ep.29
それから数日が過ぎた。
「もう行っていいわよ。護衛はアワがいるから」
一行は、学校を建てる予定地の視察に訪れていた。街の少し外れにある、なだらかな丘の上だ。
「かしこまりました。では、後ほど」
アロスはミアに一礼してから、その場を離れる。ケイトン、そして関係者たちも、次々と後に続いた。
ミアは息を弾ませる。
「さあ、行きましょう。アワっ」
ララポルトで一番の賑わいのある通りとあって、たくさんの人々が行き交っていた。ふたりは人とすれ違う度に好意的な声をかけられた。
道は思いのほか舗装されており、ミアは自分の手で車椅子の車輪を回した。周囲を見回す。ヘッラに教えてもらった雑貨屋と果物屋が見えた。たぶんこの辺だ。
「あったわ、アワ! ここよ!」
別行動のテテポは、視察した丘の、さらに向こう側の、草が生い茂った斜面の先にいた。
気持ちええわ〜。
温かな日差しだった。毛並みに心地よい。石の上に背中からごろんと寝転がり、目を細めながらしばらく空を眺めた。
——静かだ。
風に揺れる草の葉の音だけが耳の奥に触れ、そのまま目を閉じた。と、不意に頭上から声がした。
「何してるの?」
テテポは反応しない。そのまま石の上でぴくりとも動かず、寝たふりを決め込む。声の主に心当たりはないし、そもそも自分が見えるはずがない。
「あなた、何?」
すると、また声が落ちてきた。ちょっとしつこい。眉間にしわが寄った。が、知らんふりを通した。はいはい、お喋りは他でやってくれ。
だったが、次のひと言でテテポの耳がぴくりと跳ねた。
「あなた、もしかして幻獣?」
ガバッ、と起き上がった。
「お、お前、いま……おれのこと見えてんのか?」
そこに立っていたのは、どこか見覚えのある少女だ。栗色の髪に、幸の薄そうな面影。たしか……ああ、思い出した。パルだったか。
少女は不思議そうな顔をしたものの、確信めいた眼差しで見つめていた。
「見えてるよ。他の人には、見えないの?」
問いに、テテポは黙って彼女を見返した。なるほど、と腹の底で納得する。人の輪の中で、ひとり居心地悪そうにしていた理由がわかった。
「おれはテテポな。幻獣じゃなくて精霊だ」
「わたしはパル。よろしくね」
顔を輝かせながら、すっと差し出された手にテテポは一瞬たじろいだが、しぶしぶといった風に、少女の手を握った。
パルは辺りを見回すようにして指差した。
「精霊ってことは、今この辺できらきらしてる、この光ってるものと一緒ってこと?」
「……お前、微精霊まで見えるのか?」
すると、自慢げに、けれどちょっとだけ恥ずかしそうにパルは笑った。
「見えるよ!」
その頃ミアたちはというと、ある店のなかにいた。
こじんまりとした店内の壁には、いくつもの眼鏡がかけられ、天井からは垂れ下がった暖かみのある木製シェードのランプが、店全体を優しく照らしている。
カウンターの奥にいた店主が顔を上げ、目を丸くした。
「ミ、ミア様! どうされたのですか……?」
街で唯一の眼鏡屋であるこの店に、王女が現れるなど思いもよらなかったのだろう。慌てて前掛けの布を整えながら、店主はカウンターから飛び出してきた。
ミアは車椅子の上でにこりと笑って見せる。
「眼鏡を作ってほしいの」
「は……? か、構いませんとも。ですが、ミア様がおかけになるので……?」
「違うわ。アロスのよ」
ああ、と店主はすぐに察したようだった。眼鏡を手にしたことのない王族が、わざわざここを訪れた理由に合点がいったのだろう。頷きながら、案内する。
「そういうことでしたか。それでしたら、どうぞ。奥の方へいらしてくださいませ」
案内された先は、陽の入る細長い窓の側で、古めかしい木製の棚が壁沿いに並んでいた。様々な形のフレームや硝子も丁寧に飾られ、椅子と机が置かれた奥の作業台には、整理された細かな工具が光を返している。
その向こうで、店主は眼鏡の記録帳を引っ張り出しながら話し始めた。
「アロス様が眼鏡を新調されたのは、もう十年ほど前になります。当時、壊れた眼鏡を持ってこられて……どうしても直してほしいと。とても大事に使い込まれた古い眼鏡でした」
聞けばアロスが持ち込んだ物は、縁は完全に折れ、レンズはひびだらけで、修理できなかったのだと。
「それでも、なんとかして直してくれと強く願うアロス様の心苦しいお姿は、今でも覚えております。どうしても、それを使い続けたいのだとか」
店主の手が一度止まる。
「壊れた眼鏡は……奥様から贈られた物だったそうで、亡くなられてからも大切にされていたと聞いています」
ミアはアワの顔をちらりと見た。そう、彼に以前話した——眼鏡を壊したのは他でもない、この私だ。
「あの眼鏡は……そういうことだったのね」
「それに、新調した眼鏡もそろそろ寿命でしょう。毎年ここへ来て調整しながら長らくお使い頂いてはいるのですが」
ミアにとっては何もかもが初耳だった。
「おそらく眼鏡を新調するお金すら惜しいのでしょうね。アロス様は王国からの給金をほぼ全て、ララポルトの街に寄付されていますから」
店主の言葉が胸をつく。アロスが、眼鏡一つにも無理を重ねていたとは。そんな素振りを一度として見たことがない。いつも皮肉っぽくて、理屈ばかりで、時々意地悪。でもその裏で、誰にも言わず、こんなふうに街を支えていたなんて。
慎重な手つきで木箱からいくつかのフレームを店主は取り出した。
光に透ける細い縁、重厚な角張った金属のもの、柔らかな曲線を描く革巻きの一対。どれも長年の技術が滲む品ばかりだ。
手に取ったフレームを愛おしげに眺めながら言う。
「だからこそ、今こうして新しい眼鏡を作れることが、とても嬉しいのですっ」
「やっぱり、もうひとつの眼鏡の方がよかったかしら」
店を出るなりミアは立ち止まって、手にした包みを見つめた。つい今しがた購入した物である。
アワは苦笑いを浮かべる。
「い、いや……そちらの眼鏡で、きっと平気だと思いますよ」
落ちつきなく首筋に触れるその手は、ただの癖ではなかった。ミアの審美眼に一抹の不安を覚えたからだ。
というのも、彼女が口にしたもうひとつの眼鏡とは、眩いばかりの金の縁に、繊細な彫刻を施した装飾過多な代物。まるで宮廷趣味の極みといった風情で、王侯貴族ならばいざ知らず、質実なアロスには到底似つかわしくなかった。
ミアは口元だけで笑った。何かしら。私、何かおかしなこと言ったかしら。いつもは即答する彼が言いよどんでいる。
「そう……なら、あなたを信じるわ」
「それで、どうしますか? このあとは? ケイトンさんの元へ?」
言い終わるより先にアワの顔を見上げた。
「んー、そうねぇ……」
考えるふりをして間を取ったミアは、アワの頬の温度を測るように目を細める。そしていたずらっぽく唇を弧にする。
「せっかくだから、もう少し街を探索しましょうか」
ふたりは、いつの間にか打ち解けていた。
「なるほどなー。そこまで感度が高いと、人間たちと一緒にいるの、つらいかもな〜」
テテポは手を頭の後ろに組んで、ごろんと寝転んだまま空を仰ぐ。
「おれにもその気持ち、よくわかるぜ」
「そうなの。わたしどうすればいいのかわかんなくて」
パルは膝を抱えてうなだれながら、指先で草をなでる。
ふたりの距離は、まるで昔からの友達のように自然だった。




