(その4)
やがて⒉人は路地奥の公園へ辿り着き、ブルーシートで囲った店の一軒へ入った。
元町食堂は、店主の老夫婦が全壊した店の近くに屋台を置いて、3月末から再開していた。
「おばちゃん、お酒――。あては、なんか缶詰あったよね?」
「あいよ――。焼鳥と鯖缶でいいね?」
「うん、あとでラーメンもらうからね」
久浩はそう言うと、入口に奥に置いてあるビールケースの椅子に天野を誘った。
久浩自体、震災後まだ2度目だった。
元々店のあった路地一帯は全壊した。
幸い火災からは免れ、⒉階に住んでいた老夫婦も、なんとか崩れた家屋から逃げおおせたのだった。
3月半ばのある晩、久浩は仕事帰りにひとり路地を散策して、バラックのような屋台があるのを知った。それでなくても真っ暗な夜道を歩いて、人通りの絶えた小路地に迷い込んだ。
そして、明りの灯る赤提灯を見た時、久浩は自分の生を実感したのだった。
生き返った思いで、 シートの合せ目から中に入った久浩は、自分の目を窺った。
「おじさん――、おばさん――」
そう声をかけて再会した時、老夫婦はまるで本当の祖父母のように喜んでくれた。
仕事の手を止めて、2人で涙を流しながら、なぜか久浩の無事を褒めてくれたのだった。
「お前……、なんかいい店、知っとるな」
簡易コンロの鍋で燗をつけたワンカップを飲みながら、天野がしみじみそう言った。
ふと見れば、シート囲いの屋台の奥に小さなラジオが置いてあり、音楽が流れていた。
そこから今流行の『心凍らせて』の曲が流れていた。
その裏寒い歌の調べに、今日に限って久浩は、どこか心を預けられそうな気がした。
安っぽい燗酒が、極上のブランデーのように甘い。
それに震災以来、通勤で着慣れた現場用防寒着が、酷く暖かかった。
それは老夫婦のもてなしもあるが、天野と2人で飲む酒の心地良さだった。
やがて曲が終わった。
そして自粛気味のCMが始まる。
…… だが、なぜか一瞬の沈黙 …… 放送事故?
いや、いったいなんだと皆がいぶかしんだ時、ラジオから低音の男の声が響いた。
―― 明治から百年、我々はこの街で育ってきました。
神戸の街と共に発展してきました。
それは、これからも変わりません。神戸で生きていきます。
菱崎造船株式会社、神戸造船所――
それは唐突だった。
ラーメンを作っていた親父さんが顔を上げ、久浩を見た。
その横でおばさんが、満面の笑みを浮かべていた。
そして目の前の天野の眼が、潤んでいた。
それは店の裸電球のせいか、キラキラと光っているようだった。
( 短編小説「FM放送」ー了ー )
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船木千滉