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魔女と足なし姫  作者: Y.Itoda
第十章 エリディオ国
49/63

ep.48

「どこへ行くの?」


 アワは、ふふふと笑みをこぼす。「秘密です」

 暗闇に行き交うほのかな光を放つ草花を横目に、車椅子が止まると、「ちょっと待っててください」とアワはひとり前をいく。


 歩み寄った木には、真鍮(しんちゅう)製のランタンが吊るされていた。——いや、違う。ガラスのグローブのなかは、本来の燃える芯ではなく透き通った水で満たされていて、水面は月の光の反射で、きらきらと揺らめいている。

 アワが手をかざすと、水が応えるように光を放った。

 青白く淡い、(きら)めき。

 それはランタンのなかに生まれた小さな銀河だった。柔らかい灯りは、じんわりと足元を照らす。


「ミア様。さあ、いきましょうか」


 ミアは目を瞬かせていた。車椅子はそのまま前へと進む。光のなかで、後ろで押すアワの声が優しく触れる。


「しっかりと見ててくださいね」


 次の瞬間、自分の目を疑う。

 あろうことか、先の木にぶら下がっていたランタンも、最初の明かりに呼応するように、ふわりと光を帯びた。その先でも合図を受け渡すように、青白い灯りは途切れることなく続く。

 すごい。

 声を出すことすら忘れていた。瞬きをすることさえも。


「ミア様。どうですか?」

「あ、その——えっと」

 慌てて言葉を探すが、すぐには見つからない。

「綺麗よ」だけしか言えなかった。


 ちらりと上げた視線を先には、満足そうに浮かべるアワの笑顔があった。車椅子が進むごとに新たなランタンが次々と輝き、街道を描くように森の先を導く。どこまでも続く光の連なりは、瞳をいっぱいに埋め尽くす。

 そしてミアはこの先で、夢に描いていた御伽(おとぎ)の国へと迷い込むこととなる。

 車輪が止まり、光の道が途切れた。

 そこは、暗い闇に包まれた木立で立ち塞がっていて、魔法のランタンの灯りも見えない。


「この先は……車椅子では進めません」


 アワは片膝をつき腕を広げた。


「どうぞ」彼の瞳が月明かりで揺れている。


 言われたそのままに身を寄せて手を伸ばした。でも、アワの体に触れる寸前で躊躇(ちゅうちょ)した。今さらながら照れ臭い。何だか恥ずかしかった。

 その気配を察したのか、コホンとわざとらしく咳をしてから小さく笑うと、アワは意地悪そうに口角を上げた。


「さあ、行きますよ」


 包み込むように身体は抱きかかえられ、ふわっと地面が遠ざかった。彼の体温だけが近づいた。 

 アワの腕に抱かれたまま、ミアは深い森の奥へと運ばれていく。

 ぬかるんだ足元を覆う草の音は、ささやきのように微かで、枝葉がときおり肩を掠めた。

 頭上を覆う木々の隙間から、ほんの少し月の光が落ちてくる。しっとりと湿った空気に、どこか懐かしさを覚える。

 さりげなくミアは目を伏せていた。自身の鼓動を聞かれないようにして。

 やがて辿り着いた風の音すら届かない森の奥の奥。世界が音を失ったかのように静まり返っていた。そこは、時間の流れさえ忘れ去られたようにぽつりとあった。

 思わず、ミアは包まれた腕のなかで顔を上げた。

 いつかの夢で見た、どこか(はかな)い幻想の世界。

 けれど、彼の腕のぬくもりだけが、確かに現実を教えてくれている。


「ここは……?」


 目を疑った。

 そこに広がっていたのは、月灯に沈む湖だった。水面は一枚の鏡のように凪ぎ、夜空を映し取り、輝く星の破片をそのまま閉じ込めていた。

 ほとりを囲む空間の縁には(もや)が見える。それは外界との境界をぼかし、この場所をひとつに閉じ込めた、泡のように淡くたなびいている。


「ここはエリディオ国で古来から伝わる湖です。王族ですら踏み入れることが禁じられている場所です」


 アワはゆっくりとミアの身体を降ろした。

 地べたに座る目先には、水辺が月灯に揺れている。虫もいた。きらりと光を放って飛んでいる。静寂が、(きら)めいていた。

 光を全身に受け、アワは柔らかく微笑んでいた。そして、再びコホンとわざとらしく咳払いをひとつすると、背筋を正し、胸元に手を添えて、優雅に一礼する。


「さあ、参りましょうか。ミア姫殿下」


 王族らしい所作で手を差し伸べた。

 ミアは腰を下ろしたまま、ぽかんとその姿を見つめていた。凍った脚は動かない。

 その時だ。目の前の光景が音もなく変わる。

 アワの体が浮いていた。月の光を浴びて、まるで重力から解き放たれたように。


「え……? な、なに? これ、夢……じゃないわよね?」


 ——痛た。頬をつねると、確かな痛みが走る。


「夢なんかじゃありませんよ」


 アワは楽しげに笑った。


「肩の力を抜いて。深呼吸です。はい、吸って……吐いて……。いいですね、そのまま」


 言われた通りに息を整え、ミアは瞳を閉じた。

 大きく息を吐いて目を開けると、そこには再び差し出されたアワの手があった。月明かりを映すその瞳で、ほんのり笑顔を浮かべる。


「さあ、行きましょう。……約束、ですから」


 手を取った瞬間、ふわりと身体が浮き上がった。

 空気が頬を撫で、地上の草木が、次第に離れていく。


「怖くありませんか?」


 優しく問われ、ミアは首を横に振って笑みで応えた。

 気づけば夜空を映す湖を見下ろしていた。上にも下にも煌めく星のダイヤモンドに挟まれ、ミアはうっとりと目を細める。

 アワはその様子を、じっと見つめていた。眩しそうに、けれど楽しげに。

 そしてミアの手をそっと離して距離を取ると、鼻歌まじりに肩の力を抜いて、空中を一歩、また一歩と踏み出した。口をちょっこりと尖らせ、気取った仕草でこちらを挑発するように。

 初めて見せたそのおどけた表情が、ミアには何よりも嬉しかった。

 脚は……大丈夫。ほんの一瞬、頭を過ぎった不安は、彼の舞踏会さながらのステップを目にしたとたん、霧のように消えていた。

 気づけば足が動いていた。

 ミアは色とりどりの小鳥たちを引き連れ、負けじと宙を舞った。月に照らされたドレスは波のように揺れ、亜麻色の髪が光の粒をはねて、きらきらと弧を描いた。


 どうかしら?


 ミアがそう言いたげに顔で挑発すると、アワは驚いた様子で目を丸くしてから、にこりと笑い、両手を広げて応えた。前を向き直して、もう一度、黒い髪を肩で揺らしながら、リズミカルにステップを踏み始める。

 ミアも、まあ? と大袈裟におどけて見せてから、負けないわよと、ドレスの裾をそっと両手でつまみ、可憐な足捌きで応戦する。

 ふたりは、今にも歌い出しそうだった。

 何だろう?

 ちょこんと肩にいた小鳥が飛び立ち、その先に視線を向けて不思議に思う。

 するとアワが笑みを覗かせて、合図のように、宙に浮いていた体を突然落下させていく。


「——え! 大丈夫?」


 驚いたミアは思わず手を伸ばすも、アワは笑ったまま空を滑るように降りていった。

 誘われるようにミアも体を傾けた。

 全身の力を抜くと、そのまま下へするする落ちていく。胸が高鳴る。この世界では思いのまま体が動く。

 輝く星の下、ふたりは湖面へと舞い降りた。

 波ひとつない水面に、星たちと寄りそって微笑み合うふたりの姿があった。

 水面(みなも)が揺れた。

 アワは一歩、そしてもう一歩と近づく。その佇まいは、もはや辺境の魔術師の面影はなかった。洗練されたひとつひとつの所作。

 胸に手を添え、エリディオ国の王子は片膝を折って深々と頭を垂れた。


「踊っていただけますか。ミア姫殿下」

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