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魔女と足なし姫  作者: Y.Itoda
第十一章 魔法
53/63

ep.52

「遅かれ早かれ同じことです。アルベルサ王は必ずエリディオを攻めてきます」


 言い返す余地はなかった。それが正論だ。頷くことしかできない。


「……それよりも」


 本当は、それが一番訊きたかった。


「アワは? 彼はどこにいますか?」

「アワ?」


 ベクトールの眉が、わずかに動いた。不思議そうに繰り返す。


「我が国出身の魔術師のことでしょうか?」


 その様子に、ミアは瞬時に悟った。——彼は知らない。


「……いえ、大丈夫です。こちらの話でした」


 気まずさを誤魔化すように、ベクトールの視線が馬へと移る。


「しかしながら……ペガサスを乗りこなすとは。やはり、貴女はただの王女ではないのですね」


 ミアは微笑みを返した。唇の端に浮かんだものは、晴れやかなものとは少し違っていたが。

 隣にいたアロスが一歩前へ出る。


「姫様、ここから先は我らが。どうか、お身体をお労りください」


 目を伏せるようにミアは短く頷いた。


「……ありがとう。では、今日はこれで失礼させていただくわ」


 言い終わるより早く、ベクトールの手が思わず伸びる。


「そ、それは……申し訳ありません。お疲れのご様子でしたね。王宮にお部屋をご用意しておりますので——」

「お気遣い、感謝します。でも……」そっと首を振った。

「今は皆んなと一緒にいたいの」

「……かしこまりました」


 ほんの少し言葉を失ったが、ベクトールは背筋を伸ばすと、恭しく頭を下げた。


「では、避難所として整えている区画がございます。そちらへご案内いたします」



 エレナの森は、穏やかな光に包まれていた。

 木々が重なりあう奥深い緑のなかに、仮設のテントが点々と並び、枝や布を組んだ住まいがところどころに見える。

 子どもたちの声が木漏れ日に紛れて跳ね、釜戸の湯気が風に揺れていた。

 その光景を眺めミアは息をついた。


「……これなら、大丈夫そうね」


 森に暮らしていたエリディオの民と、逃れてきた人々。戸惑いを抱えながらも、彼らは言葉を交わし、手を取り合っていた。

 その様子に、ようやく声をかけようと口を開いた時、膝が崩れた。


「姫様っ!」


 思わず押さえた腹部。そこにはララポルトの戦場で負った傷があった。この痛みを知っているのは、アロスだけだった。

 周囲の心配を遮るように、ミアは微笑んだ。


「平気よ。少し、疲れが出ただけ」


 そう言って立ち上がると、ベルの(たてがみ)に手をかけた。


「アワのところへ行ってくるわ」


 そして言いながら(くら)へと身を戻す。


「アロス。あとは……お願いね」


 冗談めかした口調だったが、その声の奥にあるものはどこか遠くの方で響いた。



 空高く舞っていたベルが、羽ばたきを緩めた。ゆっくりと風を切って下降し、森の小径の脇に着地する。

 ミアはベルの毛並みに手を添えた。賢い子。私の傷の痛みを察することができるなんて。


「ありがとう。ここからは歩いていくわ」


 視界の先にはアワの家が見えていた。けれど——胸の奥に、さざ波のような騒めきがある。

 ベクトールと交わしたあの会話。

 それから、以前森のなかで現れたトンパンの、どこか寂しげな様子。

 アワを囲んでいた食卓の、やけに明るすぎた雰囲気も不自然だった。

 何かが——微かに、ずれている。

 言葉にならない違和感。

 その思考に絡まるように、腹部に鋭い痛みが走る。

 思わずミアは膝をついた。


「……痛っ」


 手を当てた服の下で、じんわりと(にじ)んでいくぬるい感触。それは血だ。


「張り切りすぎたみたいね」


 気遣うように見下ろしてくるベルに、ミアは無理に笑顔を向けた。

 そのまま背に身を預け、ぐったりと脚を伸ばす。

 草花の擦れる音が、微かに耳を撫でた。指先には、小さな虫がきらきらと舞い降りてくる。眠気が、ゆっくりと(まぶた)を重たくする。

 思えばずっと気を張っていて、まともに睡眠もとれていなかった。


「少しだけ、ここで休もうかしら……」


 目を閉じた途端、意識が沈んでいった。

 どれほど時が経ったのか。

 ベルが小さく鼻を鳴らした。

 その音に応じるように、森の空気がふっと変わる。木々の影から、淡く光る一筋の白い馬が現れた。

 一本の、黄金の角。

 月光を集めたような白銀の毛並み。


 ——ユニコーンだった。


 (ひずめ)の音もなく近づいてきたその幻獣は、そっとミアの腹部に角を触れさせた。


「え……?」


 ミアは目を見開いた。

 立ち上がると同時に、腹へと手を当てる。

 痛みが——ない。

 あれほど苦しめていた痛みが、すっと跡形もなく引いていた。


「うそ……治ってる……?」


 ユニコーンは、何も言わず、静かにその場を離れていった。

 森の奥、光のなかに溶けるように。

 ぽかんとその背を見送っていると、今度は別の声が届いた。


「けっ……なんでおれが、こんなやつの世話なんか」


 どこか間の抜けた、けれど妙に苛立たせる声だった。

 振り返ると、そこには見たこともない生き物がいた。

 水気を帯びた青い毛並みにはとても似合わぬ毒舌。ふてくされたその姿は、あまりに不思議で、どこか可笑しかった。


「……なに? あなたも幻獣なの……?」


 目をぱちくりさせたミアに、青い毛玉のような生き物が顔をしかめた。

 青い毛玉は鼻を鳴らした。


「けっ……おれは聖獣だ。一緒にするな」


 その口調に、思わず笑ってしまった。口の悪い何かのキャラクターみたいで、段々と可愛く思えてきたのだ。


「そう、それで聖獣さんは——」

「おれはテテポだ」


 言葉を遮ってからテテポは胸を張った。


「そう、テテポね。私は——」

「で、おまえはミアだ」

「え……」


 再び遮るテテポに目を瞬いた。


「どういうこと? なんで私の名前を?」


 その次の言葉では息が止まった。


「おれは不本意なんだが……率直に言ってやる」テテポは頭を掻きながら言った。

「明日の朝、伝承の湖に来い」

「伝承の湖……?」


 ミアは驚いてばかりだった。そこはアワと踊った湖だ。

 テテポは振り返らずに尻尾だけを揺らした。


「アワの居場所を教えてやる」


 それだけを言い残し、青い毛玉は森の奥へと姿を消した。

 しばらく、何も言えずに立ち尽くした。

 その夜もトンパンは姿を見せなかった。この国は間も無く戦火に呑まれる可能性があるのだ。きっと忙しいのだろう。

 幸い保存のきく食料も豊富だ。ミアはアワの家でひとり過ごすことにした。

 不思議と心細さはなかった。

 テテポが言っていた。アワの居場所を教えてやる、と。

 ちゃんと生きている。

 それだけで、気持ちがふっと明るくなる。

 それを確かめられただけで、十分だった。

 夜が深まるにつれ、森の音は静かになっていく。

 小さな家には灯りをひとつだけ残し、ミアは寝台に身を横たえた。


「……早く会いたい」


 誰にも届かない声を、ふわりと呟いた。



 朝の森は、まるで全てのことを忘れたかのように澄んでいた。

 あの夜、ふたりで辿った夢のような道を再び辿る。ついこの間のことなのに、どこか懐かしくて笑みがこぼれる。木々の隙間から差し込む朝の光が、ランタンのなか水を、燦然(さんぜん)と照らしていた。

 道のない泥濘(ぬかる)んだ深い林を抜けると青い聖獣はいた。尻尾をゆっくり揺らしながら、湖を見つめている。

 足音に気づいたのか、ちらりとこちらを振り返った。


「来たな」


 ぶっきらぼうな声だが、待ちわびていたような気配もある。

 ミアは息を切らしながら歩み寄った。焦りが胸をせき立てていた。


「アワはどこにいるの?」

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