ep.42
ミアのなかで、薄々感じていたことがはっきりと確信に変わった。
こうして囚われの身となっていること自体が、すでに全てを物語っていた。もはや、王都には自国の王女ひとり守れぬほどしか力が残されていないのだ。罪の濡れ衣を着せる領国の横暴にすら抗えないほどに。
ヴォルフは「しかし、あれですなぁ」と、くたびれた袖を払うと、憎らしいほどに悠々と背筋を伸ばした。
「あの、ヴェルディナの王女が声も出せないとは。ずいぶんとお静かですなぁ?」
軽蔑すべき老いの象徴ともいえる男は、笑みを口元に浮かべ、喜びを隠す気すらない。というのも、ヴォルフもかつて、天真爛漫だった頃のミアに振り回された内のそのひとりだった。
「いい気味ですなあ、まったく」にたにたと笑いながら、ヴォルフは舐めまわすようにミアを覗き込み、ひとりで好き勝手話し始めた。
「あの忌々しかったアロスも、もういない。王女もこのざま。亡きローラ王妃が築いた勢力も、もはや見る影もありませんな。王国随一といわれた軍だ……これで我が国もようやく安心して王国を支柱に据えることができますわ」
身じろぎひとつしなかったミアのまぶたが、アロスの名に少しだけ反応した。その死は、ここへ運ばれる道中、兵の会話で耳にしていた。
それはミアにとって、何よりも耐えがたい事実である。
「それに」ヴォルフはさらにミアを見下すように声を上げる。
「——こうなったのも、貴様がエリディオ国に鉄道を引くなどと戯言を抜かすからじゃ! 好き勝手、王女をやっておればよいものを鉄道など建設して、王侯貴族の間で何が起きるかも分からなかったのか?」
幻獣のコレクションを裏で集める貴族たちは、着実に数を増やしていた。だが鉄道が整備されれば、密輸は難しくなる。下手をすれば、エリディオ国とミアの勢力の間で規制が課される恐れもあった。
その渦中にいたヴォルフは、闇取引の中心にいたアールネと手を組み、それを阻止しようとしていたのだ。
ヴォルフが鼻で笑う。すると門兵に扉を開かせ足を踏み入れてきた。
「貴様のせいでアールネが死んでしまったではないか! 何もわからん小娘が、余計なことばかりしよって」
もはや怒鳴り声だった。
だが、ミアはぴくりともしない。
「まだ喋らぬか」
苛立たしげにヴォルフは杖を強く握る。
「さっきから何を黙っておるんじゃ!」
「……うっ」
鉄の味がした。杖で頬を叩かれた。口のなかが切れたようだ。
「辺境の魔術師を、どこへかくまった?」
元より曲がった背をぐいと身を屈め、老臣は覗き込んできた。
「やつの暗殺を命じたのに、突如、姿を消しおった……また貴様の悪知恵じゃろう?」
自分の耳を疑った。アワを暗殺?
脳が拒絶しようとした。理解すまいとした。
「な……な、な……」
喉の奥が焼けつくように震えた。声がかすれて言葉にならない。
いつまでも声を震わせるばかりのその様子に、ヴォルフは露骨に眉をひそめた。
「だったら話せるようにするまでよ」
そう言ってから、床に置かれた水差しを手に取ると、ミアの髪の毛を乱暴に握りしめて顔を持ち上げ、そのまま口元にねじ込んだ。
無理やり流し込まれた水に、ミアは激しく咳き込む。
「とっとと飲まんか! 居場所はどこじゃ? 魔術師をどこへ隠した!」
必死に呼吸を整えた。彼がこの世界からいなくなるなんて、考えたこともなかった。ましてや、自分のせいでなんて——
「絶対に嫌っ。アワは関係ないでしょ!」
どうにか声を絞り出すと彼の顔が浮かんだ。
あの優しい笑み。人々に寄り添い、魔法で傷を癒していたあの姿。——そんな彼の笑顔を奪うことなんて、絶対に許せなかった。
どうせ一度は捨てた命だ。けれど、彼だけは——アワには穏やかに生きてほしい。
「——殺すなら……私を殺しなさい!」
ヴォルフはミアの迫力に表情を歪める。自分の弱気な性格を掻き消すために虚勢を張ると、その細い目で獲物を定めるように射抜いた。
「誰が一丁前に叫べと言った?」
杖の先端を、まるで彼女の存在そのものを消し去るかのように、ぐりぐりと頬に押し付ける。
「どのみち貴様は今日、処刑される身じゃ。余計なことを考えるな! 早くあやつの居場所を言え。残りの危険分子はやつだけなんじゃ」
「——嫌……絶対に、嫌よ!」
頬に走る、えぐられるような痛み。骨が軋むほど床に押し付けられた顔は、皮膚が張り付くように冷たい。それでも、震える手で杖を握りしめた。
——アワ。
どうか、エリディオ国へ逃げて。この国はもう、あなたのような心のきれいな人が踏み入れる場所じゃない。
彼は平民の身。あなたをこんなくだらない権力争いに巻き込みたくない。
「な、何をするんじゃ」
ミアは杖を奪い取り、迷いなく遠くへ放った。乾いた音が牢に響く。
「こ、この小娘……あくまで答えぬつもりか」
たじろいだヴォルフは髪振り乱して声を荒げた。
「だったらその空いた口を塞ぐまでじゃ!」
そして、そのまま怒りに任せて再び髪を掴むと、床に置かれていた食事を、ミアの口に無理やり押し込んだ。
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領都の冷え込みは、想像をはるかに超えていた。馬車のなかにまで、痛みを伴う冷気が肌を刺す。
アワとテテポにはわかっていた。間違いない。氷の魔女の気配が、もうすぐそこまで迫っている。
アワは悴んだ指先を懐へと忍ばせた。
ヘッラから別れ際に託された手紙。
『姫様のお気持ちです。どうか受け取ってください』
ミアが恥ずかしがって出せなかった、とも言っていた。
そのようなものを勝手に読んでもいいのだろうか。
けれど、思い浮かんだ真っ直ぐな眼差しで懇願するヘッラの姿が、アワの背中を押した。
アワへ
この手紙を書くのにすごく勇気がいりました。
本当は、こんなこと言葉にするのが一番苦手です。
でも、あなたがまたララポルトを離れるって聞いて、伝えなきゃって思いました。
あなたがいてくれて、本当によかった。
誰にも言えなかったことを、たくさん受け止めてくれてありがとう。
私のわがままにも、呆れながら付き合ってくれたこと、ちゃんと感謝しています。
ずっと、笑っててほしいです。
アワの笑顔を見ていると、少しだけ、自分のことを好きになれるんです。
早く帰ってきて。
わたしが、待ってます。
好きです。
ずっと、わたしの側にいてください。
しばらくの間、手紙から視線を離せなかった。じっとその場に座っていた。雪の舞う窓の外とは対照的に、胸の奥が熱い。
彼女がどのような思いでペンを走らせたのか。一字一句を追うたびに、彼女の情熱や愛情を感じ取ることができる。
凍えた指先にまで、火が灯った気がした。
静かだった。雪を踏みしめる車輪の音だけが、耳に届いた。
そのなかでアワの声が響く。
「さきほどの話、本当に間違いないのですか?」
前方で手網を引く男は、フードを取り短く頷いた。
「はい。確かな筋からの情報です」
身なりは、ごくごく街にいる普通の格好をしてさえしていたが、その目は確かな忠誠の色が宿っていた。ミアの勢力に属し、かねてより領都に潜伏していたひとり。名はポールといい、アロスが遺した密使だ。
「ミア様は本日、アルベルサ城内にあるアギア大聖堂にて、『裁きの儀』を受けます。しかも、その場で処刑も同時に執行されるとの話です」




