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魔女と足なし姫  作者: Y.Itoda
第十章 エリディオ国
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ep.46

「お久しぶりでございますな〜。坊ちゃん」


 手にしたランタンの灯りの元「いや、いやあ……」と、口元の豊かな髭が特徴的な男は、両手を大げさに広げ、まじまじとアワを見つめた。満面の笑みと親しみやすい表情から、人柄の良さがわかる。


「……坊ちゃん、よくぞご無事で。すっかりお変わりになって……! まるで別人ですなあ……」


 目尻を押さえ、感極まったように涙まで(うる)ませている。


「トンパン、話は後だ」


 アワの真剣な顔に、トンパンの背筋はすぐにぴんと伸びた。

 この街は今、落ち着きがない。油断すればまた拘束されるかもしれない。急いで離れなくては。


「承知いたしました! 坊ちゃん、どうぞお乗りください!」


 そう叫ぶやいなや、重たそうな体を見事に(ひるがえ)して、トンパンは運転台に飛び乗った。

 エリディオ国までの道のりは平坦ではなかった。それでも月明かりを頼りに、山裾(やますそ)に広がる森を抜け、谷沿をひたすら馬車で走った。夜は長く、静寂は深い。

 トンパンは強く握っていた手綱を緩める。

 馬が足を止める。後ろの気配に、何か異変を感じ取ったのだ。


「坊ちゃん、いかがなされましたか?」


 後ろを向いて声をかけると、すぐにアワの声が返ってきた。


「少し速度を落としてくれないか。……馬車が、揺れる」

「で、ですが……」


 困ったトンパンは眉をひそめた。まだ、ヴェルディナ王国の領域内。追ってこそ来てないが、危険は拭えない。

 アワの声色が変わる。


「わかってる。でも……ミア様の具合が悪いんだ」


 ミアは肩で浅く呼吸し、額には玉のような汗が噴き出ていた。表情は、発熱のせいだけではない不安が見える。

 かろうじて彼女の唇から言葉が漏れた。


「……お母様……お父様……」


 切羽詰まった、幼子のような涙声。


「ぼくがついてます。安心して……眠ってください」


 そっと手をかざし、魔法を施すと、ミアの呼吸は徐々に穏やかになり、(まぶた)がゆっくりと閉じられていく。

 ここ数日、ミアはろくに食べもせず、まともに眠る事さえできていなかった。

 やがて、静かな寝息が夜の闇に沈んだ。

 トンパンに向けて、もう一度だけ言った。


「お願いだ。……せめて熟睡するまでは、このままで」


 一瞬の沈黙の後、トンパンはにこりとした。


「かしこまりました。坊ちゃんの仰せの通りに」


 明けない夜はない。東の空に、白く淡い光が差した。ようやく国境は越えた。森の木の陰で馬を止め、ひと息だけ休む。

 トンパンが荷から取り出した朝食は、干した豆と木の実、それから乾いたパンを少し。火を使用せず、音も匂いも極力立てないように気を配った。

 ミアは憔悴(しょうすい)しきっていた。

 木の実をひとつだけ、かろうじて口にすると、アワに促されるまでもなく、再び彼の肩にもたれて眠りについた。

 馬車はそのまま、目的地を目指した。

 ララポルトを発って三日が過ぎ、山道を抜けて、川沿いの道へと入る。

 穏やかに流れる水の音と、木々の間から差し込む光が揺れていた。雪の気配はなかった。地面にも白い痕跡はどこにもない。

 また森を抜けて、ようやく見えた街並み。木々の合間から、遠くの方に映る。ここまでの道のりで更に三日を有した。


「……魔女の呪いの影響、なんでしょうか」


 手綱を握るアワの隣で、トンパンが呟いた。

 ミアの体調は依然として思わしくなかった。浅い眠りを繰り返し、顔色は()えず、食事もほとんど喉を通していない。


「いや、気配はずっとない」

「となると、精神的な問題となりますな」


 アワは静かに「そうなる」と答える。


「それに、氷の魔女がやれる事は、もう限られているしな」


 その言葉の真意までは理解できなかったが、トンパンはそれ以上深くは問わず小さく頷いた。


「本当にこのまま、エレナの森へ入るので?」


 アワの声は変わらなかった。


「ああ、かまわない。あの魔女も、きっとそれを望んでいるはずだから」


 しばらく沈黙し、トンパンは前を向いたまま唇を引き結んだ。


「よくわかりませんが。坊ちゃんがそう仰るなら、お任せするまでですな」


 トンパンが再び手綱を手にして一刻、馬を走らせると、やがて木々の密度が薄れ、空がひらけてくる。

 エリディオ国の奥地に広がる、豊かな水と緑に包まれた静謐(せいひつ)な土地。——エレナの森だ。

 主要の街へは寄らず、普段の道は避け、迂回路(うかいろ)の山道の獣道を選んでやってきた。

 トンパンは大きな声を上げる。


「——御二方ー! もうしばらくの辛抱ですぞー!」


 そして、森の奥深くに——それはあった。


「……ミア様。着きましたよ」


 アワに呼ばれ、目を覚ましたミアは、まだ寝ぼけているのか一瞬、状況が呑み込めずにいた。


「ここは……どこ?」はっとして体を起こすと、突然取り乱し始めた。

「どこなの! ここはどこ? 早く私を帰して!」


 怯えた様子に、アワは落ち着いた口調で語りかける。


「大丈夫です。恐れるような場所ではありません。……ほら、窓の外を見てください」


 促されるまま、その視線の先には、鮮やかな緑の世界が広がっていた。柔らかく降り注ぐ木漏れ日に、草花が風に揺れて輝いていた。


「さあ、行きましょう」


 アワは彼女をそっと抱き上げ、優しく告げる。


「ぼくの家です」


 陽の光を背に、ゆっくりと地面に降り立つと、ふたりを歓迎するかのように、木々から数羽の小鳥が、(さえず)りを奏でて飛び立った。

 森にひっそりと佇む石造りの家。

 外壁には蔦が()い、屋根は少し傾いている。けれど、扉も窓もきちんと保たれ、暮らしの気配を残していた。

 それは不思議と人の温もりを感じさせた。


「ミア様、どうぞ。準備しておきました!」


 先に家に入っていたトンパンが、車椅子を押して現れた。


「よろしければ、森を散策なさってください。きっと、気持ちも少しは晴れるでしょう」

 アワが「いまから?」と問いかけると、トンパンは「いやまあ……」と頭をかいた。

「坊ちゃんから、要請の手紙を読んで、慌てて出てきたものでして。なにより、坊ちゃんが初めて淑女レディをお連れになったんです。このトンパン、張り切らずにはいられませんぞ!」


 そう言って、トンパンはふたりを手で追い払うようにして笑った。


「さあさあ、お若いおふたりは行った行った!」


 少し苦笑しながら、アワはミアの車椅子を押した。

 見送る声が背中に届く。


「夕食にはお戻りくださいねー!」


 ふたりの影が森の奥へと消えていくのを、トンパンはしばらく見送っていた。

 やがて、ぽつりと独りごとのように声を落とした。


「……水の聖獣様は、今もそちらに?」


 目にはテテポの姿は映っていない。ただ、何となく風に舞う存在が、近くにいるような気がした。

 隣で、テテポも小さくなっていくふたりを見ていた。


「聖獣様。どうか、おふたりのことをよろしくお願いします」

「けっ」と、それに応えるように、テテポは鼻を鳴らす。

「相変わらず、暑苦しいおっさんだぜ」


 その口ぶりとは裏腹に、どこか嬉しそうだった。テテポは音もなく森の影へと消えていく。

 トンパンの耳には、ただ透き通るように澄んだ森の騒めきだけが残る。



 散歩の道すがら、ミアは何も言わなかった。

 鬱蒼(うっそう)と茂る深い森。その合間を縫って降り注ぐ淡い光はとても神秘的で、一瞬にして心奪われた。

 まるで天の帳から垂れた細糸ほそいとのように、幾筋いくすじものもやまと光芒こうぼうは、いにしえ森床しんしょうに吸い込まれていく。

 ここが、エリディオ国。

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