20話 麻薬
ちゃぷちゃぷと波打つ水の音で、丸山は暗闇から現実へと引き戻された。
いつの間にか気を失ってしまっていたようで、壁にもたれかかり尻もちをついていた。胸元辺りまで水が満ちていた。節々が痛む体に鞭打って立ち上がっても尚、膝の高さまで水が溜まり、それが見渡せる範囲の通路全てに広がっていた。
イングリットは5キロ四方の広さを持つダンジョンだと言っていた。それらの床全てを沈めてしまう水魔法がどれほどの規模なのかなど、想像したくもない。
サーシャが先ほど指を振るったところの壁は打ち破られ、地図には全く書かれていなかった部屋が現れていた。どうやって見破ったのか、なぜ隠されていたのかは不明だったが、サーシャは構わずその中に入っていく。慌てて丸山も彼女の後を追ってその部屋へと飛び込んだ。
中にあったのは、水没して僅かばかりの葉が水面から顔をのぞかせる植物と、割れて浮いた鉢の欠片だった。壁や天井の様子を見るに3階層までのような清潔で乾いたレンガが敷き詰められた場所だったようだが、今は無惨にも外と同じように水浸しにされ、以前の部屋の面影は残っていなかった。
そして、その部屋の奥にはげっそりと痩せた小男が、ぎりぎりの高さで水没を免れたベッドの上に横向きになって寝込みながら、管に口を付けて静かに深く呼吸を繰り返していた。
「お、お前...変なクスリでもしているのか...?」
丸山は困惑して呟いたが、すぐに土と水の鮮烈なにおいの中に、嗅ぎ慣れない匂いがあることに気が付いた。甘くて重ったるい煙のように鼻粘膜に粘りつく匂い。
極端に鈍い動き、倦怠感に包まれたような痩せて生気を失った顔、何かを吸い込むような動作。
実際に見たことは無かったが、丸山はこの姿を歴史の教科書で見た記憶があった。
「.....阿片か?」
その問いに男は答えない。ただ濁り切った目でぼんやりとこちらを見ながら、一心不乱に管に口を付けて呼吸をしていた。
この重度の薬物中毒者を一体どうすればいいものかと丸山は決めかねていた。この部屋を発見した当事者のサーシャは、目の前の人間に特に何も反応することもなく、ただそこに無表情のまま佇んでいた。
すると突然、天井の隙間から、まるで一つの意思を持った生き物のように集められた砂が鎌首をもたげ、砂鉄で蛇の如くしなやかに素早く鋭く、サーシャの背中へと襲い掛かった。
「サーシャっ!」
丸山は叫んだが、彼女が意に介することは無かった。その一撃は先ほど丸山が掴もうとした時のようにすり抜けて全くの空振りに終わり、壁に突き刺さって消えた。
ザブザブと足を動かす音が聞こえ、忌々しそうに睨みながら現れたのはバーティアだった。
「今......なにをした?」
その問いにも彼女は答えない。どこか遠くを見渡しているようにも見えた。その時初めて丸山は、彼女が今自分よりも身長が高くなっていることに気がついた。
「ダメですよ。さっきからこんな調子で、うんともすんとも言いやしない。おまけに年も取ってるから、放っておいた方がいいです」
「誰がお前に聞いた?あの女に用があるんだ、黙ってろ」
今にも刺し殺さんばかりの目線をぶつけてくるバーティアだったが、それに構わず言葉を続ける丸山。
「あんたの部屋だったのか。今ここで話が通じるのは多分俺しかいないぜ」
「火系統なんか俺の敵になるもんかよ。俺はあの水女に用があるんだ」
バーティアは煮え繰り返った腹の底を必死に収めているようだった。口角を引き攣らせ、まるで親の仇を見るかのような怨念の籠った目で壁の一点を見つめているサーシャを見ていた。
ここを暴かれたことによる怒りではない。元からこの男はサーシャというより水系統に対して当たりが強かった。
そして先ほどの細やかな土を操って攻撃する土系統魔法。
つまり。
「......水を含んだ土だと、魔法が使えない」
「......ぶっ殺す!」
下卑た怒りを爆発させたバーティアが壁一面から黒い棘を生み出し、丸山とサーシャに襲いかかった。
この狭さで魔法を使うのは危険だ。
そう判断した丸山は水に濡れながらも済んでのところで回転回避し、距離を詰めてインファイトに持ち込むため、猛然とバーティアの懐に突っ込んでいった。
それを待ってましたと言わんばかりにバーティアは天井の隙間から掻き集めた砂を一点に捻って集め、人体を貫通するに十分な勢いと鋭さを持って叩きつけ、派手な水飛沫が部屋中に跳ね上がった。
顔に水滴が跳ね飛び、目を細める中でゲーティアは次の動きを考えていた。本気で脳天からケツまで貫通させてやるつもりでやったが手応えは無かった。
後ろに飛んだか、左右に避けたか。まだ切り札2つは取っておきたいところだった。
しかし、その一瞬の逡巡が彼の命取りとなった。
目の前にソイツがいた。
その左足から顔面目掛けて放たれた強烈な飛び蹴りを捻ってなんとか回避。掠めた左耳がもぎ取れたかと思うほどの威力。
しかしこのままなら丸山は無防備に腹を晒すことになる。1発でも腹にキツいの突っ込んで終い、のはずだった。
まるで蹴り上げた先の空中に見えない壁があるかのように一瞬だけ静止したように見えた。
いつの間にか回されていたヤツの両手が己の頸と腰を、猛禽がネズミに爪を突き立てるが如くガッチリと掴んだのをバーティアは察した。
その両手を支えに丸山は腰を捻り、後頭部に右足を回すと万力のように、バーティアの頭が割れんばかりに挟み込む。
そして飛び蹴りの勢いを殺さないまま、丸山は自身の上体を捻り込み、自重と旋回のスピードでもってバーティアを崩し、そのまま背中から水面に思い切りよく叩きつけた。
ヘッドシザーズ・ホイップ。プロレス技の一種であるこの技は、終わった後が真骨頂だった。
両脚で力強く挟み込み、床に押さえつける。
ただそれだけに思えるが、この膝丈ほどにまで浸水しているフィールドでは凶悪な水責め拷問技となった。
ガボガボと大きな気泡を湧き上げて、丸山の両足を引っ掻き脱出しようとするゲーティアだが、丸山の拘束から逃れることができない。やがてその腕は力無く垂れ下がり、水の動きになすがままになってしまった。
それを見た丸山は拘束を緩め、先ほどからずっと対峙している薬物中毒とサーシャに声をかけようと振り返った。
次の瞬間、先ほど死人のようだった腕が水飛沫をあげて跳ね上がり、何かを空中に投げ上げた。
100ダカット金貨。その場違いな輝きに一瞬目をやられた丸山は、その金貨から勢いよく伸びた土色の棘に肩を貫かれた。




