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魔女と足なし姫  作者: Y.Itoda
第六章 本当に大切なもの
34/63

ep.33

「どうして、パルは学校へ行かないのかしら」


 ミアは広場を眺めていた。


「と、いいますと?」


 車椅子を支えるアワも、その後ろから同じ景色を見ている。

 今日は年に一度の祝祭日。

 通りには色とりどりの布が風になびき、屋台は軒を連ねていた。湯気と共に漂う甘い香りに、人々の笑い声が重なって、街は丸ごとひとつの舞台のように華やいでいた。


「なんとなくだけど、パルが学校に行かないのは、人見知りというだけではなくて、他の理由が何かある気がするのよ」


 目の前の子供たちの歓声が空へ弾け、大人たちの笑いがその後を追う。

 ミアはちらりと振り返る。その横顔には、どこか思案の色があった。


「どうでしょうねー」


 アワは軽く肩をすくめて、くすりと笑った。


「ミア様の勘は鋭いですからねー」

「ええ、そうよ。王女の勘よ」


 けれど冗談めかしたその言葉に、どこか切実な響きもあった。

 目の前では子共たちが棒つきの菓子を手に、紙吹雪を追いかけて駆け回っている。


「何よ、もしかして、あなた……別に学校、行かなくてもいいとか思ってるんじゃないでしょうね?」

「教養は必要です。ただ……」


 アワは言葉を選びながら続けた。


「皆んなと一緒に、足並みを揃える必要はないのではないでしょうか」

「と、いうと?」

「人それぞれ、ひとりひとりのタイミングがあるってことです。焦らず、その時を待つのも、ひとつの選択かと」

「……なんか、哲学者みたいね」


 ミアは前を向いて()ねた。唇を(とが)らせ、とんとんと、車椅子の肘掛けを指で叩いて圧力をかけている。

 その子供じみた態度にアワは微笑んでから、ぽつりと声を漏らした。


「あの親子がうらやましいですね」


 ふたりには、泣きついたり、叱ってくれる母親の存在は、もうとっくにいなくなってしまった。

 ミアも感慨深く声にした。思わずこぼれた吐息には、寂しさも同居する。


「ええ。……少し、嫉妬しちゃうわね」


 あの親子はこの先たくさんの壁にぶつかって、何度も言い争いをするのだろう。けれど、それができるだけで、きっと幸福なのだ。相手がいなければ、喧嘩すらできないのだから。

 その時、ふとアワの視線の先に映る。

 屋台の前、列の最後尾で眼鏡を押し上げながら所在なげに立つ、アロスの姿があった。

 アワは笑いをこらえるのに必死だ。


「ほらほらミア様、うかうかしてると焼き林檎、売り切れてしまいますよ」

「ふふふ」と笑うミアの顔は得意げだ。

「大丈夫よ。ちゃんと、今年は自重しなさい、って言っておいたから」


 けれど言葉とは裏腹に、焼き林檎の香ばしい匂いが風に乗って一層強くなってきた。次々に売れていく様子に、ミアはとうとう耐えきれなくなる。


「……でも。——行きましょうアワ! もう我慢できないわ。あの匂いは反則よ!」

「異存ありません」


 少しふざけて(かしこ)まったアワが、車椅子をゆっくりと押し出した。

 ふたりの声が晴れやかな笑いと共に、広場へと溶けていく。


「ねえ、アワ。お金持ってる?」

「えっ、ミア様の……お、(おご)りでは?」

「何それ。聞こえなかったことにするわ」


 祭の喧騒が、ふたりの笑い声を軽やかに包み込んでいった。



 中庭の一隅で、ひとり腰を下ろしていたギースは、黙ったまま酒瓶を傾けていた。琥珀(こはく)色の液体が喉を滑り落ちていく音だけが、のどかな庭に響いた。

 そこへ、門の方から足音が近づいてきた。


「ギース、おまえは行かないのか?」


 ケイトンの声に軽く視線を向けたが、ギースは何も答えずにもう一口、ぐいと飲んだ。


「俺はここで充分だ」


 そう言って空を見た。この男は何を考えているのか読めない。酒が染みるのか、目を細めてから鼻で笑った。グラスの底に残ったわずかな酒が、陽の光を受けてゆらりと揺れる。

 ギースは訊いた。


「子供たちは?」

「広場に行くと言っていた」

「……そうか」


 ギースはそれきり黙った。重い沈黙がひと息、ふたりの間に流れた。

 ケイトンがもう一歩、踏み出した。


「ギースよ」


 その名を呼ぶより早くギースは、わずかに眉をひそめて答えた。


「わかってるよ」


 低く抑えた声。その裏で心の針はまだ定まらずに揺れていた。



「あー! ミア様!」


 広場から少し離れた木陰で、焼き林檎を食べ終えたふたりの元に、元気な声が飛んできた。

 ペトだった。息を切らせながら駆け寄ってくると、満面の笑みで叫ぶ。


「ほんと、ふたりって仲良いよね! 結婚するの?」


 あっけらかんとしたその一言に、ミアは目を丸くする。


「こ、こら! なんてことを——!」


 顔を赤らめながら声を上げたが、ペトはどこ吹く風と笑っていた。


「もしふたりが結婚しないなら、その時は教えてよね! おれ、いつか王国を守れる男になるからさ。そしたら、おれがミア様と結婚するんだ!」

「もう、ほんとに冗談ばっかり!」


 ミアは顔を両手で覆いながら、ちらりとアワの方を見る。


「……だってよアワ? うかうかしてると先越されちゃうわね?」

「えっ、いえ、それは……その」


 視線を逸らし、たじたじしたアワは顔を赤くする。

 その時だった。

 ペトが走り去っていき、ふたりは広場の方を見やった。祭りの熱気はひと段落し、人混みはまばらになっていた。

 ふと、屋台の並ぶ一角に見覚えのある姿が目に入る。

 小さな少女が、ひとりで立っていた。屋台の前で何度も足を止めては動き、落ち着かない様子で辺りを(うかが)っている。


「……あれは」と言いかけて歩き出そうとするアワの腕を、ミアがすっと手に取った。

「——ちょっと待って」


 言葉は短いが、その声には揺るがない意志がこもっていた。

 直接、触れた手から伝わる体温にアワは気づいた。この手には、安易に助けるのではなく、見守るという深い願いが込められている。

 ふたりの視線の先で、パルはとうとう決意したようだった。大きくひとつ息を吸い込んでいる。

 そして、隙を見て誰も並んでいない屋台へと、小さな足で歩み寄った。その様子は落ち着きがなく、辺りをきょろきょろと見回している。

 店の前に立ち一生懸命に話しかけている。言葉を選ぶようにして眼差しは真剣だ。

 すると屋台の店主はにこやかに頷いて、お菓子を手渡した。

 少女は嬉しそうに笑っていた。

 その手に握られていたのは、お菓子がふたつ。

 彼女は、それを大切そうに胸に抱えながら、駆け出していく。



 少女が走り込んできた。

 ギースは庭の片隅でひとり、まだ酒瓶を傾けていた。


「——お父さん!」


 足音は何事か? と思うほどに慌ただしい。両手を高く掲げ、一心不乱にこちら目掛けて走ってきた。

 パルは息を整えることも忘れていた。


「お父さんの分も、買ってきたよ!」


 渡された物は、透明の薄い袋に包まれ、カラフルな紐が蝶結びで飾られていた。そのなかで、(あで)やかに焼き上がった林檎が煌めく。へたの代わりにちょこんと刺さったシナモンスティックが可愛らしい。


「これは、あれか。毎年この時期、街の連中が争うように食べてるやつか」


 これは自分ひとりで買ってきたのだとパルは言い、嬉しそうな表情を浮かべている。


「ひとりでか……?」


 ギースは目を大きく見開く。これまでのパルからは、とても想像できないことだった。

 パルは、うん、と頷いてから言った。


「二個、一緒に買うと少し安くしてくれるんだけど、それをちゃんとお店の人に聞いて、自分でお金出して買ったんだよ! パルすごいでしょ?」


 ギースはしみじみと、その様子を見つめた。この小さな胸の内で、どれだけの勇気を振り絞ってきたのだろうか。


「……ああ、すごいな」

「それからね、今日は友達とも遊んだんだよ! いっぱい走ったし、鬼ごっこもしたの! すごい?」

「そうか。そいつもすごいな」


 ギースは包みを持ち上げ、林檎の輪郭をなぞるように手で感じると、そっと問いかけた。


「これ、食べてもいいか?」

「もちろん! 今日はお父さんの日だからね!」


 包みを解いた瞬間、ふわりと甘く芳ばしい香りが広がった。皮ごと焼かれた林檎は金色の蜜を(まと)い、ナイフを入れずともの果汁の雫が、薄紅の皮を伝って滲み出す。

 添えられた小さなスプーンでひとさじすくい、口に運んだギースは、穏やかに微笑む。


「……これは、うまいな」


 さらに一口食べて、もう一声。


「本当に、うまい……」


 今日は『父の日』だった。

 かつては各家庭ごとの静かな祝いだったが、ララポルトで、労働者の出稼ぎが当たり前となってからは、知らぬ間に男たちを(ねぎら)う街上げての祭りへと変わっていった。

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