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魔女と足なし姫  作者: Y.Itoda
第八章 氷の刃
39/63

ep.38

「バルドゥル王、直々の言伝にございます」


 淡々とした言葉が苛立ちを加速させた。


「ヴォルフ、あなた、年寄りの戯言(たわごと)ではなくて⁈」


 大きく響いたジナイーダの声は、辺りにいた使用人たちを騒然とさせた。その目はキッと吊り上がり、鋭い眼差しで、よぼよぼの老臣を(ひる)ませる。

 だがヴォルフはすぐに(あご)を引き、背筋を張って見栄を保つ。


「ジナイーダ様もご存じの通り、お父上に二言はございますまい」

「——どきなさい!」


 吐き捨てるように言うと、ジナイーダは老臣の肩を押しのけ、ドレスの裾を翻して歩み去った。

 怒りの熱が、胸の奥から突き上げてくるようだった。

 回廊を進む足音が石床に高く反響する。すれ違う者たちは皆、視線を伏せ、壁際に身を寄せる。誰も口を開こうとはしない。


 どういうこと?

 断ったはずよ。

 なぜ、婚約の話が進んでいるの?


 迷うことなくジナイーダは兄の部屋へと向かった。お兄様なら何か知っているはず。何とかしてくれる。そう信じた。

 扉の前には、やはり衛士がふたり立っていた。互い視線を交わし困った表情を並べる。


「……ジ、ジナイーダ様。本日は——」

「嘘よ!」ジナイーダは言葉を切り捨てる。

「お黙りなさい! わたくしを誰だと思って? 開けなさいと言っているのよ!」


 肩を押し退け、取っ手へと手を伸ばす。だが、ふたりは壁のように立ちはだかったまま、微動だにしない。

 沸々としていた苛立ちが一気に()ぜた。


「——どいて!」


 そして、力任せに押し開けた先——そこには、誰もいない。

 静まり返った室内。空気は薄く、吐息すら白くなりそうな冷たさが漂っていた。


「……何なの、これ?」


 そこはまるで、氷の底に沈められた部屋だった。



 再び廊下にヒールの音を響かせながら、従者を呼びつける。


「お兄様はどこ?」

「……存じません」

「お父様は?」

「それも……まだ」

「王都から、まだ戻らなくて?」


 お父様がヴェルディナ国へ行ってから、もうずいぶんと時が経っている。


「はい」


 それから姿をずっと見せていない。


「ヴォルフに口を割らせるのよ」

「それが……老臣も、所在はわからないと」


 息が詰まる。何一つとして望む答えが返ってこない。心の内で、黒い渦がゆっくりと広がっていく。


「……で。アワ様からの返事は?」

「まだでございます……」

「——もうよくてよ」


 手を払うように従者を遠ざけ、廊下をひとり進む。

 窓の外で、音もなくしたたかに降り積もっていく雪が、白々しく映った。


 ——全部、あの雌ギツネのせい。


 何もかも自分の思うままにしてきた領国の姫にとって、この仕打ちは屈辱以外の何物でもない。

 ただし、相手が王国の姫——ミアであるならば、その限りではなかった。

 その名を噛みしめるたび、歩みは早くなった。


「——誰っ⁈」


 突然耳元で女の声がして、振り返るも誰もいない。

 それでも、不気味なほどはっきりと、いいぞ、と背中を押された気がした。気味の悪いせせら笑いの余韻(よいん)が残る。


 気のせいかしら。


 ジナイーダは、冷え切った指先に思わず息を吹きかけた。



 そして、事件は起こる。

 その日も、雪は静かに降り積もっていた。

 王宮の庭園。その奥に設えられた温室は、白い息がほのかに溶けるほどの暖気に包まれていた。磨き上げられたガラス越しに見える外の雪景色が、息を潜め、しっとりとふたりを覗き込んでいる。

 茶会に招かれた政商アールネは、重たげな体をずっしりと椅子に収め、武勇伝めいた話ばかりしていた。防寒具は身に付けていない。外で見守る従者に預けた。この場にいるのはふたりだけだ。

 遠征での商談、競合を出し抜いた手口、王侯貴族の機嫌を取る駆け引き——声は低く濁り、食事を噛みしめる咀嚼(そしゃく)音まで混じったこの汚らしい声の主が、ジナイーダの目には家畜にしか見えなかった。

 微笑を形だけに留めながら、彼女は己に言い聞かせる。


 もう後戻りはできない。


 だが、父と同じ年頃の男を伴侶として受け入れるなど、体が拒む。

 やがてアールネは、椅子を押しのけて立ち上がった。椅子の脚が石床を擦る音が、やけに冷たく響いた。


「ジナイーダ様」


 その巨体が近寄り、膝をつく。片手には指輪。もう片方で彼女の手を取ろうとする。

 だったのだが、ジナイーダは反射的に手を払った。


「——ごめんなさい」咄嗟に言葉は出たものの、呼吸は乱れ動揺は隠せない。

「あ……」


 と、自分の声が聞こえた時には、グラスは倒れ、無情にも床に落ちた。

 甲高い破砕音が温室の空気を切り裂き、細かなガラスの破片が床に散って、温室に点々と置かれたランプの炎が反射して光った。

 さらに慌てたジナイーダは立て直そうとするが、ナイフとフォークも落としてしまう。金属のぶつかる音が重なり、追い打ちをかけるようにして心臓の鼓動を早める。


「おやおや……」


 アールネは落ち着いた口調で言い、外から入ろうとした従者を片手で制してから、口元に笑みを浮かべた。


「私が拾いましょう。未来の花嫁に傷がついては困ります」


 その言葉に吐き気を覚えた。


「……失礼しました。自分で拾いますわ」


 ジナイーダは自ら椅子を引き、膝を折り、冷たい床に手を伸ばす。

 それ以降は、どうしてその後の行動を取ったのか、ジナイーダ自身でもわからなかった。

 立ち上がった瞬間だった。目の前のアールネが手を取り低く(ささや)いた。


「では、ジナイーダ様——改めて誓わせてください。あなたのことは、私が一生守ります」


 指輪が差し出されると、骨の芯まで凍るような寒気が走った。

 こんな男と結婚なんて……お父様は自分のことばかりで、わたくしの思いなど顧みない。お母様はいない。お兄様もどこかへ行ってしまった。誰も助けてくれない。……そもそもアワ様がいれば、こんなことにはならなかった。

 そして、ミアへの怒りに気づいた時には、鋭い悲鳴が温室に響き渡っていた。


「——きゃあッ!!」


 それはジナイーダの声だった。

 アールネの胸元には、銀のナイフが深く刺さっていた。氷の先端が背へと突き抜け、白い冷気は蒸気となって暖色の空間に消えた。

 滴る赤い血が、白いテーブルクロスに染みを広げていく。

 手元には、彼の血の温もりだけが残っていた。



---



 アールネの死の知らせは、すぐに届いた。

 スラティハール家の屋敷では——甘く煮た林檎の香りが、台所の暖気と混じり合う。ミアはヘッラと並び、真剣な顔でパイの生地を伸ばしている。額だけでなく頬にまで粉が飛び、白く化粧をしたような姿だ。

 そこへアロスが顔を覗かせると、ミアは顔をぱっと上げた。


「アワからの手紙?」


 勢いよく振り向いた拍子に白い粉が舞い、三人で咳き込んだ。


「ねえ、アワからでしょ?」


 その問いかけは、もはや日課になっていた。


「姫様、まずはお顔の粉を拭いてください」


 ヘッラが笑いながら布巾を差し出し、渋々受け取ったミアは、顔を拭きながら言った。


「おかしいわね。他のことは何でも上手くこなしてきたのに、料理だけはさっぱりだなんて」


 微笑ましく息をついたアロスは小さく頷く。


「本日はアワ様からではなく、書簡が届きました。エリディオ国の王子、ベクトール様からです」

「そう」と、ミアは残念そうに声をこぼし、布巾をヘッラに返す。

「またあの堅物の王子が、今度は何を律儀に?」

「エリディオでも、事を始める準備が整ったとのことです」


 ため息が漏れた。


「わざわざそれだけ?」

「はい」

「大変律儀な王子ですことね」

「はい。姫様も見習われるとよろしいかと」

「あら、言ってくれるわね」


 軽口を返すと、アロスは肩を揺らして笑った。


「ベクトール様は昔から起点が利き、聡明なお方です」


 書簡の添え書きには、王国で不審な動きがあれば、エリディオ国を頼るようにと書いてあった。


「姫様——。覚えておられませんか? ヴェルディナ、アルベルサ、エリディオの三国が国交を結んだ頃のことを」


 ミアの脳裏に、遠い日の情景がよみがえる。およそ十年前。三国の王子と王女たち五人で集まったことがあった。


「その時も、一番歳上だったベルトール様が、幼い私たちをまとめていたわね」

「いかにも」


 そこへ、王都からの使者が慌ただしく駆け込んできた。

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