ep.14
アワは目を瞬かせ、驚いたように顔を上げた。
「初耳ですね」
「お母様の曽祖母にあたる方が、エリディオ出身らしいの」
アワは少し黙って、穏やかに微笑んだ。
「なるほど。じゃあ、ミア様がエリディオに惹かれるのも、少し納得できますね。きっと、血が覚えているんでしょう」
ミアも微笑む。
「だから、きっと私は、エリディオを気に入ると思うの」
沈黙がひとつ、風が揺らす草の音と重なった。
「……ねえ、アワ。ひとつ聞いてもいい?」
やがて、ミアが呟いた。
「私、このまま死んでしまうの?」
病状は進行していない。けれど回復の兆しもない。それと周囲の気遣い。その視線の端々に、何となく察っするものがあった。
アワは短く息をついてから答えた。
「わかりません」
嘘はつきたくなかった。このまま呪いが進行すれば、確実に命は奪われる。——あの人と同じように。
アワは目を伏せずに言った。
「でも、きっと大丈夫です。明確な根拠はないのですが……」
それは、ただの希望ではなかった。
彼女ならきっと乗り越えられる。アワはそう信じてやまなかった。
不安な表示を浮かべ、ミアはアワの顔を見つめていた。信じるしかなかった。今の私にはそれしかできなかった。
彼の眼差しは——まっすぐに、迷いなく自分を見ている。
ミアは思った。この瞳に、私は何度も救われているのだ、と。
「……私のこの凍った足は、魔法なのよね?」
「はい。呪いの類いだと思います。意思のこもったものです」
「意思……呪い……なんだか、神話に出てくる氷の魔女の話みたい」
誰もが知っている伝説だ。
——早く寝ないと、氷の魔女が来るわよ。子どもの頃、皆そうやって育てられた。
ただ、思い返しても、ミアにはその経験がなかった。少し不思議だった。
「気をつけてくださいね。魔女の呪いは、欲望によって加速するらしいので」
アワは、からかうように笑っていた。
「……え? 魔女? 伝説って、本当なの?」
ミアが慌てて聞き返して、アワが続ける。
「魔女は、心底、強欲な人間を嫌っていたみたいですよ。自己中心的で自分勝手な人間に」
「え?」
言葉を失った。自分にあまりにも当てはまりすぎていて、動揺を隠せない。肩を落としたミアは、しょんぼりとしてしまう。
「……気をつけます」
アワの口元に、柔らかな笑みが浮かんだ。
「冗談ですよっ」
冗談ではなかったが、少し言いすぎたかもしれない、と少しだけ反省した。
「今のところ、ぼくの魔法で症状を抑え込めています」
アワは布の端を整えながら、荷物を片付け始める。
「そうね……でも、あまりいじめないでくださいます?」
ミアの叩いた軽口に、困惑の笑みを浮かべるアワ。
「すみませんでした。……でも、大丈夫ですよ。ピンチの時は、いつでも駆けつけますからっ」
二人で布の上を整え、包みをしまい終えた。
ミアを車椅子へと移すべく、ゆっくりと立ち上がろうとアワが動き出した——その矢先だった。
小さな影が、音もなくミアの肩に舞い降りた。小鳥だ。つぶらな瞳のまま、ミアのちょこんと止まる。
「きゃっ!」
驚いたミアは、思わずアワに抱きついてしまう。
小鳥は何処かへ飛んでいき、布の上でふたりの身体が重なる。その間を、ふわりと花びらが舞っていた。
「ご、ごめんなさい……!」
アワは、動じることなく、優しく支えていた。
「言ったでしょう?」
その腕の中で、ミアの頬がぽっと染まる。
「いつでも駆けつけるってっ」
されてはないのに、頭を撫でられたみたいに心がときめいた。そして顔に上る熱……
ミアは込み上げてくるものを誤魔化すように視線を外し、か細い声を漏らした。
「はい……頼りにしてます」
夕色が差し始めていた。
今、屋敷に向かっているのは、日が暮れると体が冷える、というアワの提案だった。帰りたくない、そう駄々をこねるミアに、アワは首を縦に振ろうとしない。
ミアは考えた。意外と頑固な性格なのかもしれない。でも、時間稼ぎをしようとする私に、嫌な顔ひとつ見せない。
隙あらば、子供みたいに何度も話題を振った。
お母様の影響だろうか。時折、彼の口から出てくる母親の話は優しさで溢れていた。
エリディオの話もたくさん聞かせてくれた。小動物や虫が現れるたびに、自国の森に生息している生き物を教えてくれた。
今日は楽しかった。
きっとエリディオ国に行ったら、毎日こんな日々が続くのだ。車椅子の揺れが心地よくて、寝てしまった。振動から彼の温もりを感じながら。
明日も明後日も、同じような日が来るのだと思っていた。
別れの日は、程なくして突然やって来た。