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魔女と足なし姫  作者: Y.Itoda
第六章 本当に大切なもの
31/63

ep.30

「やっぱり、学校って行った方がいいのかな」


 パルは控えめに言った。


「相手の考えてることがわかっちまうから、人間がたくさんいるとしんどいんだろ?」


 寝転んだまま葉の間から覗く空はのどかだ。

 パルもまた、風に揺れる葉の音を聞いていた。草の騒めきも、鳥の鳴き声も、すべてが語りかけてくる。

 並外れた感受性を持つふたりには、人間の感情だけではなく、草木や鳥、虫たちの心の動きすらも、透き通るように伝わってきてしまうのだった。


「学校に嫌なやつとかいるのか?」訊くとパルは首を横に振る。

「たくさん人がいるところは苦手だけど……」

「ふーん。おれには学校がどうとかはよくわかんねーけど」


 テテポは体を起こすと、パルを見て、にたっと表情を崩した。


「どーせ、かーちゃんと、とーちゃんがうるさいんだろ?」

 パルは「うん」と、小さく声にした。

「お母さんはたまにだけど、お父さんは……すごく怖い」

「けっ」と、唾でも吐くように短く声を漏らしてから、テテポは腕を組んだ。

「まあ、どうしても無理ってんなら、逃げちまえばいいけど。もし——ちょっとでも頑張りたいって気持ちがあるなら、何回か挑戦してみるのもありじゃねーか?」

「ミア様みたいに?」

「そうだな」テテポは頷く。

「あいつも頑張った先には何かあるんじゃねーかと思って、自分なりに必死なんじゃねーか?」

「だったら……」


 パルは少し考えるように風を見つめた。


「まずは友達と仲良くできるようにしようかな。お母さんにも、お父さんにもいつも言われてるから。ペトみたいに遊んでこいって」

「おう、それでいいんじゃねーか? とりあえずやってみろ。応援してやるよっ」


 テテポの声は、妙にあっけらかんとしていて、それがかえって重荷を軽くしてくれた。

 ふたりは言葉を交わすことなく歩き出す。


「ここ、よく来るのか?」


 パルは相槌(あいずち)してから言った。


「ここで自然の声を聞いてると、心が静かになるの」


 ふたりの間に、ことさらに言葉はいらない。


「ねえ、テテポ」


 ふたりは緩やかな丘を下っている。


「わたしもアワのお兄ちゃんみたいに魔法、使えるようになる?」


 問いかけというより、願いごとに近い。


「どうだかな〜」


 口をすぼめてはいるものの、テテポの表情は明るかった。


「いい線いってるから、そのうちポンって出るかもな」

「ポンって?」


 その真剣な顔にテテポは思わず吹き出して笑ってしまった。——真面目か。仕方なく場を収めるように促した。


「ポンはポンだ」



 街の通りまでやって来た。ミアとアワの姿が見える。店の前にいる。

 飲食店の入口の扉は開いたままだ。男の声? 近づいていくと、何やら店内から怒号が響き渡っていた。


「ったくよぉ、どうせ俺は奴隷以下なんだよ! 放っとけっての!」


 まだ陽が高いなか、乱れた身なりの男は酔いに任せて叫んでいた。


「おい、ギース飲みすぎだ」


 酔っ払いには、連れの男の声も届かないようだ。


「うるせーな。どうしてヴェルディナの現場で、領国の連中が仕切ってんだ?」


 ギースは数日前、郊外の宿泊施設の建設現場で仕事をこなしていたが、突如現れたアルベルサの政商と揉め事を起こし、仕事を外されたという。労働者の扱いに対する衝突だった。

 連れの男が小声で耳打ちする。


「揉めた政商ってやつは、アールネってやつだろ?」

「ああ」


 ギースは拳を叩きつけるように机を殴った。


「あの豚野郎……舐めやがって。あの豚野郎は、ララポルトから来た人間を奴隷と同じ様に扱いやがったんだ」

「だから落ち着けってギース。誰かに聞かれたらまずいだろ? アールネは王国全土で幅を利かせてる悪党って噂だ。気に入らないやつは奴隷として売られちまうって話もある。度が過ぎた俗悪な趣味の延長で、(おり)のなかで猛獣と戦わされた連中もいるらしいぞ?」

「ヴェルディナも、もう終わりか……」


 ギースは酒臭い息を吐く。


「国王は平和ボケしてやがる。見て見ぬふりか、それとももう手の内か。……どっちにしろこんな調子じゃ、アルベルサのバルドゥルの手に落ちるのも時間の問題だな」


 沈黙の後で連れの男は声を落とした。


「……ああ、それは否定しない」


 その諦めに似た声色を、ミアは店の外でただ聞いていた。

 アワがすかさず小さく耳元で告げた。


「ミア様、もう行きましょう」


 しかしミアは、アワによって押し出された車輪の動きをぴたりと止め、自らの手で車椅子を進めた。


「それより聞いたぜ」次の一杯を飲み干すと、ギースは話題を切り替えた。

「あのわがまま王女が学校を作るだと? ……へっ、笑わせるぜ。もっと詳しく聞かせろよ」


 息巻いた勢いのまま空の酒杯を卓に置くと、乾いた衝撃音が鳴った。最初はその音に、連れの男がびくついてるのだと思った。

 だが、すぐに、違う、と考えを改める。ギースは連れの男が見る方に視線を向ける。

 車輪が床板をなぞる擦過音(さっかおん)は、思いのほか誰の足音よりも大きく響いた。店にいた誰もが、その主の姿に目を見張った。

 ミアは真っすぐギースの前まで進み、止まる。


「奇遇ね。私も奴隷制度については、大変遺憾に思っていたところよ」


 連れの男は見る見るうちに顔を青ざめさせているが、ギースは獲物を見つけた獣のように、口元を歪めながらミアを睨み返した。


「……なんだ。本人のお出ましかよ」


 言ってから少しだけ悔いた。後ろにいるのはアワ。魔術師が付き添っていて王女がこの姿ということは、よほどの病状なのだと察した。

 それでも黙ってはいられなかった。ギースの目が車椅子に注がれる。


「こんな小娘に何ができる。ましてやそんな足でっ。ろくに歩けもしないくせに、学校? 笑わせんな……!」


 ミアは、話に割って入ろうとしたアワを手で制止した。


「だったら、あなたが私と代わってくださってもよろしくてよ?」

「——なっ」ギースは身を引き腕を組み直す。たじろぎを隠すように、ミアを睨み返した。

「代わりにこの国を導いてくださればいい。わたくしは喜んでこの役目を譲りますわ」

 ミアが「あなたには歩くことも、その達者な口があるのでしょう?」と念を押すと、連れの男が慌てて頭を下げた。

「ミア様っ! ギースは何も知らないんです。ほんとに! こいつ酔いが回ってるだけなんです。すみません! 俺が言って聞かせますんで!」


 ギースは鼻で笑った。


「またそれだ。口ばっかりだな、お前たちは」


 ミアは臆することなく真っ直ぐに見返した。


「本当にそう思います? そう思うのなら、どうぞ代わってくださいな。わたくしには構いません。肩の荷がひとつ下りますから」


 淡々とした声はどこまでも穏やかで、何か底知れぬものを帯びていた。口で言うのは簡単、そういわれているようだった。

 肩に何かが乗った気がした。ミアの背負う重圧が、無言のままこちらに迫ってくる。気づけば口を閉じ、訪れた沈黙が軽率さを物語る。


「そんなことできるはずないだろうが。脅しのつもりか?」


 搾り出すように呟いたギースに、あたかも怪訝な顔をミアは見せた。


「脅し? わたくしが? まさか。本気よ」


 肩の力を抜いたまま、こともなげに言い放つ。

 ——そして、「ねえ? アロス?」と隣を向いた。


「姫様がお望みなら」


 いつの間にか傍に立っていたアロスが、柔らかくも冷たい声で続けた。


「その者にすべてを託しましょう。地位も責務も、なにもかも。仰せのままに」

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