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魔女と足なし姫  作者: Y.Itoda
第八章 氷の刃
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ep.40

「ミア! まだ、そのお茶は……熱すぎるんじゃなくて?」


 突如声が上がったのは、その時だった。テーブルに置かれたカップからは熱々の湯気が立つ。目の前のそれに手を付けるところだった。

 唐突に響いた強張った声色に、ミアは目を瞬いた。


「……そうね。まだ、ちょっと持てないかも」


 確かにと、視線を茶に戻せば、場違いなほどにいきり立つ湯気は、とても褒められたものではない。

 ただ——やっぱりおかしかった。

 ジナイーダの落ち着きのなさが気になって仕方なかった。まるで、何かとんでもない罪を犯した犯罪者のような怯え方だ。

 どうしたのかしら……。

 そんな心配を他所に、ジナイーダの心はすでに限界を迎えていた。

 理由は、あまりにも単純だった。

 ミアの茶には毒が仕込まれている。

 領国の姫に課された指令は、ミア・ヴェルディナの毒殺。

 ジナイーダはミアを憎んでいる。

 それは紛れもない事実。

 何をしても敵わず、幼い頃から、ただ一度も勝てたことがない。劣等感はいつしか憎しみに変わった。

 けれど——それでも『死』を願ったことはない。悔しくはあっても、消えてほしいとまでは思わない。

 だけど、父バルドゥルの(めい)に、逆らうことはできなかった。アールネを手にかけた今、領国の姫の立場はもはや危うく、口答えすら許されない。

 バルドゥルの本来の目論見は、アールネを使ってミアの勢力を排除することだった。だが、その計画が崩れ、強行手段に出た。

 耳の奥で、氷の魔女の声が忍び込む。


 ——いいぞ。そのまま王女を()ってしまえ。


 もはや、ジナイーダの右手は魔女の呪いに侵されていた。

 手袋のなかの震える指先が窮屈になり、声が続く。


 ——やっと、憎き雌ギツネをやれるではないか。


「——うるさいっ……!」


 ジナイーダはひとりでに叫んだ。


 誰に向けてでもなく、心の奥に巣食う声へと。


「……?」


 ミアが心配そうに覗き込むと、ジナイーダは白いテーブルクロスの上で、右手を左手で覆い隠した。


「ジナイーダ。ほんとに大丈夫?」


 ミアは心から気にかけていた。


 それは、彼女がアワに声をかけてくれなければ自分の命は今なかったからだ。アワをスラティハールの屋敷に向かうきっかけを作ってくれたのは、他ならぬジナイーダである。

 そのことを耳にしてからというもの、ミアの心には感謝の思いが芽生えていた。

 ふと、視線が自分の手元に注がれているのを感じた。ミアはその手を軽く手を上げ笑みをこぼした。


「……ああ、これ」


 恥じらいを隠すように、ミアは指先をそっと撫でる。


「さっき、パイを作ってた粉が、まだ付いてたみたいね」


 指先にうっすらと残る白い粉と、頬に浮かぶ、はにかんだ笑み。

 その無防備な仕草に、ジナイーダの右手がぴくりと軋んで、何か心にざらつくものが湧き上がる。パイは、アワ様のために焼いたものだ……間違いなく。

 それに合わせるようにして、またどこからともなく女の声が耳元で語りかけてきた。


 ——殺ってしまえ。憎き女を。さすればアワはおまえのものになる。


 視界が茶に吸い寄せられた。

 ミアの前、白く湯気を上げるカップ。

 あれを飲めば——

 喉が締まった。唾を飲む音さえ、骨に響いた。

 けれど、突然、廊下の向こうが騒がしくなる。

 人の声が混ざって、床を伝ってくる。


「……うるさいわね」


 ミアがぽつりと呟いた。何も気に留める様子もなくカップに手を伸ばす。 その一挙手一投足が、鋭い刃のように見えた。

 ジナイーダは動けなかった。 視線はミアが手にするカップのみに注がれる。 部屋の外の雑音よりも、脈打つ自分の鼓動の方がうるさかった。

 終わる。これで全てが。自分に何度も言い聞かせるようにして、そう、覚悟する自分に何度も言い聞かせるようにして、そう、覚悟した。

 なのに、どうして——白々しい雌ギツネ。そう(ののし)るはずだったのに。

 ミアはカップを口に近づけると、表情をぱっと明るくする。


「パイ生地を作るの、これで三回目なんだけど、なかなか上手くいかなくって」


 不覚にも、その言葉が、ジナイーダにはあまりにも温かく聞こえてしまう。


「そういえばジナイーダ。あなた、お菓子作り、得意だったわよね?」


 笑っている。心から。

 わたくしを、まだ——信じている。


「今度、教えてもらおうかしら。あなたに」


 ぱちんと、何かが砕ける音が、胸の奥でした。

 信じられなかった。

 わたくしを、そんなふうに見ているなんて。

 憎んできた。比べて、(ねた)んで、呪った。

 なのに、どうして。

 ミアの表情には、疑いも、警戒もない。

 その笑みが、あまりにも優しくて、残酷だった。

 ひどい女。

 どうしてそんな顔をするの。

 右手が痛む。脈を打つたびに、氷がひび割れていくような痛み。

 殺せと(ささや)く女の声が、また耳のなかで(まと)わりつく。

 けれど。

 言葉にするよりも体が動いていた。

 ミアが手にしたカップを口へ運んだ瞬間、ジナイーダは立ち上がり手を伸ばす。 そして奪い取った勢いそのままに、自らその茶を飲んだ。


「——ジナイーダ!!」


 ジナイーダがその場に倒れて、ミアの叫びが無情にも部屋に響いた。

 正気を失った両国の者たちが次々と、血相を変えて部屋のなかに押し寄せてくる。

 誰かが叫び、誰かが名を呼び、怒号と混乱のなかで誰かが膝をつく。


 

 この後は、全てが転がるように落ちていった。

 大切に(つづ)ってきた手紙が、破かれるように。

 一個一個、紡いできた言葉も、想いも、ばらばらに紙屑となって散っていった。

 その時がきてようやくわかる。

 これが、戻れぬ頁を(めく)った音だったのだと。

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