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38話  砦へ


ザイバル市。

サーシャが生まれ育ったこの町は、サルマン皇子が評したように、ずいぶんと中途半端だった。

人口は多いものの、そこまで突出して多いとは言えない。地図を見れば、確かに街道の交わる場所ではあるが、東へ向かう道は砂漠を超える道で危険極まりない。特産品としては砂漠地帯で採掘できる岩塩と、南西にある草原地帯で放牧している羊くらいなものだ。


しかし、このザイバルの町には一つ、強烈な個性が存在した。町中のいたるところに、人ひとりが通れるほどの穴が開いていて、その穴はダンジョンへと直結しているのだ。この町は、ダンジョンからの収益と、それに魅かれた冒険者の落とす金によって成り立つ町だった。


戦闘は苛烈を極めた。帝国軍は終始優勢ではあったものの、度重なる裏切りと慣れない気候、神出鬼没の敵兵に手を焼き、決め手に欠けていた。戦いは泥沼に迷い込んでいて、帝国兵士たちから征服欲が失われていた。マルヤマとサーシャが来たのは、そういう時期だった。


見張りの兵士に名前だけを聞かせたら、すぐに陣中へと通された。2人を見る見張りの兵士の顔が、絞め殺されるニワトリを見るかのような目だったのを、丸山は覚えている。


それから1日後になって、サルマンが手勢を率いて現れた。マルヤマとサーシャの2人とも、まったく軍事などには明るくなかったが、彼の率いる軍勢の練度の高さは一目見ただけで理解できた。そこにいるだけで空気がピンと張り詰めるような、そんな風に感じられた。


「おぉ来ちうか、よしよし、ええど。頭のええ奴は皆足が速い」」


白く輝く鉄鎧に、所々に金細工が施された甲冑を身につけたサルマンが、出迎えに来た2人を機嫌良く褒めた。小学生のようなその発言に、丸山は内心頭を抱えた。


「あの…」

「なんじゃい?言うてみ。下らん問いじゃったら、そん指詰めさしたるど」

「何喋ってんだか分からないです」


絞り出すような丸山の声に、それは盲点だったと言わんばかりにサルマン皇子は手を叩いた。


「おぉ、ほうか。すまんすまん、忘れていたわい!......おい、確か通訳と辞書があったの。こん奴らに渡してやらんかい」

「はっ!......皇子は不要で?」

「こんクソボケがぁ。こんな下痢みたいな言葉、3日で覚えたわい」


傍らに控えていた岸の言葉に、俺を誰だと思っている、と吐き捨てると、サルマンは最後に付けくわえた。


「まぁ、5日程度で簡単な会話くらい出来るじゃろ。出来んなら知らん。出来た言うんやったらワシんところに来い、仕事の一つや二つ、ボロボロ渡しちゃる…通訳!」


あぁ、また皇子様のワガママの被害者が出た。かわいそうに。周りの人間は、そういう目をしていた。




5日が過ぎたので、マルヤマとサーシャはとりあえずサルマン皇子へと拝謁することにした。その日は、既に傍らに仕えているのは騎士ではなく、スニーファに代わっていた。


「で、覚えはどないもんじゃい。できたかいの?」

「一応の」

「き、今日の、美味し、か、っちゃ...朝ご飯」

「何を言っちうこのバカ女は?」


まだ文法への理解は不十分なサーシャを放っておいて、スニーファは淡々と事務的に連絡を済ませる。


「お2人には、兵舎の監視をしていただきますけえ。ここからちょいと北ん方に、ザイバルのモタレどもが廃棄した砦をそのまま転用しておりますけん、お使いつかぁさい。詳しい紹介は現地の鼻垂れ共にさせますんで、こちらの令状を見せちくいな」

「まぁそこまで消耗するものでもないじゃろ、生意気なボケどもがおったら叩っ殺しても構わんぞ」

「勘弁してくんさいや」


ではこれを、とスニーファから一枚の封蝋された手紙を渡された。良く整えられた銀の毛並みが、丸山の目に嫌に焼き付いた。あまり皇子と顔も合わせるのも怖かったので、すぐにスニーファに指示されたところへ出発することにした。5キロほど離れた、小高い丘の上だった。



「......なんでこうなった」


周りに誰もいなくなったことを確認した丸山がこめかみを押さえて、今や慣れ親しんだ北方諸国の言葉でなんとか絞り出した。


「か、帰りたい…」


サーシャからも帝国の言葉は既に剥がれ落ち、慣れ親しんだ言葉に甘んじていた。彼女の手の内には、自身がデメティオに差し出した青い宝石の輝きと冷たい感触が、まだ触れているかのように思い出されている。


道は登り坂の気配を漂わせ始め、天を仰ぎ見れば木立が肩を寄せ合い、木漏れ日を細く白糸のように垂れ流していた。どうやら頂上にあるらしき砦へと向かう、最後の登り坂に差し掛かったらしい。



両脇の木々が切り拓かれ、細い坂道の先に青空が途端に広がった時、まだ真新しい石垣や、木で出来た門や物見櫓なんかが2人の視界に飛び込んできた。盛んに人の行き交いがあるらしく、柔らかな白い煙が、幾筋にもなって薄雲のごとく青空へと吸い込まれていき、その下に喧騒が飛び交う。まるで、どこかの市場のようだった。

兜の頂点を晩夏の日差しに鈍く光らせ、門の上でハヤブサのように鋭い眼光を飛ばす兵士に向かって、丸山は令状を大きく振り回した。


「おーい、ちょいとええかいの?皇子がやれっちゅうから、ここで働くことになったんだどもさ」

「なんじゃいワリャア、嘘こいとるんじゃったら、隣の女ごとぶち殺すど」

「勘弁してくれ」

「そこでアホ面晒して待っとらんかい、大将に話聞いてくるでの」


その猛り狂い、威嚇する物騒な兵士の声に、丸山は首をすくめた。

なんて恐ろしい、血気盛んな奴らの場所なんだろうか。

しばらくして、門が静かに開いた。



「マルヤマにサーシャじゃの、確認できたわい。通ってくれや、中で大将が愉快な面してお待ちじゃけん」


先ほど丸山から手紙を預かった兵士が、門を開け放って姿を現した。彼が親指で示した先には、円塔を束ねたような建物が建っていた。

彼はそこの入り口まで2人を案内すると、入り口で立ち止まり、螺旋階段の上を指さした。



「大将はこの階段を上がった先じゃ。気風のええ親分じゃから問題はないと思うが気ィ付けェや。あん人は朝から酒飲んどるぞ」

「良えんか大将」

「あ、ありがとうござい、ました」


兵士と別れ、少し歪んだ螺旋階段を歩く。やや浮いてグラつくその階段に、サーシャは違和感を覚えた。ザイバルの人間は土系統に精通している人間が多く、土木技術で言えばかなりの高水準である。

サーシャの記憶にある限り、この丘には砦など何もなかったため、もしかしたら帝国側の人間が建てたのかもしれない、と彼女は思い直した。


階段を登り終えた。余計な手間を省くためか扉は無く、すぐにその大将は2人の目に飛び込んできた。


白の軍服をグッチャグチャに着崩し、褐色の肌をほとんど胸元まで露出させた、ボリュームのある金髪を枕に寝転がる、飲んだくれの女性だった。

彼女は、今しがた階段を登ってきた2人を認めると、アルコールで充血して乾燥した目を擦って手招きした。


「んぉ、よぅ来たのぉ!ちょうど切らしちうてんでぇ...あと5本持ってこんかい!」

「......帰りてぇ」

「...もういやだ......」

「なんじゃ、知らねー顔だのぉ...落城かいや?うへへっへへ」


正気かどうかも分からない笑いをした衝撃でグラスがひっくり返り、白の軍服に取り返しのつかない赤ワインがぶちまけられる。それにも気が付かず彼女は怪しい足取りで立ち上がった。軍服は完全に脱ぎ捨てられ、発育の暴力に悲鳴を上げる黒のキャミソールだけが、彼女の人間としての尊厳を守る最後の砦となった。


「ぐふふふ...我が名はサルマン皇子が配下の一人、シルラ!お前らんドタマとって、上がった給料で酒飲んじゃる!」


しかし、ガバリと立ち上がった彼女は、その肉付きの良い小麦色の足をふらつかせると、もつれたせいでドタリと倒れ込んだ。

どうやら、立ち上がった勢いで一気に酔いが回ったらしい。彼女は先ほどまでの女傑っぷりはどこへやら、自身の髪の中で静かに寝息を立て始めた。



「……毛布、持って、きてあげた方がいい...よね?」

「あっても無くても、そのうち死ぬんじゃねえかな…」










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