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魔女と足なし姫  作者: Y.Itoda
第三章 氷の死者
16/59

ep.15

 鉄道は、王国南部を斜めに横断している。

 ララポルト発の列車は一日に二本。午後の便は夕刻に出発し、王都の中央駅には、丸二日かかる。小さな街をいくつも通過するが、降車する客はほとんどいない。

 貨物輸送を主目的に敷設された路線だ。停車駅は倉庫や荷受場の近くばかりだった。景色は、緩やかな丘陵と広葉樹の森が、交互に繰り返していた。


 窓を開けると、車内に吹き込む風に、次の季節の気配を感じる。草の色はまだ明るく、名も知れぬ白い花々が群れ咲いていた。

 テテポはその窓辺にへばりついて、顔を風にさらしていた。

 引きちぎれそうなほどに後ろへ耳をはためかせ、鼻は押しつぶされて左右に歪んでいる。見た目の滑稽(こっけい)さはともかく、本人は満足げだ。


「おっ。王都が見えてきたぞー! やっぱ、すげーなー! またデカい建物増えたんじゃねーか?」


 アワは応えることもなく、黙って席に座っていた。

 左の袖口から覗く手首には、細く繊細な天然石のブレスレットが幾つも巻かれている。水色に白、浅い紫を帯びた小ぶりの石が、静かに揺れていた。普段から身に付けているものだ。

 これまで、幾つもの町を訪れ無数の別れを重ねてきた。けれど、こんなにも名残惜しいと思ったのは、初めてだった。

 窓の外から、ゆっくりと姿を現し始めた王都の街並み。遠くの方で、石畳の道が縫うように続き、赤茶の屋根が重なるように並んでいる。教会の尖塔(せんとう)が空を裂き、アーチを描く橋の下には水路が流れている。

 すべてが、柔らかな光の中で、絵本の挿絵のように静まり返っていた。

 ミアの顔が思い浮かんだ。

 最後に見た時の、あの穏やかな微笑み。

 手を振る何気ない仕草も、鮮やかに思い出せた。別れは、驚くほどいつも通りで——

 だからこそ、余計に、心に残っていた。

 それは、いつものように足の治療を終えた、そんな普段と何ら変わりのない午後のことだった。

 その日はあいにくの雨模様で、ささやかな談笑をしていた。その時、部屋の扉が静かに叩かれた。


「アワ様っ……少々、よろしいですか?」


 アロスだった。

 声の奥に何か隠されたものを感じて、ミアもふいに顔を上げた。不安の色が、そのまま目元に浮かんでいた。

 ミアを残し、そのまま離れの小部屋へと場所を移した。テテポもふたりの後に続く。

 石造りの廊下を抜け、薄暗い扉を開けると、そこにはすでに黒衣の使者がひとり、静かに待っていた。薄手のマントの下から、冷えた空気が滲み出るような男だった。

 使者は礼をとると、早口で本題を口にした。


「至急、アルベルサ領へ向かっていただきたい。依頼主は、アナトリー・マーフォリア様です」


 アロスの目が鋭くなる。領国の王子が何ゆえに。


「何があった?」


 一瞬、使者は言葉を選ぶように黙り込んだが、やがて声を潜めて口にした。


「領都の聖堂で……凍りついた死者が発見されたとのことです。しかも、ただの凍死ではない。亡骸からは、この世のものとは思えぬ、魔法のような現象が見られるのです」


 氷漬けの死者。それが何を意味するか——想像するには、あまりに嫌な符合(ふごう)だった。


 部屋へ戻るとヘッラの姿もあった。


「アワ様。どうぞ、お座りになりますか?」

「ありがとうございます」


 アワは、差し出された椅子に腰を下ろした。

 ミアとはいうと、ベッドの背に体を預け、窓の外を見つめていた。じっと、雨上がりの空を眺め、思い返していた。初めてアワに会った日のこと。初めて魔法を目にした、あの日のことを。

 徐々に差し込む光が、外の景色を染め上げていた。

 気を利かせたヘッラは部屋を出ていく。やけに扉の音が重たく響いたあとに、声がした。


「……いつ、ララポルトを発つの?」


 ミアは窓から目を離さぬまま訊ねた。


「明日の早朝には」

「ずいぶんと事を急ぐのね」


 アワの様子から、ある程度のことは汲み取れた。事の大きさが。おそらく、今この瞬間が、別れの時なのだ。


 いつもと違い彼女の口数が少ない。アワは「大丈夫です。どうか、心配しないでください」と、優しく言葉を重ねた。


「状況を把握したら、また戻ってきますから」

「本当に?」

「はい。約束します」


 けれどミアは黙ったままだ。

 アワにはすぐにわかった。機嫌が悪いのだと。何かあった時、頬をそらすその仕草は彼女の癖だ。


「それと足に施した魔法は、強化しておくのでしばらくは安心してください」

「……そうなの?」


 ミアの視線を受けるように、アワは黙って側にいたテテポへと視線を移すが、当人は一瞬きょとんとしただけで目をそらした。


「おい、何だよ⁈ ……ちょっと待てって」


 さらに、目で圧力をかけながらアワは声に出す。


「大丈夫だよな?」


 やれやれとでも言いたげに、テテポは肩をすくめてため息をつく。


「あー、はいはい。わかった、わかった。おれがやりますよ」


 不思議そうな顔をしているミアに気づいたアワは、はっとして言葉を続けた。


「安心してください。その効果が切れる前には、必ず戻ってきますから」

「ほんと?」


 まだミアの表情は浮かない。アワはもう一度、ゆっくりと頷いた。


「必ず」


 それでもミアの表情は晴れない。

 見かねたアワは小さく息を吐くと、そっと自身の腕を差し出した。手首には、色とりどりの天然石のブレスレットが、いくつも巻かれている。

 ミアの視線がそこに吸い寄せられる。いつも目にしていた物。その繊細な装身具の奥に秘められた意味を、彼女はまだ知らない。


「腕を、貸してもらえますか?」


 その中のひとつを外したアワは、ミアの手首にブレスレットを巻いていく。


「この石たちは、古代からエリディオの人々の生活や信仰に根付いてきた、自然の産物です」

「綺麗ね……ずっと気になってたの」

「天然石には、いろいろな効果があるといわれています。気の小さいぼくは、つい付けすぎてしまうんですけど……」


 アワがにこやかに微笑むと、ミアもふっと微笑んだ。この時やっと、アワの顔に安堵(あんど)の色が差した。

 水色のブレスレットを巻き終えたアワは、小さな石を指先で軽くなぞりながら言葉を並べた。


「これは、ぼくの魔力と相性がよく、ヒーリングの効果を込めてあります。不安や……魔女の呪いに心を(むしば)まれるようなことがあれば、この石を頼ってください」


 ミアは少し頷いてから、もう片方の手でブレスレットをそっと包み込んだ。


「……わかったわ。ありがとう」


 声は小さく聞こえたが、表情はすっかり変わっていた。王女の顔だった。ミアは必死に、揺れる感情をしまい込んでいた。

 アワには、その微かに(うれ)いを帯びた瞳を直視することができない。ミアの気持ちが痛いほど伝わってきていた。

 だからこそ、アワは目元を緩めて、柔らかい声で言ってから立ち上がった。


「では、行きますね」


 嘘ではない。けれど、本音でもなかった。

 その言葉は、ただ彼女の不安を少しでも和らげるために選んだ——アワなりの祈りだった。



 車輪がレールを擦る音が、車内に低く響いた。

 列車は減速しながら、古びた石造りの駅に滑り込んでいく。その直前、遠くから一声、汽笛が鳴る。

 細く長い音は、黄昏に染まる街へと消えていく。斜陽は、石畳の道と赤煉瓦(あかれんが)の屋根を金色に染めていた。




挿絵(By みてみん)




「ひゅ〜、やっと着いたな!」


 テテポはご機嫌だ。

 列車が止まって、真っ先に飛び出したのはテテポだった。風に(あお)られて耳がひらひらと踊る。アワも無言で後に続いた。

 目の前に広がるのは、ヴェルディナの王都だ。

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