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魔女と足なし姫  作者: Y.Itoda
第十二章 嫉妬
57/63

ep.56

 だが、当の本人はどこ吹く風だったが。


「そもそも、一体、何年引きずってんのよ。いいかげんにしなさい? いい歳して」


 吐き捨てるように言って、ミアは腰に手を当てた。

 魔女の目が戸惑いで揺れている。


「……まあ、確かに。嫌なことばっかりだったけど」


 ただ、それでも……足が凍らなければ知り得ないこともたくさんあった。でなければ、アワとは会えてなかったかもしれないし。


「ちょっとは感謝するわ。ありがとう」


 そんな言葉が不意打ちだったのだろう。

 魔女は完全に混乱していた。借りた人の身体で瞬きをすることすら忘れ、呆然とミアを見ていた。


「でも……」


 次の台詞ははっきりと言い切った。


「もう、いらないわ! だから早くジナイーダと変わってちょうだい!」


 ぐっと足を前に踏み出し、肩を跳ねて怒鳴る。


「もう二度と邪魔しないで!」


 その一言に、魔女はしゅんと項垂れる。ほんの一瞬、何か言い返しかけたが——やめた。

 そのまま目を伏せながら、すっと気配をなくした。

 ジナイーダの瞳の色が戻る。その目に迷いはない。


「——ミア!」


 氷の右腕を構え、まるで何かに追い立てられるように地を蹴った。

 銀の剣が閃きを描いて振り下ろされる。


「そうこなくっちゃ」


 ミアも軽やかに一歩を引き剣を構えた。

 鋼が陽を受けて煌めき、刃と刃がぶつかり合う。鋭い音が辺りに弾けた。


「アワ様をどこに隠して?」

「知らないわ」


 自然とミアの笑みがこぼれた。

 ひとたび剣が交わると、ふたりの間に言葉は要らなかった。

 踏み込み、跳ね返し、斬り上げ、受け止める。

 火花のように汗が散り、土が(えぐ)れる。

 何度も何度も金属音が響いた。ふたりは今までの鬱憤(うっぷん)を晴らすかのように剣を振るった。

 鋭いジナイーダの剣が目の前の空を斬った。殺意とは違う、隠しきれない根深い嫉妬。

 アワを遠ざけたことを怒っているのはわかる。

 でもそれだけじゃない、何かがあった。

 今のミアには伝わってしまう。その一太刀(ひとたち)、一太刀に(ほとばし)る想いが。

 初めて顔を合わした十年前。

 他国の王子たちがいるなかで、領国の姫は王国の姫に、燦々(さんさん)と輝く太陽を見た。底抜けに明るい態度は、陽光よりも眩しく映った。

 それからは、王国の姫に負けぬよう、ダンスに、音楽。社交に、馬術。何でも必死にやった。なのに——

 何をやっても勝てなかった。

 いつまで経っても、王国の姫と、領国の姫。

 父の前で、何度も比べられ、何度も叱られた。

 剣を弾き返しながら、ミアの胸にその思いが染み込んでくる。

 私だって必死だった。王国の姫であり続けるために死に物狂いに頑張った。

 なのに、何故なの……?

 ジナイーダの痛みを自分のことのように、ジンジンと感じるのは。

 私利私欲にまみれていた過去。

 もの寂しい時、思考が揺らいだ。

 剣を握る力が、わずかに緩んだ。

 その隙を、剣閃(けんせん)(つらぬ)いた。

 ジナイーダの剣だった。

 ——刺さっていた。

 ミアの脇腹に、熱い痛みが走る。

 ドレスの布地がじわりと濡れ、抜いた剣身を伝い、ジナイーダの指先を血が染めた。表情が凍る。


「どうして……?」


 かすれたその声は震えていた。まるで、信じていた何かを裏切られた子供だった。


「どうしてなの……?」


 繰り返す声に、足元の力がすうっと抜けた。

 剣を握ったまま、その場に膝をついた。

 ミアもまた、それを追って静かに地に腰を落とした。

 胸につかえる思い。

 ——今さら、ありがとう、なんて。そんなの、小っ恥ずかしくて言えるわけがなかった。

 でも——記憶が頭のなかを巡る。

 足が凍って、誰とも会わずに閉じこもっていた、あの冬。

 陽も差さない部屋に、恐る恐る顔を出してくれたのは、他でもないジナイーダだった。その後、アワを寄越してくれたお陰で今の命がある。

 毒を盛られたあの日も。

 誰もが疑心を抱いていたなかで、私に盛られた毒を自ら飲んだ。


「もう、やめましょ?」


 ほんのひと時でも、私のことを案じてくれていたこと。その想いに、どれだけ救われていたか。

 だからミアは、血に染まる手を押さえたまま、にこりと笑った。


「あなたには……」出かけた言葉を飲む。感謝しているとまでは言わない。

「私たちには他にやることがあるはずよ」


 ジナイーダが顔を伏せた。

 剣の柄から力が抜け、刃が地に落ちた。ゆっくりと肩が震える。最初は冷えに震える小さな揺れだった。

 けれどそれは、やがて涙を伴った嗚咽(おえつ)へと変わる。

 そっと手を添えて、ミアは彼女を見ていた。

 ジナイーダのとめどない涙は、やがて言葉になった。

 戦っていたのは身体だけじゃない。自分も、ずっとずっと前から——心のなかで剣を交えていたのだと、ようやくわかった。


「……どうして、そんな顔するの?」


 目元を拭うこともせず、崩れたまま地を見つめていた。


「……わたくし、ずっと、あなたが憎かったの。……許せなかった」


 ぽつり、ぽつりと、こぼれ落ちる言葉。


「初めて会った日から、ずっと。毎日……悔しくて。……何をしても勝てなくて。……いつもお父様に叱られてばかり。わたくしばかり……どうしてこんなに、みっともない気持ちになるんだろうって。……何度も何度も、自分が嫌になった」


 ミアはただ黙って耳を傾ける。


「でも……本当は、……あなたになりたかった。嫉妬してたのよ。……羨ましかったの」


 すると雨の気配と共に、草を蹴る馬の蹄音(ていおん)が近づいてくる。


「ジナイーダ! おまえは、何をやっているんだ!」


 疾風のように現れたのは、兄アナトリーだった。

 馬から飛び降りて駆け寄ると、氷に(むしば)まれた右目が、ジナイーダを真っ直ぐに見つめた。顔の半分、首筋にまで及ぶ氷の(あと)が、彼の焦りと痛みを際立たせていた。

 ジナイーダは泣きながら、かすれた声で言葉を探した。


「お兄様……わたくしは……」


 それ以上、何も言えなかった。声にならなかった。

 アナトリーはそっと頷き抱き寄せた。


「わかった。……とにかく今は、この場を離れよう」


 そのまま馬へと向かう途中、振り返り一瞥(いちべつ)する。

 ミアは返すように、ゆっくりと頷いた。傷は大丈夫、と言いたげに微笑んで見せた。

 アナトリーは申し訳なさそうに目を伏せ、小さく呟いた。


「……こんな戦いは、終わらせよう」


 それだけを言い残し、妹を抱えたまま、馬に乗って走り去っていった。

 そして—— 雷鳴が世界を叩き割るかのような音と共に、雨が降り出した。

 突然の通り雨だった。空を覆う雲は暗く、一頻(ひとしき)り森を殴りつける。

 ゆっくりとミアは腰を引きずる。近くにあった一本の大きな木の下へと身を寄せた。枝は広く張り出していて、垂れ下がる葉がかろうじて雨を(さえぎ)った。

 満身創痍(まんしんそうい)だったが、ミアの口元は緩んだ。


「ついてるわ。まだ……生きてる」


 そう口にした途端、横からテテポの声が飛んでくる。


「どこがだよっ!」


 尻尾を逆立てながら、必死な形相で駆け寄ってきた。


「出血、致死量レベルだぞ、ばか!」


 テテポは慌てて魔法で治癒する。


「平気でしょ?」


 けれどミアは、ただ穏やかに笑った。


「……だって、テテポがついてるもの」

「ばっかやろう……」


 テテポの眉はひくついていた。


「そんな無茶ばっかやってっと、本当に……死んじまうぞ……」


 堪えきれず、涙混じりの声になった。

 やがて雨音が消えた。

 葉の(しずく)が土に吸われるたび、森は静かに息を継いだ。霧が枝の間に漂い、濡れた葉と土の匂いが濃く立ちこめる。

 だが、その一瞬の安らぎは、すぐに破られることとなる。

 風が——変わる。

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