた。

 くるり。空に輪を描いて、小鳥たちが降りてくる。淡い黄緑、桃、水色。羽ばたきが、指先をくすぐっていった。


 テテポが言っていた。『水は、記憶する』


 この湖の記憶。

 もしも、それを見ることができれば。

 私はまだ、この湖で何かを……大切な約束を、忘れている……。

 その時、どこからともなく歌声が耳に届いた。辺りを覆った泡の向こう、深い森の遠くの方。それはどこか切なく郷愁(きょうしゅう)を誘い消えていく。この歌声は……


「アナシャ!」


 今度は下からテテポの声が聞こえた。

 ミアは地に降りて魔女と対峙した。

 湖の縁に立つ銀髪の少女。氷のように白く透き通った、淡い青色の瞳。


「あなたも相当しつこいわね。……それに、ずいぶんとご機嫌じゃない?」

「当然じゃ。自ら自滅しおったのだからな」

 そう笑ってから「おっと、言っておくが、わらわは何も関与しておらんからな? アルベルサの王は自らの意思で牙を剥いたのじゃ」と言って、アナシャは肩を小さくすくめ、子供らしくクスクスと口の端を(ゆが)める。

「あ、そう」


 ミアもそれは何となくわかっていた。


「それで、氷から元に戻す方法を教えてくれる?」


 私の足にかけた呪いを解いた魔女なら、きっとできるはず。


「ほう? わらわにそれが可能だと? そんな都合の良い話がある訳がなかろう」


 アナシャはからからと笑い声を上げる。


「だったら私の足は——」

「お前の足は、まだ凍りかけだった。すなわちそれは不可逆な相転移を起こす、ごく直前の状態。それを砕くことはできるが溶かすことはできぬわ」


 ミアは絶句した。再び退路を絶たれた気分だった。完全に氷にした森を元に戻す方法はないのかもしれない。

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