18話 祝福
「着いた着いた...ここがアジトだよ。エミーは覚えてた?」
「うん!階段を降りてから左に曲がって、3番目が右、そのあとまっすぐ進んで5番目が右で、すぐに左!」
それを聞いて顔を見合わせたのは丸山とサーシャだった。4人が立ち止まったのは廊下の真ん中で、特に周囲に何かがあるわけでもない。あるのはただ隙間なく、精巧に敷き詰められた灰色のレンガだけだった。
「よく出来ました。2人もきっとこれから何回も来ることになるだろうから、覚えておくと良い。冒険者の人たちは、時々自分の道具の柄とかも刻んでることもあるらしいけどね」
そう言うとイングリットは3度、向かって右側の壁を叩いた。
すると、なんの変哲もない壁の向こう側からぼそぼそと、忍ぶような小さい男の声が聞こえてきた。
「.........王様の駿馬」
今度はイングリットが低く呟いた。
「ツグミ、止め螺子、巨人の両目」
「.........屍人から感謝を」
壁の向こうから再び男の低い声がすると、先ほどまで堅固で無機質だったレンガの壁がどろりと溶け落ちて、強面のいかにも歴戦の冒険者と言った風格の男が姿を現した。
額に深い皺が刻まれ、ひどく目が落ちくぼんでいる、その初老に入った男は自身のスキンヘッドを撫でると、軽く頭を下げた。
「今回も世話になる、シスター・イングリット」
「やぁジルバンガ。でもお世話になるのは、私じゃないかもね」
いつものように目を細めて笑ったイングリットは、その背後にいる2人のシスターと1人の冒険者を指さした。
そのジルバンガと呼ばれた男は眼窩に陰る目を細め、2人のシスターにそれぞれ一礼した。
「ここのアジトの出入りを担当してるジルバンガだ、なんかあったら聞いてくれ」
「よろしくおねがいしまーす!」
「あ、えと...はい、よろし、く...おねがい、します...」
その2人に再び会釈を返した後、それを傍観していた冒険者を射殺さんばかりに睨みつけた。
「...で、初日から遅刻か」
一瞬サーシャどころかエミーもたじろぐ、抜身の刀のような鋭い気迫だったが、丸山は平然として大ウソをついた。
「ここのシスターさんらの用心棒をベリルさんにお願いされてきたんだ、遅刻は謝るがそこは考慮してほしい」
ベリル、の言葉に一瞬ピクリとジルバンガの左の眉根が寄ったのを、丸山は見逃さなかった。
少しばかり、その暗い目の奥に値踏みするような光が浮かんだあと、彼は呆れたように背中を向けてしまった。
「ベリルの野郎、人を食ったガキばっか送ってきやがる...こっちだ、付いて来い」
チェーンメイルを着込んだ広い肩を揺らしながら、ぶっきらぼうに奥へと進んでいくジルバンガ。それに追従する3人だったが、ただ一人エミーだけが乗り気ではないように二の足を踏んでいた。
「え...エミー、ちゃん?あの、お、おじさんも、こ...怖くないから…ね?は、早く行こ?」
「で、でもっ!ひ、人を食べるって...」
そう言って震えながらエミーが指さしたのは、丸山の方だった。
「......あとで誤解を解いてくれ」
「...ガキは、嫌いだ」
唾を吐き捨てるようにジルバンガは呟くと、足を止めることなく再び奥へと向かっていく。
アジトと呼んだその場所は丁寧に整理整頓されていて、小さいながらも2段ベッドも廊下に沿って一列に並べられていた。
さらに奥に進み、右折したところに15畳ほどの広い部屋があり、そこには灯りが吊り下げられ、机と椅子の一式が置かれていて、その机の上にある紙束と羽ペン、ズラリと並んだインク壺が持ち主の多忙さを物語っていた。
加えてその部屋には既に10人前後の若い冒険者が屯していて、丸山に対しそれぞれが軽侮や好奇の視線を送っていた。一部の顔には、丸山自身も組合で見覚えがあった。
「これで全員揃ったか?」
丸山たちの背後から現れたのは背の高い茶髪の男だった。ちょいと失礼、と丸山の肩に手を置き、若い冒険者の群れをかき分けた彼は椅子がちょうど集団の方を向くように動かすと、そこにドカッと座った。
「やぁ諸君、ダンジョン探索の実地隊を一任されているバーティアだ。バーティアだからな、ちゃんと覚えておいてくれないと悲しいぞ?まずはここに参加してくれた10人の優秀な冒険者に感謝を述べたいと思う。どうもありがとう。もしもダンジョンのことに関して何か質問があったらぜひ遠慮せず聞いてほしい。別に痴情のもつれとか、最近町の酒場の酒が薄くなったのに値上がりしたとかの愚痴でも構わないぞ?まぁアジトにもっぱらいるのは副隊長のジルバンガだが...ははは」
おそろしい早口だった。聞き取れなかったためにサーシャとエミーは早々にリスニングを諦めてしまい、右から左に聞き流すことにした。色めきだっていた冒険者たちもその早口に毒気が抜かれてしまったようで、全員がポカンとしながらよく回る口を眺めていた。
「とりあえず話そうか?今から皆さんには4階層に降りてもらうわけだが、そこで地図を埋めてほしい。鉛筆と地図は後で配布するから焦らなくても構わないぞ、依頼書には書いてなかったからな。あとで報酬金から天引きするようなケチな真似もしない。そこのシスターたちに誓おうか?お布施もしちゃうぞ」
「......バーティア」
「おっと」
嗜めるようなジルバンガの一言に冷や水を浴びせられたバーティアは、新米たち1人ずつに複雑な模様を成しているダンジョン4階層の地図と、黒鉛の棒に太い糸を巻き付けただけの粗末な鉛筆を1本渡した。
「その地図に書き足していくんだ。もしも鉛筆が折れたりして使い物にならなくなった場合は一度アジトに帰還してまた借りていってくれ。なぁに、変えはたくさんあるから遠慮なく言うんだぞ。あんまり頻繁に折るようだったら有料にするけどな」
「......その前に、アンデッドやソウルの対策として祝福を受けてもらう。お前たちは、そこに立ってればいい」
ジルバンガが一言付け足すと、イングリットの方に目線をやった。しかし彼女は自分の代わりに、借りてきた猫のように大人しくなっていたサーシャとエミーの背中を押して前へと進ませた。
「んぇっ!?」
「な、ななっ...!」
「今日は特別にこの子達にやってもらおうと、ね」
「おっ頼もしいね。じゃあビシッと厳しいの一髪お願いしちゃおうかな」
「......腕の程は大丈夫なんだろうな?」
「お姉さんのお墨付きだぜ?普通に優しく魔法掛けるだけだからさ、ほらやってごらん」
おそるおそる、と言った感じでエミーがジルバンガに風魔法を吹きかけた。
「......問題なさそうだ。感謝する、シスター・エミー」
「ま、まあエミーちゃん魔法の天才だし!もっといけるよ!」
「あんまり張り切ると体力切れるよ。サーシャちゃん次やってみよっか」
「は、はい......」
ぷかり、と直径60cmほどの水塊を作り出す。普段よりも少し大きめなことに違和感を抱いた丸山だったが、それ以上に嫌悪感を示したのはバーティアだった。
「シスター・イングリット、俺はあんたに感謝してるし尊敬してる。でも水系統は呼ばねぇでくれと言ったのを忘れたとは言ってほしかないぜ?」
「忘れてなんか無いさ、ただこの子が優秀だから連れてきただけだよ」
表面上はにこやかに、しかし隠しきれない一触即発の空気がアジト内に満ちた。
サーシャは、ようやく蓋を閉じ始めていた過去の記憶が、無理やり瘡蓋を剥ぎ取られて晒された生傷のように痛み始めるのを感じた。四肢の先が冷たくなり、感覚がなくなっていく喪失感。
見かねたジルバンガが仲裁に動こうとしたその時、先に動いたのは丸山だった。
その水塊に顔を突っ込むと、そのまま2口ほど飲んでしまい、驚く彼女に見合うと
「もう一杯!」
と元気よく叫んだ。
「くくっ...ははははっ!少年良いぞ!もっと貰っちゃえ!」
腹の底から愉快そうにイングリットは笑い、ジルバンガは進みかけた足を元に戻し、バーティアはアジトから出て行ってしまった。
「......とにかく、祝福は貰っておくように。要らないのであれば帰ってもらう。祝福を受け次第、地図を頭に叩き込んで4階層に向かえ。以上」
呆れたような響きを持ったジルバンガの命令に、冒険者の全員が静かに頷いた。