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魔女と足なし姫  作者: Y.Itoda
第三章 氷の死者
17/55

ep.16

 圧巻の景色がそこにあった。

 ずらりと並ぶ精緻(せいち)な彫刻を施された建物に、水路を(また)ぐアーチ橋。


「おっ、船が来るぞ⁈」


 テテポの声に促されるように、水面を滑る船が、橋の下をくぐり抜けていく。

 その瞬間、高くそびえる時計台の尖塔が夕暮れを告げ、道沿いの街灯が温かい光を灯し始めた。


「こいつら全員、何でこんなにせかせかしてんだ?」


 広場では荷を担ぐ男たちが走り、道沿いには足場と布に覆われた新設中の塔が空を指していた。


「王都は今、開発ラッシュ真っ只中だからな」


 アワの答えに、テテポは腑に落ちない様子だ。

 水路では工事用の(いかだ)が資材を運び、石材が音を立てる。紳士やドレスを着た女たちの革靴の音は、煉瓦(れんが)を削る音、怒声、笑い声に消えていく。どこか焦りの匂いがした。


「すっげえな……全部が動いてるみたいだ」


 テテポは目をしばたかせ、視線を上げた。

 その先、街の最奥の丘には、夕陽を受けた白亜の王宮がそびえていた。


 今晩は宿で休むことにした。

 外の喧騒を、厚い壁で遮られた部屋には、灯されたランプの光が、木の床を柔らかく照らしていた。

 アワは窓際の椅子に腰掛け、窓の外の王宮を見つめていた。テテポはベッドに寝転がって、尻尾を忙しなく揺らしている。


「どう思う? テテポ」


 氷漬けの死者についてだ。


「どうって、そりゃ……間違いなくヤバいだろ。序章の始まりみてーなもんだ」


 アワは首を横に振った。


「そうじゃない。……何か、引っかかるんだ」

「何が?」

「キーキ村では、まだ被害は出ていなかった」


 アワの声が低くなる。


「それを踏まえると、考えられる人物はひとり」


 テテポは目を細める。


「あー、そーいうことな。あの商人って言いたいんだろ? 鉄仮面の、あいつ」


 アワは無言で頷いた。


「それに……」


 口を閉じかけたアワは、一呼吸おいてから続けた。


「ミア様は、どこで魔女の呪いを受けたんだ?」

「それな」


 テテポの耳がもう一度ぴくりと揺れた。



 翌朝、まだ霧の残る王都を発った。

 馬車で丘陵を越え、列車を乗り継ぐ。車窓からは、畑、牧草地、の景色が背後へ消えていき、空は青く高いが、どこか静まり返っていた。

 国境を越え、アルベルサ領内へと足を踏み入れると、再び列車に乗った。

 次第に森が深くなる。空気に湿り気。木の根が道を()い、影は濃く、鳥の声も遠かった。

 一日ちょっとだ。しばらく列車で過ごすと、領都が見えた。

 駅を出ると、蒸気自動車の迎えが待っていた。


「お待ちしておりました。アワ様」


 アルベルサの使者だ。男は間をおかずに言葉を続けた。


「早速ですが、アナトリー様がお待ちです。王宮へ急ぎましょう」



 王宮の西棟、その一角にある執務室は、深い静けさに包まれていた。外はまだ霧が濃く、窓硝子に貼りつく水滴が、じわじわと下へ滑り落ちている。

 重厚な絨毯(じゅうたん)に、古書がぎっしりと並ぶ書棚。木目の深い机の上には、封の破られた報告書がいくつも広げられていた。

 アナトリーは、そのひとつを無言で見つめていた。その瞳は、暗い水底に沈んでいるようだった。

 紙の上に記されたのは、異常な死。氷に包まれた遺体。血は流れず、肌には傷もない。それはまるで、眠っているようだったと。

 淡い金色の混じる茶色い髪が、彼の指の間でくしゃりと乱れた。眉間に深く刻まれた(しわ)が、抱える問題の重さを物語っている。

 手を止め、アナトリーは背もたれに身を預けた。一体、何が起きてるんだ? 凍りついた森に続いて、死者までも。嫌な予感しかしない。

 指先で机の縁を叩く音が、部屋に響く。


 魔女の呪いのよう——文中に記されたその語句が、ずっと引っかかっていた。


 そう言われれば納得できる。けれど、それは伝説にすぎない。それでも現に、凍った死体がある。魔法? そんなものが本当に? ……いや。ある、と聞いた。存在したと。

 アナトリーは立ち上がり、窓の外を見やった。

 扉を軽く叩く音がした。


「入れ」


 声に応じて、ひとりの側近が静かに入室する。黒い装束の男の顔には皺が深く刻まれていた。


「まだ辺境の魔術師は来ないのか?」

「報告では、本日中に到着とのことです」

「そうか」


 短い返事のなかに、苛立ちが見え隠れする。


「……アナトリーさま。北方の件、アルベルサ王には?」

「まだだ」


 アナトリーは背もたれに体を預け、目を閉じた。


「——あの氷を、気候異常の一言で済ませられるなら、楽なのにな」


 深い沈黙が場を支配し、ただ時計の針だけが、カチ、カチと規則的に時を刻んでいた。


「父上は?」

「本日は外交かと。たしかヴェルディナ国へ行くと聞いております」


 アナトリーは立ち上がってマントを(ひるがえ)した。


「他には? 何か聞いてないか?」


 側近は物おじしつつ、話を切り出した。


「言い訳はいい、貴様は結果を出す立場だ、森が凍ったなどと、戯言(たわごと)を抜かしている暇などない、ヴェルディナに後れを取るな、王都はさらに都市開発を進める計画だ」


 まるで当人に直接言われているかのように聞こえた。容赦がない。刃のように冷たい言葉は、さらに続く。


「異常気象か何か知らぬが、行けぬなら、氷を焼き払ってでも進め、とのことでございます」


 アルベルサ領国の王。バルドゥル・マーフォリア。

 絶対の自信をまとった姿勢で、昨年、父王の崩御(ほうぎょ)により即位したばかりだが、『新王』の面影は微塵(みじん)も感じさせない男だった。

 王国を変える男。強く、速く、現実的に。——彼を語る言葉は、常に力を含んでいた。

 アナトリーは、眉を寄せた。父上がヴェルディナ……また、何かよからぬ事を企んでいなければいいのだが。

 バルドゥルは、自らの陰謀によって、ヴェルディナの重要な要人らを失脚させた過去を持っていた。

 ほどなくして、扉が叩かれる。どこか忙しない音から、予想はついた。


「入れ」

「アワ様が王宮に到着されました」


 その瞬間、椅子の脚が音を立てた。

 立ち上がったアナトリーは、机に広げた書類をそのままに足を運ぶ。


「客間を用意させろ。……すぐ向かう」


 客間は北棟の中ほど、元は外交使節の応接用に設えられた部屋だった。

 装飾は簡素で、壁には国章の織物がひとつだけある。東に見える大きな窓からは微かに陽が差していた。

 アワたちは、すでに部屋にいた。

 開いたままの扉から、アナトリーがやってくる。


「遠路はるばる感謝いたします。早速で申し訳ないが」


 ふたりの視線が、短く交差した。名乗りも儀礼もない。ただ、それだけで十分だった。


「……話はあとだ」


 アナトリーが言う。


「氷の死体を見てもらう」


 それを聞いた従者が、すぐに馬車の用意へと走っていく。


 聖堂の前に着いた時、空気が変わった。辺りの息が詰まるよう雰囲気に、テテポの鼻が、ぴくりとした。

 街の通りから続く石畳はそこで途切れ、白い光が、建物の輪郭を淡く滲ませていた。高く伸びる天窓に、そびえる鐘楼(しょうろう)、そして重々しい黒い扉。

 静まり返ったそれらすべては、まるでアワたちの到着を待ち望んでいたかのように佇んで見えた。

 周囲には数人の衛兵が立っていたが、誰も口を開こうとしなかった。目を逸らす者。足元を見つめる者。アナトリーの姿を見つけると、ひとりが慌てて敬礼をした。


「ご案内いたします、アナトリー様っ」


 案内というには、早すぎる足取りだった。彼はまるで聖堂から遠ざかるように扉を開け、軽く頭を下げると、そのまま距離を取った。

 無言でそれを見送ったアナトリーは、アワの方をちらと見る。

 アワは変わらぬ無表情のまま、数歩前に出た。テテポがその肩で、耳をひくつかせている。


「入るぞ」


 アナトリーの声は重かった。誰に言うでもなく、独り言のように。

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