龍神の巫女
なんかどえらいモノ連れてきてたわね。
まあ、あの子に任せてたら、大丈夫でしょう。
ニセモノの巫女はここで退散、退散。
結構いい思いもさせてもらったしね、と思いながら、ふたたび、森の中を歩き出したシノの前に、純朴そうな青年が現れた。
シャツにグレーのズボンにサスペンダーという装い。
シンプルだが、洋装なところがちょっと好ましい。
「あなたは誰?」
青年はそれには答えず、
「私と逃げましょう」
と言ってくる。
「え?」
「私もあなたと同じ、チカラを失いしモノ。
共に逃げましょう」
「そう。
よくわらからないけど。
あなたもなにか大きなお役目を負っていたのかしら。
……頑張ったわね」
自らの人生を思い出しながらシノがそう言うと、男は何故だが、ほろりと泣きそうになる。
どこの誰だか知らないが。
何故か長く連れ添ったもののように、共にいると、心安らいだ。
「でも、私は村を見捨てるようなひどい女よ。
いいの?」
「はい。
私も似たようなものですから」
ふふ、とシノは笑う。
「じゃあ、行きましょうか。
旅はひとりより、ふたりの方がいいものね。
……きっと村は大丈夫。
私よりヒナの方が賢いから」
上手くやるわ、と言い、青年の手をとると、彼は真っ赤になった。
「じゃあ、行きましょう?」
ともう一度、呼びかける。
シノと別れ、また空を飛んでいたヒナは、あっ、と叫ぶ。
「なんだ、飛行船か?
飛行機か?」
と訊く龍神様に、ヒナは目を細めて遠くを見ながら教えた。
「いえっ、遥か先ですが、すごい黒雲がっ。
風も強いっ。
勢いがあるから、きっと村にも、あの雨が来ますよっ」
「お前、目がいいな……」
と呟いた龍神は、
「そうか。
よかったな。
では、村に戻ろう」
と言う。
村に戻ると、義父と母、そして、長老が森の手前でウロウロしていた。
なんだかんだで心配してくれていたようだ。
ヒナは途中、一応、木桶に汲んでいた水をまく。
突然、雨粒のようなものが降ってきたので、みなは驚き空を見上げた。
「お義父様ー。
お母様ー。
ちょーろー」
ヒナッ、と龍神にまたがって空を飛ぶヒナに、三人はまた驚く。
「嵐が来ますーっ。
三日後くらいにーっ。
村は助かりますよ~っ」
龍神が高度を下げてくれたので、ヒナは飛び降りた。
駆け寄ってきた長老が言う。
「おお、ヒナ。
無事であったか。
これは……」
「目覚められた淵の龍神様です。
もう大丈夫ですよ」
だが、龍神は、
「……いや、嵐が来るのは自然現象で、私のおかげではないのだが」
と困ったように言っていた。
「やだな。
龍神様が遠くを見せてくれたから、わかったんじゃないですか。
そんなことより、嵐が来ます。
物が飛ばないよう、片付けてください」
とヒナが言うと、長老が慌ててみなに知らせに行く。
戸を叩く長老に教えられたみんなは、わっと喜びながら、嵐の対策をはじめた。
義父がヒナの前に歩み寄る。
「無事でよかった、ヒナ」
その言葉に嘘はないようだった。
高度を下げ、その場でゆらゆらと動いている龍神を見上げると、義父はちょっと喜んで言った。
「お前、龍神様の巫女になったのか」
「いいえ」
「……では、イケニエになったのか?」
「いいえ」
「まさか、花嫁にっ?」
なにを持参金につけたらっ、という顔をする義父に、
「違いますよ。
断られたんで」
とヒナは言った。
「でも、ただの村人でも、龍神様は助けてくださるんですよ」
とヒナは龍神様を褒めたが、龍神様はまた謙遜する。
「いや……だから、嵐は勝手にやってくるのだが」
と。
「まあ、よかった。
お前のことだから、大丈夫だろうとは思っていたが」
お前は賢い子だから、と義父は言う。
「シノではちょっと切り抜けられぬと思っていたからな。
シノは生まれたときから、髪が赤く。
この村では、異質なものだった。
だから、私はあれが謗られぬよう、みなを謀り、ヌシ様の巫女に仕立て上げたのだ」
「いやあ、お姉様は本当に立派な巫女様でしたよ」
みんなを盛り上げる巫女様でした、とヒナは言う。
「お姉様のおかげで、村のみんなが一体となれていたのです。
ヌシ様も必死に祈るお姉様を大事に思ってくれていたようですし」
「そうだな。
ヌシを名乗っていたオオガエルは、村人たちが寝たあと、せっせと畑の手入れをし、村に豊穣が訪れるよう頑張っていたようだ。
自分をヌシと崇めるお前の姉のために」
と龍神様が教えてくれる。
なんか。
泣けてくるな、とヒナは思った。
もともとは、ただ長く生きただけのオオガエルだったのだろうに。
自分を信じる村人のため、姉のために彼は神になろうとしたのだ。
「それで、そのヌシ様は今、どちらに……?」
と母が心配そうに訊いてくる。
「大丈夫。
淵は龍神様の住処に戻りましたが。
ヌシ様は、お姉様と一緒に街に行かれましたよ」
とヒナは笑った。
「様子を見てきますね~」
とヒナはふたたび、龍神様に乗り、空に舞い上がる。
黒雲はまだ遠く、澄んだ空が広がっていた。
朝の光が背中の方から押し寄せてくる。
ヒナと龍神様の前に広がる空も明るく輝き出した。
「美しいですね。
夜明けですよ」
「そうだな……。
それで、これからお前はどうするのだ?」
「そうですねえ。
龍神様に巫女だと認められなくとも、せっせと祈って尽くしますよ。
きっと長老様たちにもそうしろと言われるんで」
「私を信じ、敬うのなら、お前にも村人たちにも幸福を与えよう。
私もヌシと変わらぬくらい、たいしたチカラはないのだが」
「いや、空飛んでるじゃないですか」
「だから、それは人間が歩くのと変わらぬと言っておるだろう」
「じゃあ、これって、人間の男の人に背負われてるのと一緒なんですね。
……照れますね」
「照れるのか」
「はい」
そうか……と言って、龍神様はまた、黙る。
「そういえば、龍神様がくださる幸福ってなんですか?」
「五穀豊穣、子孫繁栄だな。
田畑の状態を適切に保ち。
人間たちの婚姻も上手く進むよう、良い縁を授けよう」
「あ、私は結構です」
「何故だ」
いえ、なんとなく、とヒナが言うと、龍神は、
「心配せずとも、無礼なお前に人間の男をあてがうつもりはなかった」
相手の男が可哀想だろう、と言い出す。
「……一生、私の世話でもしておれ」
「……そうします」
とヒナは笑った。
偽の雨が上がった空。
朝焼けにたなびく雲に紛れるように龍神は泳ぐ。
下から、何処かの村の子が空を指差し、言うのが聞こえてきた。
「あ、彩雲……」
「違いますよ。
朝日を浴びて、虹色に輝いているけど、あれは龍……
龍神様ですよっ」
と側にいた母親が驚く。
ヒナと龍神様は、こちらを指差す親子を見下ろすと、ふたり、共に微笑んだ――。
完