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魔女と足なし姫  作者: Y.Itoda
終章
58/63

ep.57

 頬を撫でていたそよ風が、唐突に牙を剥いた。

 森全体を鷲掴みするかのように、荒々しい突風が隅々までを逆撫(さかな)でする。深緑は恐慌をきたした不協和音を奏で、騒めきを超えて暴れ出した。


「この気配は何?」


 ぴくりと肩を揺らし、ミアは立ち上がる。

 小さな生き物たちまでもが一斉に沈黙した。

 風が運んできたもの。鼻を刺す匂い。それは焼けた木の匂い。


 アロスたちの方向ではない。「……え?」これは……振り返って目を疑った。王都のある北の方角だ。


 木立の間に現れた遠い一筋の白煙。


「どうして?」攻防していた軍が突破されたのか? いや、それよりも、あの火の勢いはまずい。下手をすると森の全てが火の海になる。


 瞬く間に広がる灰色の低い雲は、森の頂を覆い尽くし、煙の奥には確かに映る。——真紅の炎が。

 迷わず指笛で呼んだベルに(またが)り、ふた蹴りで空へと羽ばたく。

 火は走っていた。

 空へと突き上げながら森を喰い荒らしていく。一帯が風に巻かれ、火勢は左右に跳ね、尾を引いて延焼していく。

 それは怒りだった。森そのものが震えていた。

 空を駆け抜けると、赤く燃える炎の切れ間にベクトールの姿を見つけた。


「ミア様……!」

「——何があったの⁈」


 ミアの姿を目にしてすぐに近寄ったベクトールだったが、血に染まったドレスに、一瞬言葉が詰まった。苦悶(くもん)に満ちた表情は、いつも冷静な彼には似つかわしくなかった。


「……他方から、バルドゥルが自ら軍を率いて攻め込んできました」

「やつの狙いは、森?」


 ベクトールは小さく頷く。


「恐らく。全てを焼き尽くすつもりです。このままでは、兵も森も——」


 燃えたぎる炎のなかから聞こえてきた。

 笑い声だった。

 遠くでバルドゥルが叫んだ。


「全軍に告ぐ! 抗う愚者どもを蹴散らせェェ!」


 目の前を遮るのは炎熱地獄。炎は高く舞い上がり、木々の枝葉に燃え移る『樹冠火(じゅかんか)』となる。

 (ほむら)と怒号。ミアの瞳は真っ赤に染まっていた。

 熱は凄まじく、燃え広がることで特有の強風を引き起こしていた。髪は踊るように暴れ、目を開けることはおろか、息をすることすら困難だった。

 煙で小さくなる視界のなかで、ミアは手を(かざ)し魔力を解き放った。

 張り裂けんばかりの空気はひび割れ、無数の水が渦を巻くと、巨大な塊と化した水はうねりを帯びた。それが荒々しい波となって炎へと殺到する。

 直後、鳴り渡る轟音。

 水流は燃え盛る炎へと真っ向から激突した。数万度の熱を一瞬で消し去り、爆散する。

 全てが白く吹き飛んだ。

 大地を揺るがす音と共に、灼熱の蒸気で視界が埋め尽くされる。白煙は立ちはだかる壁となって、(はる)か上空へと巻き上げた。

 それでも——とても間に合わない。

 火の勢いが収まる気配を見せない。

 ゴーッと地鳴りのような音がして、バチバチと樹木がはち切れる。火の粉が風に乗り、さらなる木立へと跳ね移っていく。燃え広がる速さは、魔法よりも速い。

 白い煙が黒煙と変わり、ミアは息を詰まらせ()せ返した。


「どうすれば……」


 消火しても一向に変わらぬ景色。

 思わず手が止まりかけた。

 炎の向こうでは、兵たちが混戦のなかで剣を交えている。敵味方の区別すらつかない。荒がる声が響き、銃声が飛び交い、命が次々と散っていく。

 ベクトールもまた剣を抜き、兵に声を上げた。


「下がるな! 前へ!!」


 だが、その声は炎の咆哮(ほうこう)に呑まれ、空へと掻き消えた。

 それはまるで、火を喰らう火焔竜(かえんりゅう)だった。紅の鱗を撒き散らし、野をのたうち回るように、全てを焼き尽くそうとしている。

 水の魔法を放ちながら、ミアは必死に思考を巡らせた。

 喉の奥が()けつくように熱い。

 ——バルドゥルの首を斬ったところで、この炎は止まらない。ひとりでどうにかできる規模ではない。

 どれだけ命を費やせば、この火は鎮まるのか。

 目の前で兵がひとり、またひとりと崩れ落ちる。

 皆んな死んじゃう……誰も死なせたくないのに——。

 ミアは汗まみれの顔で声を張り上げた。


「テテポ……どうしたらいいの!」


 側にいたテテポもまた、歯を食いしばっていた。


「どうもこうも、……おれだってわかんねーよ!」


 追い詰められた戦場。状況は既に詰んでいるように見える。


「痛っ……!」


 ミアの肩を何かがかすめた。銃弾だ。血が染みる。


「ミア!」


 すぐにテテポの魔法で傷を塞いだ。

 頷くより早くミアは再び空を仰ぐ。

 そこには、新たな火の手が——

 遠い。けれど見覚えのある方角。アロスたちがいた場所だった。


「まさか……」


 視界の端から忍び寄る絶望という文字。

 次の瞬間、畳み掛けるようにして別の方角からも炎が立ち上った。

 もう駄目——全部、燃えちゃう。おそらく民は皆、森へ避難していたはずだ。

 迫り来る王女としての重圧。

 体に食い込む熱さと視界はぼやけ、邪魔をする(すす)混じりの煙のせいで涙が(にじ)む。足がふらついて方向感覚を失いそうだった。鼓膜も火が爆ぜる音で遠い。

 その時だった。火勢の向こうで聞こえたのは。

 愉快に声を弾ませていた。


「いい眺めだなァ!」


 焦げつく風を味方に付け、男は(あざけ)るように豪快に声を上げる。笑われた自分が無様に思えてくる。

 この世界の全てを、手に入れようとする男。

 この戦いの果てに自らの正義があると信じて疑わない。

 髪の毛を凍らせた男は、巨躯(きょく)を震わせながら吠えた。


「アルベルサの名の元に全てを焼き尽くせェェ!!」


 バルドゥル・マーフォリア。

 領国の王は、欲に飢えた(けもの)のように、炎の頂に立っていた。


「……もうやめてよっ!」


 胸の奥で何かが砕ける音がした。

 ミアは、手首の水色のブレスレットを無意識に握りしめていた。——アワ。溢れる想い。

 もう何も間に合わない。

 叫んでも、誰にも届かない。

 その声は、泣き声に似ていた。

 やめて。お願いだから、これ以上、誰も——

 その時だった。

 合わせた両手に宿っていた魔力が、不意に鼓動を打った。

 ——えっ?

 次の瞬間、足元から閃光が(ほとばし)る。

 地面に刻まれた魔法陣は、生き物のように脈打ち、円環(えんかん)を描きながら急速に拡大していく。

 ただの陣ではない。

 風が(うな)りを上げ、地鳴りが混ざり、空気が軋み始める。


「おい、ミア⁉︎ いったい何やるつもりだ!」


 テテポの声が裏返る。とてつもない巨大な力だった。

 逆巻く風が草を浮かせ、周囲の炎が暴風となって巻き込まれていく。


「ミア! 聞いてんのか!」


 だが、ミアの目は虚空を見据え、もはや誰の声も届いていなかった。

 押し寄せる想いが、言葉にならぬ祈りを宿していく。

 もう争わないで。

 お願い、失いたくないの。

 アワの大切な森を、これ以上——壊さないで。

 両手に、決意を込めた。

 次の瞬間。

 魔法陣の中心が眩い蒼光(そうこう)を迸らせた。

 地に走る紋様は、この星が弾けるほどの光を放ちながら大地を震わせた。

 世界が、膨れ上がる魔力に沈黙した。

 音が消えた。風も、振動も、全てが彼女の魔法に平伏した。

 ただ、白く、静かに、煌めく光が全方位へと広がっていく。

 そして——

 森は、氷に閉ざされた。

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