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魔女と足なし姫  作者: Y.Itoda
第九章 断罪
45/63

ep.44

 聞き覚えのある、女の声だった。

 そのひと言だけで、ミアは全てを悟った。何度も夢に出てきた、あの声。自分を痛めつけ、(もてあそ)び続けたあの響き。

 魔女だ。アナトリーも呪いに取り込まれている。

 見下す(うつ)な視線で、口がわずかに動いた。


「死ね。人間よ……」


 剣が振り下ろされる、その時だ。

 勢いよく大聖堂の扉が開き、差し込む光が氷の剣を照らし出した。

 その刹那、清流の如き水の弾丸が、アナトリーの体ごと吹き飛ばす。

 (まばゆ)い光のなか、ミアは思わず目を見開いた。

 光が差し込んだのだ。あの日、彼と初めて会った日と同じように。宙に散る(きら)めく水滴が、頬にひと(しずく)触れた。

 あの光景が浮かび上がる。

 アワが魔法で窓を壊し、暗い部屋に差し込んだ陽の光を。


「な、なんじゃ貴様はっ!」


 ずぶ濡れの老害の叫び。ヴォルフは顔を真っ赤にして後ずさる。


「貴様には関係ないじゃろう! 辺境の魔術師ごときが邪魔をするでない。今、王国全土を揺るがす裁きが下されるとこなんじゃ——!」


 アワは老害に目もくれない。そのまま歩みを止めず、ただ宣言した。


「——我は、エリディオ国、第二王子ベルナール・エリディオである!」


 その放たれた名は、大聖堂の空気を一変させた。


「三国の盟約を破り、無実の者に剣を向けるなど——そのような暴挙、見逃す道理はない!」


 列席していた王侯たちが騒めく。誰かが「まさか……」と呟いた。

 顔を(ゆが)めるヴォルフ。「死んだはずの王子が、こんなところに……そんなはずがあるかっ!」


 ここでようやく、アワはヴォルフを見据えた。


「老臣風情が、口を慎め」


 それだけを言い捨てて、再び前を向いた。

 立ち上がったアナトリーが、氷の剣を構えている。


「おのれ……ベルナール。また、わらわの邪魔をするか……」


 魔女の意志そのままに、次の一撃を放とうとしていた。


「全ての者に告げる——」


 アワは声を高めた。


「ここから先は戦場となる。命を惜しむ者は、すぐに退くんだ!」


 アナトリーの一閃。

 一太刀、斬り伏せるように剣を振り抜くと氷の斬撃が襲う。アワは手を前にかざして氷の盾を生み出し、迎え撃った。

 激突。

 砕けた氷が飛び散り、堂内の壁を深く削る。

 その惨劇に悲鳴を上げる王侯貴族たちは、一目散に扉の外に逃げ場を求めた。

 ゆっくりと近づいたアワは、ミアの肩にそっと手を置いた。

 驚いた表情のまま、彼女は言葉を失っている。


「ど、どうして……ここに?」


 ようやく絞り出した震える声を耳にしただけで、彼女がどれだけ辛い思いをしたのかが伝わってきた。


「ベルナール? あなたはベルナールだったの?」


 突然の事でミアは混乱していた。洗練された見違えるほど整ったアワの服装のせいもある。

 けど、次の言葉で()に落ちる。


「言ったでしょう?」


 彼は微笑んだ。いつもと変わらない雰囲気を装って続ける。


「ピンチの時は、いつだって駆けつけるって」


 いつもの笑みだ。それは紛れもなくアワだった。

 ほんの少しだけ、ほっとした顔を浮かべたミアの体が、車椅子ごと水の泡に包まれる。


「すぐに、片づけます。しばらく待っててください」


 前方を見たその顔に、もう笑みはなかった。

 アナトリーは執拗に剣を振るい、繰り返される氷の斬撃は、天井を裂き、床を(えぐ)り、そびえ立つ柱をも削っていく。ミアを後ろにして、アワは一撃ごとに氷の魔法をぶつけて打ち消していく。

 気づけば、辺りは音もなく崩れ落ちていく瓦礫(がれき)の残響だけが耳につく。


「こざかしいやつめ……」


 魔女の声でアナトリーは言う。


「アワ様!」


 別の声だった。崩れかけた扉の方から飛び込んできた。


「私もミア様の隊の者です。——どうかお力を!」


 城まで案内してくれたポールが駆け込んできた。腰に据えた剣が、彼の覚悟を揺るぎないものとしていた。

 アワの肩にのしかかっていた荷が、ほんの少し軽くなった。ミアを背にしたままでは本気を出せなかった。

 首だけをわずかに後ろへ向けて告げる。


「ミア様を」

「いや……嫌よ!」


 ミアがかぶりを振った。怯えた瞳で、アワを見上げる。


「もう……あなたと、離れたくないわ!」


 ゆっくりと膝を折ってアワは視線を合わせた。彼女の潤む目蓋まぶたの裏に、そっと言葉を置く。


「大丈夫です」


 ほんの少しだけ、笑ってみせた。


「今度こそ、約束します。必ず、あなたを呪いから解放します」


 ポールが駆け寄り、車椅子の柄を握った。


「ミア様、こちらへ! ここは危険です。とにかく外へ!」


 そのまま一目散に扉へ向かったふたりは怒鳴られる。


「待たんかァ!」


 枯れた怒声が、逃げ惑う足音に割って入った。

 壊れた長椅子の裏に、ヴォルフはいた。あまりの恐怖で身を隠していたくせに、弱い者には強気な態度をとる、なんとも情けない老害だ。


「また貴様の悪だくみじゃろ⁈ 毎度毎度、邪魔ばかりしおって——このこざかしい小娘が!」


 その姿は見るに()えなかった。服は砂と(ほこり)にまみれ、髪は鳥の巣のように乱れていた。もはや、かつての威厳など地面の(ちり)ほどの価値もない。

 怒りに任せた容赦ない蹴りがミアに向けて振るわれた。しかしその足は、彼女を保護する水の魔法の膜にぽわんと弾かれる。


「ぬおっ⁈」


 勢いのままに後ろへ飛ばされたヴォルフは、そのまま尻餅をついた。


「危ない!」


 アワがそう叫んだ時には、もう遅かった。

 氷の斬撃をアワが迎え撃ったその余波が、背後の柱を直撃した。柱が鈍い音を立てて崩れ落ちる。


 石の粉が舞い上がり、「た、たす……」ヴォルフの声は、落下した瓦礫の轟音(ごうおん)に掻き消された。

 それはあれほど粘着質だった老害の、あまりにあっけない最期だった。

 堂内には濛々(もうもう)と白い煙が立ち込めた。

 ミアたちの駆ける音がなくなってから、アワは大きく息を吸って吐いた。


「もう、終わりにしよう」


 言葉は確信を()いていた。魔女と魔法を交わすうち、その水のなかの記憶をぼんやりと見ていた。そこには、怒りと憎しみに溺れる前の彼女がいた。


「君は、この物質世界では本来の力を発揮できない。だから人間の体を使うのだろう?」

「くっ……」対峙するアナトリーの顔が、わずかに引きつる。

「何が言いたいんじゃ?」


 剣を構え直した彼に、アワは首を振った。


「遊びは終わりだと言ってるんだ。こんなことを続けたところで結末は同じなんだろう?」

「まさか、お前は……」


 魔女の声が震える。


「わらわの記憶を、覗き見たのか?」


 アワは小さく笑った。


「図星か」


 アナトリーの目に、怒りの色が濃く差し始めた。その感情に交差した恥じらいは、魔女が初めて見せた人間らしさでもあった。


「わらわは神じゃ! 神に逆らう愚か者が!」


 また激高して剣を振りかぶる。一瞬で空気が張り詰め、氷の気配が怒涛(どとう)のように押し寄せる。

 アワは右手を天へと掲げた。


「清流の龍よ。天を巡り、地を満たし、(けが)れを払わん。我が声、風に乗り、すべてを(うるお)し、我が力、光を裂き、邪悪を流し去れ」


 虚空に、水の門が静かに浮かび上がる。

 その奥から現れる青白い光を(まと)った水流。うねる水は螺旋(らせん)を描き、やがて龍の姿を成す。

 長大な尾と双角を備えた化身は、迫り来る氷の魔法を呑み込みながら、そのままアナトリーもろとも水のなかへ閉じ込めた。

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