9 かまってさしあげますわ
「一時的な、精神的過労……つまり、心に大きな負荷がかかったのでしょう。めまいが治まるまで、ベッドで休んでいればよろしいと思います」
お医者様は、心が落ち着くお茶とそこに入れる甘いシロップ薬をエマに渡して「心配いりませんよ」と帰っていった。
お父様は、診断を聞いてほっとしたようだが、「わたしの浮気の疑いが……シャンドラの気持ちを傷つけてしまった……おお、神よ、エレーナよ、これはわたしの落ち度だ……」と、かなり落ち込んでしまったらしい。
でも、前世でお父様がわたしにきちんと隠し子疑惑を否定してくれていれば、もしかしたら闇聖女に落ちていなかったかもしれないと思うので、子育ての責任者としてしばらく反省してもらっていい。
言わなくてもわかるだろう、は得策ではないのです。
わたしは二日ばかりベッドでゴロゴロしながら、今後のリリアンに対する態度について考えた。
前世では憎くてたまらなかったリリアン、わたしの欲しいものすべてを奪っていったリリアン、わたしを差し置いて、学友たちの人気を総取りしていたリリアン、癒しの魔法と浄化の魔法を軽々と身につけて大聖女になったリリアン……ああこの恨みをどうしてくれようか!
危ない、危ない。
それはもう済んだこと。
世界が破滅し、綺麗さっぱり消滅した今は、わたしの運命は変わっているのだから、リリアンを恨んだり妬んだりする理由がまったくないのだ。
お父様は浮気をしていなかったし、今でも亡きお母様ラブだし、わたしのことも溺愛している。前世ではセーラ夫人と再婚していたけれど、今回はしないようだ。
どうも最近、お父様に怯えられているような気がするけれど……勘違いよね。わたしがお母様に瓜二つなのはどうしようもないことなの。
勇者ルークは、リーベルト家に引き取られて、やりたかった高度な勉強に励み剣の鍛錬をするという、有意義な毎日を送っている。もちろん、わたしの株は彼の中で爆上がりしている筈だ。生涯の忠誠を誓ってくれているし、最近ではむしろ気のおけない友達とか、仲良しの幼馴染みとか、そんな距離感になっている。
やはり、毎日転げ回りながら共に厳しい修行をしているせいだろうか。
メンダル師匠の鬼ごっこは、本気で怖い。
あれ、絶対に大人げないやつだわ。
前世ではわがままで傲慢なわたしに振り回されて、半分泣きながらも意外に強い精神力で耐え、健気に毎日を送っていた気の毒な侍女のエマは、今はわたしと共に淑女の教養を身につけて、お勉強も楽しくこなして、やはり充実している。
おまけにメンダル師匠の訓練にも参加して、その才能を花開かせつつある……想定外の方向にだけどね。
エマの幸せはどこにあるのかしら? と、少し心配な今日この頃なのです。
そして、なによりも、今はわたしのことを見守ってくださる神様がいらっしゃる。
死後の空間で、わたしは神様から愛されていることを知り、渇ききった心に水が染み込むような幸福感を感じたのだ。
まあ、あの場所ではかなりいじめられたけど。
デコピンが痛かったけれど。
愛ゆえのしごきだったならば、心の広いシャンドラちゃんは許しますわよ。
神様、いつもありがとうございます。
シャンドラは、今度は『闇聖女ルミナスターキラシャンドラ』にはなりませんから!
と、いうことで。
理由はないけれどなんとなく小憎らしいリリアンからなるべく距離を取りながら、毎日を過ごすことにいたします。
と思ってリリアンを避けていたら、お父様からクレームが来てしまいました。
「はあ? このわたしに、どこの馬の骨ともわからない子どもの面倒を見ろとおっしゃるのでございますか? あら、つい本音が。失礼いたしました」
わたしはお父様に謝罪してから「シャンドラはねー、まだ小さいから、知らない子とは仲良しできないかもーうふふー」と、こてんと首を傾げながら七歳らしく言ってみた。
「……無理があるね」
長いため息をついてから、お父様が静かに言った。
「えー、シャンドラ、難しくてわかんないー。隠し子だと疑った女児と、疑いが晴れたからさあ仲良くしましょ、などという器用な真似はわたしにはできませんと申し上げておりますの」
お父様は眉を下げて「そんなにぷんすかしないでよ。家族であるシャンドラに相談もせずに引き取ったことは、すまないと思ってるんだ」と、叱られた子犬のような瞳で悲しげに言った。
「でも、大人にはいろいろと事情があるのだから……ね?」
「再婚はしないのですわよね」
「しないってば! そんなの怖くてできない!」
「確かに、美しくお優しいお母様にそっくりなわたしが側にいたら、神様のお国にいらっしゃる筈のお母様が、ほら、わたしのこの赤い目を通してお父様のあれやこれやを、慈愛に満ちた心で見守ってくだっている……そんな気持ちになってしまいますものね」
「それ以上はやめなさい! 本気でこわいからね!」
ふふふふと笑いながら近づくと、お父様は目を逸らして震えた。
邪な心は、徹底的に折る。
折って、折って、折りまくる。
そうですわよね、神様?
「まあでも、冷静に今の状況を考えてみますと、仲良しのわたしとエマとルークが一緒に行動して、リリアンさんがぽつんとひとりぼっちでいる姿というのは、彼女がいじめに遭っているのではないか……客観的にそのような誤解が生じている可能性が高いですわね」
「うむ、まあ、そうだな」
「それでは、リリアンさん専用に、侍女や遊び相手を雇ったらいかがでしょうか」
あっちはあっちで楽しくやっていればいいと思う。元々他人に好かれるリリアンなのだから、それで万事解決だ。
「お金で解決しようとしてない?」
「いけませんか? だいたいエマもルークも、わたしのために雇った使用人ではありませんか」
「確かに、報酬は発生しているけれど……いや、シャンドラ、わたしが話しているのはそういうことではないよ」
残念ですわ。
お父様は賢い大人なので、煙に巻かれてもらえませんでしたか。
「……あの子を家族の一員として、ちゃんとかまってやれと、そういうことですね」
ボールを投げてやれと。
「犬扱いはやめようか」
なんでバレた?
「従兄弟の娘だから、リリアンはうちの血縁なんだよ」
「……わかりましたわ。七歳の幼女に大人の事情を押し付けるようないささか理不尽な要請ですが、この落とし前は後ほどきっちりとつけていただけるということで、前向きに善処させていただきましょう」
「頼んだよ。あと、シャンドラちゃんのその話し方は本当にマナーの勉強で習ったの?」
「ほほほほほ、女性の秘密に土足で踏み込もうとは、お父様ったらかなりの猛者ですわね」
メンダル師匠譲りのニコニコ笑顔で答えたら「嘘、今のなしね! じゃあね、頼んだよ!」とお父様は素早く退散されたのでした。
「という諸々の大人の事情を鑑みまして、本日よりわたしたちはリリアンさんと仲良く遊ぼうと思います」
エマとルークに宣言すると、ふたりは首を傾げながらも「リリアン様、よろしくお願いします」と挨拶をした。
「リリアンさん、改めてご紹介いたします。こちらがわたしの腹心の侍女であるエマです。この若き執事が、わたしの腹心のルークです」
「よ、よろしく、お願いします。リリアンです」
遠巻きに見ているメンダル師匠とエリザベス夫人が、ぱちぱちと拍手をして盛り上げてくれた。
「エリザベス夫人とメンダル師匠のことはごぞんじですわね。それでは、今日は木登りでもして遊びましょうか!」
「き、木登り、ですか?」
共にメンダル師匠に鍛えてもらいましょう、という路線にするのはやめておいた。わたしの心遣いを褒めてもらいたい。
「リリアンさんは、木登りはお好きですか?」
「……やったことがないので、わかりません」
「そうですか。それでは、今日やってみましょう。なんでも初めてはあるものです。初めてを恐れては、何事も成すことができません。というわけで、動きやすい服に着替えて、ここに集合しましょう。解散!」
「あ、あの……」
「なんですか、リリアンさん?」
「動きやすい服、というのは、わたし、持っていないかも……」
わたしは腕を組んで「わかりました、リリアンさん。このわたしに任せなさい」と大きく頷いた。
「リリアンさんはわたしよりも小柄なので、わたしが以前に来ていた服で大丈夫だと思います。というわけで、わたしと一緒に来てください。はい、解散!」
今度こそ解散したけれど、わたしとエマとリリアンは同じ部屋に向かったので、あまり解散っぽくなかった。