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『嫉妬にかられた魔女』〜氷に眠る王子と死にたいプリンセス〜  作者: Y.Itoda
序章.氷になった王子と死にたい王女
2/41

ep.2

 煌びやかな灯りが磨き上げられた大理石の床に揺れ、天井から吊るされたガラス細工のシャンデリアは、まるで星屑の巣のように輝く。壁にはマーフォリア家の伝統刺繍が誇らしげに飾られていた。

 アルベルサ広域を結ぶ鉄道の完成を祝う記念夜会。

 南のヴェルディナと、北のアルベルサ、かつて血を流しあった二つの地だったが、今では誰の許可を得るでもなく、大々的に交易で結ばれている。

 されどこのふたりにとっては、その永劫にも似て続く十年の友交すら、なき事象に過ぎなかったが。


「まあ、あちらにいらっしゃるのは、ミア姫殿下。今日のドレスは随分とお控えめね。……お母上のご趣味かしら?」





挿絵(By みてみん)




 春の陽射しをたっぷり浴びた蜂蜜のような茶髪を編み上げ、青緑の宝石が輝くドレス。白磁(はくじ)のように滑らかな肌に、瞳はまるで翡翠(ひすい)

 アルベルサ領主の娘。ジナイーダ・マーフォリア。彼女は完璧な造形の中に、冷ややかな誇りを(たた)えていた。

 わざとらしいその声を背に受けながら、ミアはゆっくりと振り返り、唇だけで笑った。やや控えめな薄藍(うすあい)のドレスは、今日の主役への配慮だった。


「まあ、聞こえてしまいましたわ。ジナイーダ姫。まずは——十五歳のお誕生日、おめでとうございます」


 夜会は、ジナイーダの誕生会も含んでいた。

 先ず三カ月ほど前に、十五を迎えていたミアは、微笑みの奥に、ほんの僅かな(とげ)を忍ばせている。


「お心遣い、恐れ入りますわ。けれど……そちらこそ、ご自分の生誕祝いと勘違いなさっているのではなくて?」


 側にいた取り巻きの女が、クスクスと笑い援護するが、彼女は主役気取りのミアの振る舞いに嫉妬していた。


「それにしても、ミア様のドレス……貴族の奥様方が窓拭きに使ってそうな生地ですこと」

「まあ、それは……貴族の家計によっては、窓拭きすらも贅沢なのかもしれませんものね」


 ミアは現在の両国の関係値に(いきどお)りを感じていた。両国を統一したのは、紛れもなく先代のヴェルディナ王である。

 ミアの視線が、ジナイーダのドレスに落ちる。


「その色、珍しいですわね。……エメラルドグリーン? それとも、かつて栄えた王女の嫉妬の涙かしら?」

「お気になさらず。嫉妬なさる方が多い色ですの」

「ええ、もちろん。嫉妬はたいてい、隠せない方がするものですから」


 ジナイーダの笑みがぴたりと止まる。


「先日、父が陛下より褒賞(ほうしょう)を賜りましたの。鉄道建設の成功を称えてですわ」

「まあ、それは素晴らしいことですわ。陛下の御心の広さには、いつも感服しておりますの。——臣下の働きに、王家の名を添えてくださるご配慮など特に」

「王家の影に隠れてばかりでは、誇りも育ちませんわよ」


 手にしていた扇子を、ミアは肩に軽く当て、微笑みを浮かべながら、(ほこり)を払うような素振りを見せた。


「では、陰のない場所で育った方は、こうも根性が曲がるのかしら」


 場の空気が凍りかけるなか、ジナイーダが一歩踏み出す。


「今宵の最初のワルツは、当然わたくしが——」

「あら、そうですの? それはおかしいですわね。主役は鉄道か、あなたか、はっきりなさいな。まさか、レールの上で踊るつもりじゃないでしょうね?」

「ええ、ご安心あそばせ。わたくし、鉄のレールなんか踏まなくても華麗に踊れますの。……そちらこそ、陛下に踏切でも作っていただいたらよろしいのでは?」

「あら、お上手ですわね」


 ミアは笑って続けた。


「さすがはジナイーダ姫。品位、教養、血筋。そして……高潔な嫉妬心。素敵ですわ」

「嫉妬? わたくしが、あなたに?」

「ええ、だって、目がずっとこちらにございますもの」

 次の瞬間だった。(たま)らずジナイーダの指がミアの髪の毛にかかる。


「この髪、本当に自前? まるで干し草のようですわね」

「まあ、あなたこそ。その香水、どこの馬車小屋で仕入れたの?」


 ミアも負けじと手を伸ばし、相手の胸元に飾られた宝石のブローチをひき剥がしかけた。

 二人の間に緊張の空気が走る。小さな悲鳴が周囲から()れ、ドレスの裾が風のようにひるがえった。

 ジナイーダがぐっとミアの袖をつかんだ。ミアも即座に応じて、その手を払いのける。


「——あら、ほんと手癖が悪いのね。育ちが出るわ」

「失礼なっ……!」


 ミアのドレスの裾が引かれ、金糸(きんし)千切(ちぎ)れた音が響いた。


「姫様っ、おやめくださいっ!」


 割って入ったのは、ミアの従者・アロスだった。年老いたとはいえ、その動きにはいまだ剣士の気配が残っていた。

 かけた眼鏡を光らせ、二人の間にすっと立ちふさがるようにして、ミアの肩へと手を置く。


「ここは各面々のお方々のお目にも触れる場。……どうか、冷静になられませ」


 目は静かにミアを見据え、まるで娘に言い聞かせる父のように、軽くその腕に触れた。

 ジナイーダは鼻で笑い、ミアはふいっと目を逸らし、アロスに促されながらその場を離れる。夜会の灯火は変わらず煌びやかで、音楽も絶えず続いていた。


 だが——確かに、何かが。

 見えない幕の裏で、背筋が凍るような何かが、確かに(うごめ)いていた。


 それは彼女が、数歩も歩かぬうちに起こった。


「……っ!」


 ミアは突然、崩れ落ちた。膝から力が抜け、床へと倒れこむ。

 広間のざわめきが波紋のように広がる。

 舞踏の音は途切れ、誰かが椅子を倒した音が響いた。


「ミア様!」


 アロスがすぐに駆け寄る。

 ミアはうずくまり、右足を押さえていた。白い靄のようなものがふわりと立ちのぼっている。

 冷気ではない。けれど、異様なほどの冷たさが、ミアの足元から空気に滲みはじめていた。


「な……に、これ……?」


 ミアの指先が震える。

 その手が、足に触れたときの冷たさは、雪をも超える。それは、まだ氷にはなっていない。けれど、確かにそこに、『何か』が芽吹いている。

 誰もが息を呑んだその時。

 遠く、宴のざわめきの奥——音楽の影に、微かに重なる声があった。


 女の歌声。


 透き通るように美しく、けれど、どこか人の声とは思えない冷たさを含む。

 誰のものかも、どこから響いたのかもわからない。

 ただその声は、確かにそこにいた。











































 ル、ラーララ……

   ラーラララ……

 ラ……

  ラーラーラララー……

    ラ

 ララララー……

   ラーラララ……

 ル……ラ……

 ラ……

    ラ……









































































『嫉妬にかられた魔女』 











































 ヴェルディナ暦五六六年。世界は凍った。

 それは季節の仕業でも、天の怒りでもない。


 ——これは、呪いだ。


 銀髪の魔女が、すべてを凍てつかせた。海は眠り、森は沈黙し、人々の祈りさえも、氷の底に閉ざされた。

 信じられるだろうか? この氷は、絶望と愛の果てに生まれたということを。

 かつて水と火の神々がこの世界を創り、その意思を継ぐふたりの魂が、新たな時代の境を越えようとしていた。

 この記憶は、全てが凍る前の、尊き春の夜から始まる。


 ミア・ヴェルディナ——


 彼女の選択が、ひとつの国の、ひとつの世界の行方を変えた。


 終わりと始まりは、いつも隣り合わせにある。

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