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魔女と足なし姫  作者: Y.Itoda
第六章 本当に大切なもの
33/63

ep.32

 アワの押す車椅子が動きを緩めたのと同時に、ミアの目にその姿が映った。

 ——クリナだった。

 肩で息をし、頬を紅潮させながら広場の方から走ってきたらしい。目の下には薄く影が落ち、その表情には、抑えようのない切迫が見て取れた。


「どうしたの?」ミアが問うより早く、クリナは首を横に振った。


 その仕草は言葉よりも重い。


「パルがどこにも見当たらないんです!」


 ひょっとして、さっきの、あの言い争いを聞いていたのでは——考えていたら生温い風が頬を撫でた。

 嫌な予感。ミアは遠くの空を見た。


「急ぎましょう。手分けして探しましょう」


 夕立がきそうだ。



 雨が降ってきた。突然だった。ぽつりと頭の先に触れたかと思えば、すぐにざあっと濡れた。空は分厚い雲に覆われ、遠くで雷鳴がゴロゴロと地響のように聴こえる。

 なだらかな丘の先にある樹木に囲まれた森にある、ひとつの影。


「おーい、生きてっかー?」


 テテポは下に向かって呼びかけた。もちろん生きていることはわかっていて、わざと訊いている。

 返事はない。

 斜面の下では少女が息をひそめていた。雨で泥濘(ぬかる)んだ足元を滑らせて落ちたのだろう。

 すすり泣くような声だけが耳に届いた。


「へっ、大丈夫そうだな」


 それほど急ではない傾斜を難なく下りていくと、びしょ濡れで泥だらけの小さな背中がうずくまっていた。


「あーあ。派手にやっちまったみたいだな〜」


 ぬれそぼった服のまま、パルは足を押さえていた。(くじ)いて歩けなかった。地面に打ちつけた箇所からは、血が(にじ)んでいて、顔も泥だらけだった。

 こわばった様子の少女に、テテポは優しく声をかけた。


「ちょっと待ってろよ」


 そして指先を軽やかに弾いた瞬間、空気が静まった。汚れた感情を洗い流すように、ふわりと水の魔法が浮かび上がった。

 パルはまじまじと見つめていた。水の粒が集まるひとつひとつを。

 どこからともなく現れた雫は、愉快に身体を弾せながら光を帯びて渦を描く。絵本のなかの音楽隊みたいだ。今にも、このまま音を奏でそうな勢いだった。気づけば、雨に沈んだ灰色の景色が、乳白の光を帯びていた。

 すごい。

 これがテテポの魔法。

 痛みが少しずつ引いていくのがわかる。水に包み込まれた足が、じんわりと温かい。それは湯のような熱ではなく、もっと優しい(ぬく)もりだ。

 テテポは鼻の頭をぐいっと擦り、にやりと笑って見てきた。


「おれ、けっこうすげーだろ?」



 丘の上に戻る頃には、さっきまでの雨は嘘みたいに止んでいた。


「おう、どうした? 今日はずいぶんと落ち込んでるじゃねーか?」


 今日初めて会ったみたいな訊き方だった。テテポはいつもと変わらぬ調子で、白い歯を見せてにっと笑った。

 パルはというと、何も言わず隣に腰を下ろし膝を抱えていた。

 目の前では、雨上がりの生い茂った草木が揺れていた。


「……災難だったな」


 テテポは空を仰いだ。

 パルの気持ちは、無理に探らずとも伝わってきていた。頭のなかのものも、ぼんやりと情景が浮かんだ。……夫婦喧嘩。


 テテポがため息をつくと、「別にそんなんじゃないよ」とパルは頭を振ってから話した。

「自分がいなかったらうまくいくのかなって、ちょっとだけ、思っただけだよ」


 声はただの独り言のように、風のなかにさらわれた。


「ま、そんなに気にすんなって。大人は大人で、それぞれ皆んな悩みがあるんだからよ。勝手にやらせとけばいいんだよ」

「で、でも」

「親なんて皆んな、子供のためにとか言って、自分のために心配してんだからよ。何でもかんでも言う通りにさせたがる生き物だろ?」

「まあ、たしかに……」と、パルは考えた。


 思い返してみれば、『こうしたほうがいいよね』『あなたのために一生懸命やってるのに』『お母さんが一番パルのことをわかっている』とお母さんは言って、どんどん先回りしていつも勝手に決めてしまう。


「テテポも悩みあるの?」


 少しだけテテポは困った表情をする。


「当たり前だ」


 と、言うとパルが顔を上げる。その瞳からは驚きと安堵が見えた。

 その理由は、以前テテポが冗談めかして言ったひと言だった。

『千年以上は生きてるかもな』

 それ以来パルのなかで、テテポは途方もない仙人のような存在となっていた。だからこそ新鮮だった。悩む、と言った言葉が心を軽くしたのだ。


「すごい年寄りも悩むんだね」

「誰が年寄りだ、バカ」


 テテポはぴんと耳を立てて、むっとした顔でパルを(にら)んで笑った。尻尾もわずかに跳ねた。


「やっぱり、わたしが学校に行けばいいのかな?」


 パルが通学をためらっているのには、人の多さが苦手という理由のほかに、もう一つ——別の理由があった。


「どうだかな」


 と言いながらテテポはそれを汲み取って、パルが学校に行かない本当の理由について考えていた。


「自分の思ったことをやればいいんじゃないか?」


 草の上に視線を落としたままパルは呟いた。


「だけど……」

「考えすぎなんじゃねーか?」


 しばらく黙っていたテテポは、ため息交じりに訊いた。


「なあ、パル。何かやりたいこととかないのか?」


 パルの頬にこびりついた泥を、側の水溜まりが夕暮れ色に染めながら映し返していた。


「うん……アワのお兄ちゃんみたいに、誰かのためになることがしたい」


 それは、まだ言葉にするには不器用で、けれど確かな想いだった。


 テテポは「へえ」とだけ言って、片方の耳を気まぐれに折り曲げた。


「だったら、もっと人間を知らないとなっ」


 にかっと笑うテテポにパルは、うん、と頷いた。


「——さて、帰るか」


 声をかけるも、パルは渋い顔をしていた。

 お母さんとお父さんに、きっと怒られる。そんな不安が見て取れた。

 テテポは、へへっと笑って、ぽんと軽くパルの肩を叩いた。


「大丈夫。仙人がついてってやるからさ」


 ほんの一瞬目を丸くして、それからパルは苦笑いをこぼすのだった。



「皆んな、パルはいた?」


 ミアの声が、雨に濡れた広場に響いた。

 首を振るだけで、答える者は誰もいなかった。気づけば皆の足は、広場へ自然と向かっていた。それぞれ、雨に降られてずぶ濡れだ。

 そこへどこからともなく、少女はひょいと現れた。


「——パル!」


 皆の声と視線が一斉に集中した。

 全身泥まみれで、スカートは所々破れてはいるものの、表情はいつもの少女だった。

 アワはパルの頭の上にあるものを目にして、大きく息を吐いた。たく、何をやってんだと呆れる。でも、テテポがいることによる安堵感もあった。

 頭上に乗る聖獣は、水色の毛並みを少し逆立てながら、涼しい顔で周囲を見渡していた。それはまるで王様のように振る舞う。

 誰よりも先に動いたのはクリナだった。


「——どこに行ってたの!」


 一歩、足が前に出る。けれど一瞬止まった。

 視界の先にいる泥だらけの我が子。その姿から、パルの想いが痛いほど伝わってきた。

 けれど胸の奥には、怒りも、不安も、情けなさも、ぐるぐると渦を巻く。

 どうして、黙って行ったの。

 どうして、心配をかけるの。

 けれど——そんな言葉をぶつけるには、あまりに小さく、頼りなく、怯えた顔をしていた。


「お母さん、ごめんなさい」


 こぼれ落ちた声に、何かが解けた。


「——パルっ」


 声は辺りの空気を切り裂くように飛ぶ。

 気づけば駆け寄っていた。何も言わず、その身体を抱きしめていた。強く、そして優しく。

 その腕は、震えていた。

 怒鳴り声も、叱咤(しった)も、どこにもなかった。

 ただ胸元に、無言で娘の身体を引き寄せ、何度も、何度も背を撫でる。

 ふと視界に入った夕焼けが目に()みた。

 あんなにも綺麗なのに、なぜだか自分の心の奥には罪悪感を感じる。

 もっと、わかってやれたんじゃないか。

 もっと、側にいられたんじゃないか。

 でも今は、言葉なんていらなかった。

 ただ、こうして抱きしめていることが全てだった。

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