第1話 浮気という名の裏切り
悪い夢だ。そう思った。
三年ぶりに見た最愛の恋人が、恍惚とした笑顔を浮かべていたのが。
自分ではなく、別の男……勇者とキスをしているときだった。
14年間、人生のほぼ全てを彼女と一緒に、彼女のために過ごしていたのに。
何がいけなかったんだろう。
あんなに、あんなに頑張ったのに。
俺の――は、なんのためだったんだろう。
そんな考えがぐるぐると頭を回り、やがて俺の――アベル・シクサムの意識と共に、闇に沈んでいった。。
【side 〇〇冒険者】
「うるさいくらいに盛大だな。さすが、勇者の凱旋か」
世界を脅かしていた魔王は倒された。
人は、その存亡を賭けた戦争に勝利したのだ!
なんて口上をジョッキと共に叩きつけ合う人々の間を歩きながら、俺――アベル・シクサムはそう呟いた。
腰に四本の剣を備えた普段着で、王都の道を歩く一介の冒険者のボヤきなんて、この喧騒じゃあすぐに溶けてなくなっていく。
二百年ほど前から存在し、あらゆる魔獣を操って世界の支配を目論んでいた魔王は、異世界から召喚された勇者率いる勇者パーティーによって倒された。
それがつい一月ほど前のこと。
その偉業を成した勇者パーティーの帰還に際して開催された、通称“勇者祭“の盛り上がりようは凄まじい。
既に始まって三日目の晩なのに、周りではまだまだ飲めや歌えやの大合唱だ。
その気持ちもわかる。俺も叫んで走って踊り出したいくらいだ。
なんて言ったって――勇者パーティーに参加していた恋人とやっと会えるんだから。
「ミリア……やっとだな」
同じ村で育った幼馴染で、結婚の約束までした最愛の人、ミリア・クセレイに、三年ぶりに会えるんだから。
「やっと……やっとだ。あれから三年、終わったんだ……!」
噛みしめるように、言葉を発する。
きっかけは些細なことだった。
一人一人に与えられるスキルと魔法の才能――『ジョブ』の判定で、一緒に冒険者として活動していた俺達は離れ離れになった。
彼女のジョブは、伝説の魔法使いのものだったと言われる《賢者》だった。
……それが、全ての始まりだ。
ミリアは国からの命令で、異世界から召喚された勇者の魔王討伐パーティーに参加することになった。
俺だってついて行きたかった。正式なメンバーじゃなくても、雑用とかでいい、一緒にいたかった。
だけど……俺のジョブは、剣を操る平凡な《剣士》。
賢者のミリアや、卓越した力を持つ勇者パーティーの面々についていくには、俺と『剣士』は平凡すぎた。
最初は運命を呪った。なんで俺たちがこんなことに……と。
呪って、泣いて、悔しくて悔しくて――だからこそ、俺たちは誓った。
ミリアは必ず生きて帰る。俺は、できる限り彼女を支え続けると。
いつか魔王を倒してまた会えたその時は、きっと一緒になるんだという……特別な誓いを立てて。
そして三年後。こうして魔王は斃された!
「やっぱりミリアの魔法は最高だな! 絶対やれると思ってた!」
成人前から王都の魔法学校に入るほどだ。幼馴染の才能に思わず顔が綻ぶ。
「おーいアベル! なぁに一人でぶらついてんだ、こっち来て飲もうぜ!」
王都の道を歩いていると、顔見知りの中年男が樽のようなジョッキを片手に声をかけてきた。
行きつけの道具屋の店主だ。……おっちゃん、昨日も遅くまで飲んでいたのにまた飲んでやがる。
「悪いけど遠慮しとく! おっちゃんもう一日中飲んでんじゃないの? そろそろ控えとけよ!」
「いいんだよこんな日くらい! 釣れねぇな!」
「ばっかオメェ、Sランク冒険者を誘ってやんなよ! もっといい店知ってるだろうぜ!」
道具屋のおっちゃんにまた別のおっさんが話しかける。
Sランク冒険者か。
ミリアのために頑張っていたら、いつの間にかそこまで上り詰めていた称号。
世界に11人しかいない、冒険者からしたら生ける伝説だ。昔はミリアとSランクの冒険譚を語り合って、目を輝かせたっけ。
俺がその伝説の一人になったなんて正直、自覚がまったくない。
恋人のためだけにSランクに至った恋愛脳の冒険者なんて他にいないだろ。
「そっちで愛しいあの娘と待ち合わせてるって! なぁアベル!」
「だったらよかったな、チクショウ!」
伝説をイジるとは王都民はなかなか度胸がいいなオイ!
勇者パーティーのミリアと交際していることを、俺は広く公言していない。
でも知っている奴は知っている。特に隠してもいないし、「恋人のために頑張ってる」くらいは常日頃言ってるし。
特に王都は三年前まで二人でホームにしていた所だ。昔の俺たちを知る人も多いわけだ。
「そうだったそうだった! 恋人との感動の再会で、野郎と飲むどころじゃねぇか!」
「ヒューヒュー! 色男!」
「うるせーよ! 酒はほどほどにな!」
酔っ払いは楽しそうで何よりだと思いながら、俺はある教会への歩を進めた。
勇者が凱旋してから三日目だが、まだミリアとは会っていない。
帰還初日は休養と王との謁見。
翌日はパレードと貴族たちとのパーティー。
今日の昼間はこの国、シルディエル王国の政治関係者とのパーティーなどなど。
忙しいだろうから、こちらからはアクションを起こさなかった。
暇ができるなら、おそらく今夜からだ。
焦らなくっても、明日には会える機会がある。Sランクとして、もっとも大きな支援者として明日のパーティーに出席することになっているからだ。
それでも待ちきれなくて、もしかしたら会えるんじゃないかと思って。
足取りが早く、なってしまった。
・・・・・
やがて、とある教会に着いた。
喧騒から離れた、月光に照らされた静かな教会だ。
「懐かしいな……思えばここからか」
ここはジョブ判定に訪れた、門出と別れの教会。
再会の場所はここと二人で決めて、それぞれの道を歩んだ。
大きく、息を吸う。空気がひんやりとしている。
ゆっくりと教会の正面扉に向かっていく。
――ドアに近づいたときだった。僅かに開いていた隙間から、女性の声が聞こえた。
今も記憶に鮮明に残る、可愛らしいソプラノボイス。
ミリアの声だ! 間違いない……!
俺は弾む心を抑えきれず、ドアノブに手をかけよう……として、その隙間から。
見えてしまった。
恋い焦がれた恋人が、男とキスをしているのを。
「ミ、リア……?」
栗色の髪に、気が強そうなパチッとした目。
体は昔に比べて女性らしいラインを描き、豊満と呼べるプロポーション。
三年で成長し……より美しく、女になった彼女が。
恍惚とした目で唇を合わせ、舌まで絡めているのは、間違いなくミリア・クセレイだと、アベルにはわかった。
「んっ、ユート……」
「綺麗だよ。ミリア」
男の顔には見覚えがあった。新聞の写真にも写っているのだから間違いない。
特徴的な黒髪黒目、変わった名前は異世界のものだろう。
その男はユート・アマノ――勇者だ。
「ふふ、嬉しい。でも明日からそういう機会は減っちゃうわね」
「仕方ないさ。俺たちには、互いに別の相手がいるんだから」
勇者は服が乱れたミリアの細い腰に手を回し、大きな尻に手を這わしている。
ミリアは、それを嫌がる素振りもない。
二人は恋人のように――そうだ。
恋人のように仲睦まじく話している。
……俺以外と?
「私は貴方と結ばれることはできないけれど、それでも貴方を愛しているわ」
――は……? え……?
「互いに別の相手に愛を向けてもこの愛は変わらない。それにこれからも熱い夜を過ごすこともな!」
「もうっ、エッチなんだからっ!」
なぜ、彼らがキスをしているのか。
何を言っているのか。
わからないほど、子供じゃない。
会話を聞く限り、二人は男女の関係――肉体関係がある。
つまり、二人は、彼女は。
「ミリアは……浮気、していたのか」
その言葉を発した途端、全身から力が抜けていく。
足元がガラガラと崩れていき、どんどん下へ落ちていく。
あたまが、こわれる。
「でも、名残惜しいけどこの辺で。そろそろ恋人を探してあげないと……」
「元の恋人はただの冒険者なんだろ? 俺よりいいとは思えねぇな……なぁ、このまま適当な宿に行かねぇ? またポーション使って気絶するほどやってやるからさぁ」
「言わないで? 勇者であるあなたと彼じゃ、比べるものが違うんだから……それに、一応まだ恋人よ?」
――二人は会話を重ねる。
内容は……俺をこきおろすような話だ。
ミリアは……あんな事を言う娘だったか? ……そんな顔をする女性だったか?
そんな考えがぐるぐると頭を巡る。
俺のことを、忘れている。そんな都合のいい解釈は、できなかった。
忘れている方が、まだ救いがあったのに。
(俺のことを覚えていて、浮気していたのか……)
ずっと支えてきたのに。
勇者パーティーのために尽くした三年は何だったんだ。
その間、裏切られていたなんて――なんて滑稽なんだ。
いやそもそも、彼女と過ごした十四年間も……?
「物心ついたときから、ずっと、ミリアと一緒に……彼女のために生きていたのに」
まとまらない思考で、答えを出した。
「そうか――俺の人生は、無駄だったんだ」
力が抜けた手で、ほんの僅かに空いた戸を押す。
キィィ、と。
「っ!? なにっ!?」
木が軋む音が響き、ミリアと勇者ユートは振り返った。
俺を見つけて、ホッとした顔をした。
「こほん、貴方。盗み聞きは趣味が悪いわよ。今なら見逃してあげるからすぐに立ち去――」
「ああ、そっか……」
「――え? そのっ、声……アベ、ル?」
気付かれてもいない。
そのことに、むしろ安堵すら覚える。
なんでだよ。
「えっ……あいつが、あの恋人か? ミリア」
「あっ、いやっ……アベル、違うのこれは」
拙い、手遅れな言い訳。
それを聞かず、俺は言葉を吐いた。
「こんなもののために、生きていたのか」
はじめましての方は初めまして。
赤月ソラと申します。
カクヨムにて連載しているものの転載です。
しばらく毎日投稿をします。お読み頂ければ幸いです。
どうか、あなたの性癖に合うことを願って。