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魔女と足なし姫  作者: Y.Itoda
第三章 氷の死者
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ep.18

 先を歩くジナイーダは、機嫌のよさそうな足取りである。階段の踊り場で、チェック柄のスカートを、ふわりと揺らせる。

 テテポは、唾を吐き捨てるように呟いた。


「何でこんな展開になってんだよ、ったくよお」


 それも無理はなかった。

 執務室でヴォルフが退いた後、案内役を待っている、と聞いたジナイーダは、なぜか突然、代わりを買って出たのだった。


『それなら、わたくしが案内いたしますわ! せっかくいらしたのですもの』


 その一言で、アナトリーは言葉を失い、どうもこの男は、妹にはとことん甘いのでは? という疑惑が浮かんでいた。

 そして今、彼女は当然のように王宮を歩いている。

 案内は思いのほか丁寧だった。

 ジナイーダは、整えた声で説明を始める。


「階下へ参りますと、中庭がございます。噴水と温室がありまして、昼食後の散策に好まれておりますの」


 花々茂る温室は、硝子越しの光でオレンジに染まり、心地のよい水音と相まって、幻想的な空間を演出していた。

 噴水中央の女神像の側にいた使用人たちが、いずれも軽く一礼し、視線を落としたまま過ぎていく。


「こちらが舞踏の間。収穫祭や戴冠記念日には、百を超える来賓が詰めかけますわ」

「正面回廊を抜けると、礼拝堂がございます。王家の者は、朝ごとにそこで祈りを捧げますの」


 さらに案内は続き、祈祷(きとう)所の手前で、白衣の神官たちが行き交うのが見えた。

 誰もがジナイーダに気づくと小さく頭を下げ、そのまま目を逸らし、怯えるように奥へと去っていく。

 彼女はそれを気にも留めず、歩を進める。

 そんな一連の様子から、噂通りの姫であると察することができた。アワには、その悪役令嬢めいた振る舞いは微塵(みじん)も感じさせないが。



「アワ様。こちらのお部屋となります」


 部屋の中央には薄い水色の絨毯が広がり、足元を飾っていた。壁には月桂樹(げっけいじゅ)の葉を模したレリーフが施され、窓辺の小さな丸卓には、硝子の花瓶に白いユリが活けられている。


「お食事や必要なものがございましたら、遠慮なく近侍の者にお申しつけ下さいませ。この館で沈黙は、美徳とはされませんので」


 微笑みを浮かべたジナイーダは、姿勢を正したまま、一歩下がり、丁寧な所作で浅く礼を取った。


「ご案内は、ここまでにいたします。……では、また後ほど」


 踵を返すと、スカートの裾をなびかせ、華やかな王宮の情景に溶け込んでいく。



 次の日。朝食を済ませ、まだ間もない頃だった。

 扉の向こうから、控えめなノックと、侍女の声が続いた。


「アワ様、おはようございます。早速ですが、アナトリー様が、謁見の間にてお待ちとのことです」


 アワが快く応じて立ち上がった。

 すると、ジナイーダが部屋の中に入ってきた。


「失礼しますわ」


 足音は、穏やかな朝の空気を引き裂くように、あたかも当然のように近づいてくる。

 視線がアワへと向かった。頭の上から足の先まで、ゆっくりと辿っていく。一言も発さないまま……

 全身を余すところなく眺め終わると、ぱちんと扇子を閉じた。


「……決めましたわ!」


 そして、きょとんとした空気のなか、声高々に言い放った。


「今日、アワ様は私がお借りしますわ!」


 アワの口が思わず開いた。


「……あの、今日はアナトリー様に——」


 ジナイーダは振り向いて、侍女に向き直った。


「二度は言いませんことよ」


 遮るように微笑むと、涼しい声で続ける。


「お兄様に伝えて。よろしいこと?」


 扇子がすっと侍女の胸元を掠め、ひとつ目配せが送られた。


「か、かしこまりました」


 戸惑いながらも、侍女は小さく頭を下げると、早々に部屋を出て行った。

 取り残された空気に残る疑問。……一体、これから何が起こるのやら。

 アワの耳に、テテポのため息が聞こえた。



 連れていかれたのは、社交会だった。

 アルベルサ東部。大河沿いに築かれた古城の一角、名家カストレル家が代々所有する広大な邸宅に、王族、貴族が会していた。


 ジナイーダは華やかなドレスを纏う。石造りの大広間はあまりに壮麗で、数百の蝋燭(ろうそく)が、彼女の頭に据えた帽子に反射し、その煌めきは、ひときわ周囲の目を彼女に釘付けにした。




挿絵(By みてみん)



 当然アワも正装していた。


 控えめながらも洗練された礼服に身を包んでいた。黒髪を後ろで束ね、その無駄のない仕草は、他の者たちに勝るとも劣らない風格があった。

 ジナイーダは、片手に扇子を持ちながら、何人もの貴族たちと軽やかに言葉を交わしていた。

 侯爵夫人には笑みで挨拶を送り、将軍の娘には声を落として労いを伝える。騎士団長には軽口をひとつ、老貴族には礼をひとつ。この重たく装飾的な空気の中で、誰よりも鮮やかに、その存在を刻みつける。

 社交の妙手とはこのことかと、アワは傍らで眺めながら思った。

 どこか遠巻きに、(ささや)きが聞こえてきた。


「……あれがマーフォリアの令嬢。十六歳になられて、また美しくなったんじゃないか?」

「まあ、あれが噂の……あら、お連れのお方は?」

「また、なんて端麗(たんれい)な。絵に描いたような御仁(ごじん)ですわ」


 そんな中を毅然(きぜん)とした態度でいなすジナイーダの傍ら、アワの方もさほど満更(まんざら)でもなさそうな表情だ。

 ジナイーダはくるりと身を(ひるがえ)し、アワへ微笑を向ける。


「少しの間だけでも、この場にいてよかったと思わせてさしあげますわ」


 その声音に、毒はなかった。けれど、どこか挑むような凛とした響きがあった。

 再び前を見据えると、人垣の向こうから、一段低い声が聞こえてきた。


「おお、これはこれは……ジナイーダ様ではありませんか!」


 声の主は、ぬらりと姿を現した。

 主宰者のアールネ・カストレル。アルベルサ随一の資産家だが噂多き政商だ。

 男はジナイーダの前に進み出ると、贅が滲む口元に笑みを刻み、優雅に一礼した。黒檀色の上着からは肉付きの良さが伺える。


「ようこそおいでなさいました。またお会いできて大変光栄に存じます」


 男の視線が、ジナイーダの胸元の曲線をなぞるように滑り、隣に立つアワへと移った。


「して、こちらのお方は?」


 ジナイーダは従者に帽子を手渡した。この男の不快な視線。なんて不快な。

 簡単に挨拶を交わすと、扇子がひらりと開かれた。


「アワ様ですわ。今、マーフォリア家に多大なるお力添えをいただいておりますの」


 声は軽やかだったが、その奥にあるのは牽制であった。内心はこう思っていた。こんな男と結婚なんて御免、ましてや父上よりも年上の男など、と。


 アワは伏せていた視線を上げると、胸にそっと手を当て、口元に笑みを湛えた。そして、この場に相応しい落ち着きで挨拶をする。

 アールネの目が細まった。

 この男はアルベルサの姫を掌中に収めようと企み、さらには領国の王とも裏で通じていた。ジナイーダが、それを看過できないのは当然だった。


「ほう、お見かけしないお顔ですな。おそれながら、お家名を伺ってもよろしいでしょうか?」


 ジナイーダの顔に困惑の色が見えた。今は身分をバラす時ではない。アワが答えかけたところで先に口を挟む。


「そ、そういえば、アールネ様——。大規模な宮殿建設の着工おめでとうございますわ。また、たくさん奴隷が必要になりますわね」


 給仕から飲み物を受け取ったジナイーダは、目を伏せてから大げさに微笑んだ。早く話題を変えねば、と思うあまり、少し咳き込んだ。


「いえいえ、すべては、お父上、アルベルサ王のお力添えあってのことです」


 大笑いした後にアールネは、いかにもわざとらしく頷いてみせた。この男は金と奴隷に目がない。王国では、奴隷は法的に『財産』として扱われる。

 そして、給仕から手渡されたその指先には、琥珀色に濁る葡萄酒。

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