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魔女と足なし姫  作者: Y.Itoda
第七章 雪崩
36/63

ep.35

 ヴェルディナ暦五六五年、初秋の候。

 雪が降った。それは季節外れの雪だった。


「秋気さわやかな季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか」


 窓の外を目にしてミアは小さく息を吐いてから、机の上にある、まだ宛名も書かれていない手紙の横にペンを置いた。


「……秋気さわやか、って何の冗談かしら」


 独りごちた声と、わずかな笑みが浮かぶ。それは、本来ならば穏やかな風が吹き抜ける季節のはずだった。だがその朝、空から舞い降りてきたのは、一片の雪。


「今日、手紙を出せば、ノルヴァンゲルには二、三日もあれば届くわよね?」

「どうでしょう。雪といっても積もるほどではなさそうですが」


 足音と共にヘッラが入ってきた。手には薄い羽織が抱えられていた。


「そうよね」


 言葉少なに応じながらも、ミアの眼差しは、まだ外の景色に触れたままだった。

 こんな時期に雪など、本当に奇妙なことだ。

 季節を違えて落ちる雪——それは、ただの気まぐれではないように思えた。


 アロスもまた、同じ雪を見ていた。

 老いた手で窓辺の錠を軽く押さえ、何かを確かめるように空を眺めていた。

 ひとひら、ふたひら。

 落ちる音はしない。ただ沈黙が長い廊下の奥まで満ちていた。

 そこへ駆けてくる。振り向くと背の高い若い男が現れた。ブーツには旅の土が付いていた。


「——アロス様でいらっしゃいますか?」


 男の口調には焦りがあった。

 こんな朝早くに、しかもこの様子——。アロスは目の前の使者を一瞥(いちべつ)した。衣装の様式と徽章(きしょう)の特徴からアルベルサ領国の使者だということはわかる。

 警戒していた。火災の件以来、浮き彫りになったことがあった。あの日、火の手が上がった現場付近で明らかに不審な動きをしていた男の目撃証言があり、調べを進めるうち、その男がアルベルサ貴族と何らかの繋がりを持っている可能性が浮上していたのだ。

 胸中に不安を覚えつつも、アロスは努めて平静を装って応じた。短く答える。


「何事か。文書か、口頭か」

「急ぎの使いです。殿下——アナトリー様からの伝言です」


 その名を聞いてひとまず安堵した。領国の王子は信頼できる人物だと、アワから聞いていた。その志は、王国全体の安定を第一に望む人物だと。

 使者は真剣な面持ちで懐から封書を取り出しつつ、さらに尋ねた。


「——アワ様は、どちらにいらっしゃいますか?」



---



 その頃、アナトリー・マーフォリアは、アルベルサ北部の山間にあるキーキ村にいた。



挿絵(By みてみん)



 寒気が肌を刺し空はすでに鉛色に染まり始めていたが、彼の額には別種の汗が見えた。


「……お願だ。村から離れていただけないか? 危険が迫ってるんだ」


 幸い、まだこの村で氷の呪いの被害はなかった。

 それでも——言葉は静かだったが、切実だった。目の前に集まった村人たちは、一様に困ったような顔をして(うつむ)いている。


「アナトリー様……あんたの気持ちはありがたいけどね……」

「急に家を捨てろって言われても……」

「この土地で育った。死ぬのもここで、って……思ってたもんで……」


 老いた農夫が震える声でそう言うと、アナトリーはすぐに片膝をつき、目線を同じ高さまで下ろした。

 誰ひとり置いていくわけにはいかない——その想いが、彼の姿勢から伝わる。


「……それは、わかっている。けれども、どうか、あと数日の間だけでも、安全な場所で過ごしてくれないか。それだけでいい。きっと、戻って来れるはずだ」


 確証はない。でも必ずそうなる。そうする。

 アナトリーはそう思っていた。

 村人たちはバルドゥル王とは違い、ひとりひとりに向き合い、親身に言葉をかける王子の姿に、どこか安心を覚えているようだった。彼らは皆、避難の必要を理解してはいたが、年老いた身体では移動もままならない者もたくさんいた。

 調査隊からの報告によれば、氷の粒子の本格的な襲来までは、まだ猶予があるという。

 アワから告げられていた。粒子を肺に吸ったら最期——魔女の呪いに(むしば)まれる。

 急かすことなく村人と同じ目線でその思いを受け止めながらもアナトリーは焦っていた。内心では刻一刻と迫る時を感じていた。

 最悪の事態には魔術師の力が要る。その時が、もう、間もなく来る……

 そんな気がしていた。

 そろそろ、北へ向かった第二の調査隊が戻る頃だ。

 アナトリーは防寒具の襟元を引き寄せ、村の外縁の見晴らしの良い所へと場所を変えた。

 そこは以前、王族や貴族たちを集めて狩りを催した野原だった。広々とした大地の向こうには森が連なり、その先には山の稜線が幾重にも重なる。

 辺りは、薄っすらと雪が積もっていた。


 ふと足が止まる。


 この場所だった。アワと顔を合わせたのは。

 ……あの日も空には雪が舞っていた。

 あの時、初めて会った気がしなかった。 

 不思議なことに、声を交わした瞬間、どこかで会ったことがあるような感覚があった。

 それはただの錯覚かもしれない。けれど、アナトリーは今でも、時折思い返すのだ。

 あの出会いが、まるで約束の続きを辿るようだったことを。


 ……風が、急に変わった。


 アナトリーは眉をひそめた。

 北から突風が吹き下ろす。

 すると視界の先から白い(もや)が現れた。物凄い勢いでこちらに向かってくる。馬煙(うまけむり)か⁈ 黒い点が幾つも浮かび上がり馬影が見えた。調査に向かった十騎だ。 

 だが、違った。

 突如として吹きつけた風が視界を奪う。皮膚を刺す鋭い冷気は、この世のものとは思えなかった。瞬間的に体が拒絶した。

 さらに風が強まった。

 次の時、地の底から(うめ)くような音と共に、雪煙が雪崩のように迫りくる。


「アナトリー様ぁーっ!!!」


 騎馬のひとりが絶叫した。


「——お逃げくださいーーっ!!!」


 馬はなりふり構わずアナトリー目掛けて走ってくる。

 アナトリーがはっとしたその刹那、目の前の山稜が、ひとつの白い塊に飲み込まれた。

 地鳴りのような轟音。山が、風そのものを吐き出すかのように襲いかかってくる。

 その白い凶兆(きょうちょう)は、村全土を呑み込む勢いだった。



---



 ララポルト北西部ノルヴァンゲル。

 バトラー伯爵家の敷地は、かつて山稜を切り拓いて築かれたという。その(ふもと)では今も鉱石の採掘が続いており、空気には鉄や(すす)の匂いも混じっていた。

 その広い邸宅の一室に身を置いていたアワの元に手紙が届いた。

 封を切ると、甘い香りがふわりとした。彼女の愛用していた香料が紙に移ったのだろう。


『——そちらの様子はいかがですか? 急に寒くなって少し心配しています。ヘッラに見てもらって、再び勉学を始めました。あと林檎のパイを焼きました。……味は秘密です』


 (つづ)られた日々の一節からは、彼女の穏やかな暮らしぶりが目に浮かぶ。

 すぐに返事を書いた。


『——怪我人の数は聞いていたよりも少なく軽傷で、早くララポルトへ戻れそうです』


 窓の外には、鉄鉱山から選鉱場へと伸びるトロッコの線路が細く続いていた。事故の起きた坑道は封鎖されていたが、作業は今朝から平常どおりに再開された。


「おれたちが来るまでもなかったな」


 テテポの声にアワはペンを止めた。


「まあ、惨事でなかったんだから、良かったんじゃないか?」

「にしては、大袈裟すぎた気もするがねぇ〜」


 テテポの薄ら笑いには疑いの目が含んでいた。

 無理もない。

 事前の報告では、死傷者が大多数に上る惨事と伝えられていた。けれど蓋を開けてみれば、骨折こそあったものの、ほとんどは捻挫や擦り傷程度。想像していたより、はるかに軽傷だった。


「それにしても」アワの視線がテテポに向かう。

「最近はずっと、エリディオに帰りたがってたのに、どういう風の吹き回しだ?」


 この地までの道中、気持ち悪いくらいの上機嫌だったテテポをアワは気にかけていた。

 テテポは、照れ隠しに小さく舌打ちめいた音を立てる。


「……ま、まあ、全部の人間が捨てたもんでもねぇしな」


 パルの一件を経て、テテポの心に変化が芽生えていた。子供たちには罪がないのかもしれない。依然として、人間という存在に嫌悪を感じているのは変わらなかったが。


 アワはふっと息を吐き、「そうか」とだけ言って、ペンを握り再び文字を走らせた。


 バトラー伯爵家では、心配になるほど丁重に迎えられていることと、そちらの寒さが心配だ、とも加えた。

 お身体をどうか気をつけて——と書きながら、ふと、人の体温を思い出すような一拍の間が挟んだ。

 追伸には、林檎のパイはあまり無理をなさらぬように、とだけ一言添えた。

 その便りはすぐにミアの元へと届いた。

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