15話 組合長
「組合長、失礼します!」
キビキビとした動作と有無を言わさぬ腕力で2人を引きずり階段を登った受付嬢は、ノック代わりの前蹴りを艶のある値の張りそうな扉にかましてサーシャを震撼させた後、返事も待たずにズカズカと部屋へ入り込んだ。
部屋の中にはかなり巨大な机と椅子が置かれていて、そこに深々と帽子を被り込んだ男が埋もれるようにして、クッションにだらしなく座り込んでた。
「て、手首に、あ、アザできちゃった...」
「衛兵さん呼ぼうぜ」
丸山がサーシャの腕を撫でてやっていると、受付嬢が頭を下げてきた。
「その…手荒な真似をして申し訳ありませんでした。偽貨の問題ですと、あまり多くの人に知られると混乱してしまいますから…」
「まぁそうだろうな」
もしも仮にあそこで騒ぎ立てれば、あの場に居た冒険者全員が一斉に受付に押し掛けるという最悪の事態もあり得た。
幸いにも、今のところはまだ誰も気付いていない。つまり丸山とサーシャが黙っておけば最悪の話、それですべてが収まる話ではあった。もちろん、それは問題の先送りにしかならないのだが。
「いやぁ、すンませんねウチの部下が。この通り謝りますんで許していただけないっスかね」
気抜けのするような声がサーシャのすぐ目の前で聞こえた。
ハッとして前を向くと、先ほどまで座り込んでいた男が、いつの間にか鼻先が重なるほどの至近距離にまで近づいていた。
「ひぃうっ...!?」
「距離感」
「おっとっと...すんません、怖がらせちゃいましたかね?」
柔らかそうなウールのシャッポをクシャリと握って外すと、彼は恭しく一礼した。全く以て紳士的な、優雅な仕草の、見倣うべき動作だった。
「どうもぉ、ここの組合長やってるベリルって言うもんです。名前だけでも覚えて帰ってくれりゃ嬉しいっスね」
「はぁ...」
軽薄な笑みを口元に浮かべたベリルは再び一礼した。
「いやぁマルヤマさんっスよね?一度お会いしたかったんですよ。『鉈』のマルヤマさんって有名ですヨ?」
「初耳ですけど」
「あれェ?」
丸山は鉈などほとんど使ったことすらなかった。それどころか武器すらも携帯したことは無かった。基本は素手と魔法で全て対処してきたし、それで事足りる難易度のクエストしか受けていないつもりだった。
「んじゃ、マルヤマさん今日から鉈使いましょうか。これあげるんデ」
丸山の眼前に手渡されたのは、茶色い皮が巻きつけられた柄に、刀身を四角い木鞘に収めた鉈だった。
「...なんで?」
「いやァ、マルヤマさんそっちの方が似合いそうだなーって。なンで今日からそれ使ってください」
「......くれるなら、もらいますけど...」
不承不承、丸山はそれを受け取った。食えないやつだ、と薄っぺらい笑みを浮かべているベリルを見ながら冷ややかにそう感じた。まるで人を煙に撒くのを楽しんでいるようなやつだとも思った。
「あ、あの...その、こ、これ...なんですけど」
痺れを切らしたサーシャが、本題に切り込むために偽貨をベリルの眼前に差し出した。
それを受け取ると、偽のコインを透かして見るように掲げてじっと見入った後、ベリルはそっと机に置いた。
しかし、次に彼が発した言葉は、サーシャを驚愕させた。
「丸山さん。お手合わせ、お願いしても?」
本気だった。袖はしっかりと捲り眼光炯々、顔からは先ほどまでの軽薄な笑みが消えていた。
サーシャは激しく狼狽したが、丸山は至って冷静だった。
「...魔法はやめにしましょう」
「えぇ、あなた相手だと建物がいくつあっても足りない」
一瞬だけ苦笑の表情を浮かべたベリルだったが、すぐにその表情は失せた。丸山は、終始無表情だった。
パチンとリングスナップボタンが外れた音がしたかと思うと、スルリと鞘が外れ、丸山が先ほど渡された鉈の刀身が姿を現した。
まるで短剣のように緩やかに曲がった刀身と鋭く尖った鋒を持つそれは、剣鉈と呼ばれる肉厚で鋭利な刃物だった。
「...マジですか?」
「『鉈』のマルヤマですから」
左手にその凶器をチラつかせながらジワリと近付く丸山。間合いにはあと大股一歩の距離しかない。
両者の鼻先にチロリと相手の殺気立った気配が舐めた途端、丸山はお手玉の要領で右手に鉈をスイッチし、それを手裏剣のようにベリルの左膝に投げつけた。
「ぅうおっ...!?」
驚嘆を漏らしながらも大きく後ろに飛び回避したベリルだったが、上体だけが前屈みになり、右の手足が前に残って伸び切ってしまっていた。
素早い動きでその懐に潜り込んだ丸山は、左手でベリルの右手首をしっかりと掴み、自身の右手で胸ぐらを掴むと気合一閃、左手を下に、右手を上に引っ張り込んで豪快にベリルの体を半回転させた。
「受け身取ってくださいよっ!」
間近で見ていたサーシャが最後に見たのは、大きく天井に向かって伸び上がったベリルの両足だった。
「お、お尻がヒリヒリしまスね」
「受け身お願いしますって言ったじゃないですか...」
「あ、あの...冷やしましょうか...?」
再び椅子に深く座り込み、背中を摩るベリル。心配そうにサーシャが両手をかざすが、それを見ると彼は首を横に振った。
「いやいや、大丈夫っスよ。折れてはないんで。まだ若いと思ってたんだけどなァ......にしても、これなら大丈夫そうかな」
よいしょ、と掛け声を出すとベリルは椅子から立ち上がり、2人の顔をじっと見つめた。
「......ちょっと、じっくり話し合いましょうか」
そう言ったベリルの顔からは、組合長としての威厳が出始めていた。
「─という経緯で見つけました。少なくとも、ここ2ヶ月のやり取りされたダカットの幾つかは贋作と考えていいと思いますけど」
「なァるほど... 聖職者の水系統魔法だと解除される感じかナそれは...」
「まぁ実際はもっと以前から流通してると考えていいと思います。最初の流通時期を特定するのは不可能だろうけど」
顔を突きつけてじっくりと話し合う2人の男たち。それをずっと眺めていたサーシャだったが、やがて彼女は全く蚊帳の外だということに気が付いた。
「あ、あの...っ、ぼ、ボクは、その...な、何をすれば、いっ、いいんでしょうか...?」
「そうっスねぇ...1つ、偽のコインの存在を誰にも言わないこと。2つ、サーシャさんの魔法をコインがある空間で使わないこと。今の所はこれぐらいっスかね」
「は、はい...」
やるべき事は理解できたが、イマイチ彼女のなかでは事の重大さが漠然としていた。まるで地図も羅針盤も無しに、行き先すら知らされないまま大海原へ漕ぎ出したような心細さだった。
「...家に帰ったらちゃんと教えるよ、サーシャ。それに、そろそろ仕事の時間なんじゃない?」
「え...?あっ!ぼ、ボク失礼しますっ...!」
パタパタと彼女は部屋から駆け出していった。
少しでも早くあの部屋から逃げ出したかった。丸山のいつになく真剣な、心配している表情を見て、なにか恐ろしい、大きな秘密を暴いてしまったのだということを心底から理解してしまった。
その日はエミーとのお喋りも、アルテアとのお掃除も、イングリットとのお茶会も色褪せたものに思えた。
いつもは2人ぼっちで話しあう夕暮れ時の帰り道も、その日はいつまでも無言だった。
サーシャにとって、木立の影絵はいつになく黒く見え、子を呼ぶカラスの鳴き声は不吉な悲鳴に思えた。
歩幅が小さくなり、普段の彼女に合わせて歩いている丸山とも少しずつ距離が出来始める。ふとその距離に気が付き、不安が堰を切って彼女に押し寄せて来た。
小走りで丸山に早く追いつこうとすると、彼がおもむろに振り返り、彼女に近付くと手を取った。
「最近冷えて来たし、手繋いで帰ろうぜ」
「え?あ、う...うん...」
初めての申し出に困惑しながら、サーシャは手を差し出した。それを大きく角張った手でしっかりと握り返し、丸山はゆっくりと進んでいく。
「サーシャ?」
「な、なぁに...?」
「特に怖い事はないからな。そんな気にする必要はない。マイペンライってやつさ」
「ま...まいぺん、らい...?」
「何とかなるって意味さ」
「...ま、マイペンライ......」
「そうそう、マイペンライ!」
魔法の言葉を唱えながら家路を辿っていく。手引き導くその温もりを、心の松明のように照らしながら。