13話 はじめてのおしごと その3
「ま、まるやっ、マルヤマさんっ!」
紳士的な衛兵に導かれ、いったい何があったのかとサーシャは動きにくい修道服のまま組合の建物内に駆け込んだ。
そこにいたのは酒場中央の机でチンピラ二人を侍らせ、女冒険者から金を巻き上げるマルヤマの姿だった。
「勝ち!勝ち!俺の勝ち!さぁ賭け金全部もらおうか!」
「いやぁ!やめて!それをもっていかれたら私の今夜の男娼代どうすればいいのさ!ねっ、あんたよく見たらイイ男だからさ、今夜いい事してあげるから…!」
ざっくりと胸を開けたその女性が胸を持ち上げるのを見て、詰め寄ったのはチンピラの方だった。
「うっせーぞババア!テメーこの間乳が萎んだからって恨めしそうにシスター・アルテアのおっぱい見てたの知ってんだからな!分捕れ弟よ!」
「おうさ兄ちゃん!テメーなぁこのゴローミンじゃあ聖職者の方を邪な目で見た奴はボコボコにしても良いって法律ができたのも知らねぇのか!?」
「そっそんな法律聞いたことも...あぁっ!」
「あ、サーシャ...」
入り口で固まる修道服姿のままのサーシャの姿を見て、それに気が付いたマルヤマが空気が抜けるような声でつぶやいた。
すると入り口に一番近い机で飲んでいた、一人のモヒカン頭の冒険者が野太い歓声を上げた。
「シスターさんだ!」
その一言で、一斉に冒険者たちの視線がサーシャ1人に突き刺さった。
「ほんとだシスターだっ!」
「シスターさんじゃねえかっ!」
「勝てるっ!勝てるぞぉっ!」
「やっちゃってくださいシスター!」
様々な黄色い歓声が飛び交う中、サーシャはまっすぐに、迷うことなく自分を見つめる彼に確かな足取りで向かっていく。そして、すっかり改まって借りた猫のように大人しくなってしまった彼に向かって。
思いっきり水魔法をぶちまけた。
「ご、ごめっ...」
「も、もうっ...!な、なにしてるんですか…っ!ボク、ボクっし、心配し、してたんです、からね…!」
「ごめん...」
殆ど涙目になって怒るサーシャに対し、必死に謝るマルヤマ。組合内のボルテージが最高潮に達していると、そのマルヤマが陣取る机の上に、何か奇妙なものが転がっていることにサーシャは気が付いた。
それは四角く切り出した木で、格子状の模様が表についていた。そしてその模様に沿うように、いびつな五角形の木のチップが置かれていて、それには文盲のサーシャでも一目見ただけで分かる、見たこともない文字が彫られていた。
「......な、なんですか、これ...?」
「あ、これは将棋って言ってね…この駒、じゃない。チップを動かして遊ぶ俺の国にあったボードゲームなんだけど...」
そこまで言うと困ったようにマルヤマは口を閉ざし、その代わりにずっと畏まったように黙っていた傍らのチンピラ二人がサーシャに泣きついてきた。二人は共通して赤い革ジャンに袖を通していたが、なぜか片方は右腕の袖が無く、もう片方は左腕の袖が無かった。
「ゆっ、許してください!いや、お許しくださいシスター!旦那は、マルヤマの旦那は天地神明、お天道様に誓ってもいい!なんも悪い事ぁしてねぇんです!」
「元はといやぁ、あっしらが悪ィんです!旦那はあっしらが楽しめるようにショーギを恵んでくれたってのに、この女と口論になっちまって、それで賭け事になっちまって...」
「.........ま、マルヤ、マ?」
「はい...」
「よ、酔っぱらって、る?」
「い、いや...1杯しか飲んでないよ、今日は。ぴんぴんしてる」
嘘をついている様子ではなかった。確かに彼はまっすぐにサーシャの目を見つめていたし、顔も多少赤らんでいたが、正気は失っていなさそうだった。
あぁそういうことだったんだ、とサーシャは若干安堵交じりのため息をついた。もし、彼がまた酒の勢いでやらかしたのだとすれば、明日の朝までここに放置して一人で帰るつもりだったが、その必要はなさそうだった。
「.........帰るよ」
「はい...」
「そ、その金袋は、半分...持ち、帰っていい。だから...は、半分、かっ返して、あげて」
「はい」
先ほどまでの悲嘆にくれた顔が嘘のように晴れる女と、律義に一枚ずつ数えてダカットを分割するマルヤマ。
やがて周りの冒険者のうち、誰かがその名判官シスターに拍手を始めた。それは徐々に大きくなっていき、サーシャたちを取り囲んだ。
「か、数え、おわった?」
「はい」
「しょ、ショーギは?これっで、ぜ、全部?」
「え、う...うん。床には落ちてないと思うけど」
「そ、その…えっと...お、おさわがせ、して、すみません...でした。し、失礼しますっ...!」
冒険者の誰かが何かを言ったが、サーシャの耳にはよく聞こえなかった。マルヤマの手を掴むと、組合の建物を疾風のように飛び出し、家路についた。
城門を出て、衛兵詰所の篝火が見えなくなるところまで来て、ようやくサーシャは走るのをやめて歩き始めた。彼女は肩で息をしていたが、それはただ走ったことによる息切れだけでなく、緊張の糸が切れた時のため息も混ざっているように感じた。
呼吸が落ち着いてから、もうすぐリプシーダの蜜の匂いが漂ってくるほどに家に近付いて、ようやくサーシャは口を開いた。
「......バカ」
「ごめん...酒は控える」
彼女の言葉から既にとげとげしさは霧散していたが、丸山は仄かな怒気を感じてただ縮こまっていた。
「......もっとバカ。ぼ、ボクも...し、知ってるもん。お、お酒で、その……みんなと、仲良くなるって」
事実、冒険者組合の受付は、ほとんど全てが酒場が常設されていた。それは現金即払いの彼らが真っ先に消費する効率のいい搾取機関であったと同時に、幾多の視線を潜り抜ける、明日も知れぬ身の彼らの憩いの場であり情報共有場所でもあった。
冒険者は荒くれた無法者が就く仕事というパブリック・イメージは半分事実で、半分間違いであった。
彼らは確かに荒くれだが、その殆どが農家の三男や四男であり、居ても居なくても問題のない人間だった。そんな彼らを良識の中で世間にとどめておく受け皿の役割を、冒険者という曖昧模糊とした幅広い職業は果たしていた。
そして彼らをクエストと酒場漬けにして、選ばれしアル中どもに鍛え上げる訓練場だった。
「だか、お酒は…だいじょうぶ。その、迷惑、かけない…なら」
「分かった。1杯だけにする」
「......ん」
いつの間にかリプシーダの蜜の匂いが漂い、桃の木が薄紅色の花をつけ、温かな空気が2人を包んでいた。
鍵を無言で開けるサーシャ。彼女の背中から感じる雰囲気には、丸山から見ていまだに棘があるように感じた。
「......怒ってる?」
「...うん」
「なんで...?」
「......ぼっボク、ショーギなんて、し、知らない…!」
そこに至って、ようやく丸山は理解した。なるほど、この子は自分が最初に俺の話を聞けなかったことに怒っているのだ。
「......可愛いところあるじゃないか」
「な、なんっ...!ぼ、ボクお、怒って、る...んです、よ...!」
猛然と振り向いた彼女はぐっと唇を結んでマルヤマに対して凄んだが、凄むには彼女自身は余りにも迫力が不足していた。
「悪かった悪かった。...ちなみに桃の実は悪霊を払う力があるらしいよ」
「......それも、ぼ、冒険者のみ、皆さんにお...教えたこと、なの?」
「生まれてこの方、お前が最初だ。あと時々桃の中から人が出てくる」
「ひ、人がっ...!?」
「こ、これですか?」
「んぁあ違う、それは銀だからここに...次に馬と車を...よし」
机に向かって将棋をセットしていた。自分もやりたいといって聞かなかったサーシャに、一から指南するのはなかなか骨が折れる作業だったが、丸山も根気よく続けていく。
「......あ、あの、これ、さ。文字?」
「え?うん。漢字。俺の国の...いやでも元は別の国で...でもなんか変な残り方して...面倒くさいなこれ」
「...その、さ。ま、まるっマルヤマ…も、このカンジ、で...書けるの?」
「え、うん。こんな感じ」
事も無げに彼は人差し指から小さな炎を出すと、将棋盤の横に小さく『丸山』と焼き付けた。
それをサーシャはしばらく見入っていると、名前を指先でそっと指先で撫でた。
「ふふっ...ま、丸山」
「...なんだよ」
「丸山」
「.........将棋すんぞ」
「...照れてる」
リプシーダよりも、桃の匂いが強く香った気がした。