ep.55
「どういうこと?」視線だけを向けてテテポに訊いた。
「あれ……ジナイーダよね?」
「ああ。あれは、氷の魔女に自我を奪われつつも、その魔力を利用しながら……自分の意識を保ってんだ」
「じゃあ。やっぱり魔女も一緒にいるのね……?」
テテポは短く首を縦に振る。
「とんでもねぇ執着心だよ。ジナイーダのやつ、やっぱとんでもねーぞ。それに……」
と言いかけた時、突如ジナイーダが魔女の声で話し始めた。
「久しいな、テテポよ」
その低く湿った声に、テテポの身体が、びくんと跳ねた。丸い背が目に見えてぶるぶると震えていた。
それを目にしてミアは、その昔、テテポが魔女と共に過ごしていたのだと認識した。
「何だ? 今度はそんな小娘に媚びを売るか?」
声は嘲りに満ちていたが、テテポは逃げなかった。
「どうした? こぬのか? それか、わらわの力を忘れてしまったか?」
当時より魔女の邪悪な魔女が増大していた。
「まあ、分霊のお前ひとりでは、どうしようもないだろうがな」
勇気を振り絞ったテテポは前を向く。
「アナシャ……もうやめようぜ、こんなこと」
風が止まった。と思えば、突然魔女が怒り出した。
「その名を呼ぶでない!!」
咆哮だ。叫びが響いた。
彼女の右腕を覆う氷が軋みを上げる。
怯まずにテテポは促した。
「そいつを早く解放してやってくれよ。もう十分だろ?」
ジナイーダと過ごした日々に芽生えた情。不器用で露骨な態度だが、素直なところもあり、どこか憎めない存在でもあった。
「黙れ! わらわに指図するな。これはこの娘が——自ら望んだことじゃ」
声色に滲むのは怒りか、あるいは……怯えか。
「アワとも、約束したんだろ?」
ぽつりと落としたテテポの一言が、魔女の動きを、一瞬だが確かに止めた。
「約束は果たした……それにこの娘のことは関係ないわ!」
微かに表情を歪ませた後、魔女は冷笑を浮かべて言い放った。
「それに……そのヴェルディナの姫に、そんな価値があるとは思わぬがな!」
魔女は左腕を高々と掲げ、その手先から次々と氷の矢を放ち始めた。
「っ……うそっ、速い!」
慌てて身を翻したミアだったが、氷塊が肩をかすめ、皮膚がひりついた。だが、足は止まらない。止めてはならなかった。正気を失った魔女の攻撃は、最早止まるところを知らない。
必死に走ってミアは氷の矢をかわしながら訊く。
「ねえ、テテポ。どういうこと?」
「アナシャは、ジナイーダの体を乗っ取ろうとしてんだ」
また魔法をかわして訊いた。テテポもその動きに連動するように身をかわす。
「いまいち、わからないわ」
危機迫るなかテテポは言葉を探した。
「とにかく——食われちまうんだよ! 魂を」
それが欲望に呑まれた人間の、なれの果て……
「悪霊に魂を食われちまったら……そいつはもう、ジナイーダじゃねえだろ?」
逃げながらのため必死なやり取りだった。
「よくわからないけど、とにかく魔女を、あの体から追い出せばいいのね?」
もう一度、ミアの視線がジナイーダの目を見つめた。そこに残る微かな意志の揺らぎに、信じたい気持ちが込み上げる。
「その通りだ」
テテポが返事をした直後に、またしても氷が鋭く襲いかかってきた。
風を裂く音が迫る。
走りながらミアは振り返る。さっと身を翻し、咄嗟に剣で受ける。
「——それよりも。氷ってどうやって出せばいいのよ!」
ミアの焦りと叫び。さっきから見よう見まねで何度も手を振っているのに、魔法が出ない。
「イメージだ。創造だ!」
なおも乱れ飛ぶ魔女の攻撃に、周囲の木々が次々と根元から砕け散り、無惨に倒れ伏す。
「思い浮かべろ! 空気中の水分を一瞬で凍らせるイメージを」
言われるままに魔法陣を走らせたら発動した。
「できたわ!」
ひときわ大きな衝撃音。ふたつ氷の魔法が正面からぶつかった。砕けて粉になった氷が、陽光を反射して空に舞った。
「やるじゃねーか」とテテポも一緒に体を弾ませる。
だがその光景に、魔女は目を見開いて足を止めた。
「……おのれ、テテポ。精霊ごときが神に逆らうか」
戸惑いと苛立ち。今度は両手で剣を掲げ、何か強力な魔法を繰り出そうとしている。
ミアは視線を下げた。
「テテポ……あなた、本当にあんな短気な人と仲良くしてたの?」
素直な疑問を呆れたように訊いた。
「最初はアナシャだって、あんなんじゃなかった」
湖の畔、風に揺れる草原のさなか、花咲くように笑う少女の姿が、ふとミアの脳裏に浮かんだ。
それは、テテポとアナシャの記憶だった。
その温かな情景が風にさらわれて消えた時、魔女の声が聞こえた。
「やめろ、小娘! そんな目でわらわを見るでない……」
それは触れられたくない過去。振りかぶった剣が震え、魔力を増大させる。
「アナシャ……あなたって、可哀想な人ね」
悲しい人。
人々に魔女と罵られ、愛する者には裏切られ、そして……自らの手で略奪した王国の姫と想い人さえ滅ぼした人。
だから私とジナイーダに嫉妬するのね。
「知ったような口をきくな! 何がわかるか、貴様に! わらわの痛みが!」
痛みはわかる。悲劇の連鎖も。
それに——私だってこの女のせいで好きな人と離れ離れになっている。
だからこそ、いつまでもくだらない争いを続けようとする魔女の姿が、頭にきた。
「さっきから……ぐだぐだぐだぐだ、うるさいのよ!!」
ミアも全力でキレていた。
思わぬ展開に、テテポ含め魔女は唖然とする。
「こっちだってね——。あんたが、ネチネチネチネチネチネチネチネチ、付き纏ってくるせいで地獄を見てきたんだから!」
そこには全開の憎しみが込められていた。「あなた、何歳なの? テテポと一緒にいたんなら、あんた、とんでもない年寄りよね⁈」
年寄り? 久しく経験してこなかった言葉の圧に、魔女はぽかんとした。振りかぶっていた剣も下ろした。まさか、こんなに怒られるなんて。
「いつまでも子供みたいに、ネチネチしてるんじゃないわよ」
その一言に場の空気が凍りついた。
テテポも開いた口を塞ぐのを忘れたまま、ミアの横顔を見上げていた。
しばしの沈黙の後——
魔女が苦し紛れに反論する。
「わ、わらわは……神ぞ……。神の意志を受け継ぎし者……」
しかしミアは、その神の言葉を真っ向からぶった斬るのである。
「人間は愚かじゃ。何度でも、過去と同じ過ちを繰り返す。神は……それを滅ぼすよう、望まれておるのだ……」
ミアはただ魔女の瞳を見ていた。
「……あなたが、神?」
たったそれだけの問いが、静かに宙を刺した。
それと、再び腹の底から湧き上がってくる感情。
「そうじゃ……」魔女の声は、もはや自分に言い聞かせるようだった。
だが、ミアは目を伏せる。
そして——その肩が、ほんのわずか震えた。
「ふざけるな……」
唇から、低く搾り出されたその声に、テテポがぞわりと毛を逆立てた。
「お、おい……ミア、それは……」
焦ったように声をかけるが遅かった。
「そいつは……良い子に絶対見せちゃダメなやつじゃねーか……」
ミアの右手が、するりと上がる。その指先が中指を真っ直ぐに立てていた。
あまりに鮮やかに。
あまりに堂々と。
「——ふざけないで!」
その叫びは、空気を割って響いた。
「そんな神なんか、こっちが願い下げよ!」
風が唸りをあげる。
ミアは剣を握り直し背筋を伸ばした。
「……私が見ている神様は、そんな嫌味ったらしい神様なんかじゃないわ!」
「な……」
魔女の顔から、言葉が抜け落ちた。




