8 まさかの隠し子ですの?
本日、二話目の更新ですのでご注意くださいね。
「お父様、シャンドラでございま……」
いつものように気軽に中へ入ろうとして、わたしは足を止めた。
「お嬢様?」
エマとルークが怪訝な顔をしたので、わたしは震える脚を叱りつけながら答えた。
「……他所の方がいらしてるのだから……マナー通りにしなくてはね。なんでもないわ、ごめんなさい」
思い出したわ。
この感じは確か……そう、わたしが心を壊して闇聖女への道を歩んだ、きっかけのひとつがやってきたのだ。
前世では、もう半年後のことだったから油断をしていたけれど……いいえ、大丈夫よ。
わたしはあの時のわたしとは違う。
今のわたしは、ひとりぼっちでわがままで、すべての人から敬遠されていた孤独なお嬢様ではないのだから。
「それでは、わたしが」
小さな執事はひとつ咳払いをして、客間のドアをノックした。
「シャンドラお嬢様でございます」
彼が部屋の中に声をかけると、お父様が「入りなさい」と許可を出した。
ルークに開けられたドアから入室すると、わたしは令嬢らしくしゃなりしゃなりと進み出て、部屋にいた人物に向けてカーテシーを披露する。
毎日のトレーニングで筋肉がついたわたしにとって、美麗なカーテシーを行うことは容易いことだったが、今日は集中しないと姿勢が揺らいでしまいそうだ。
メンダル師匠の「普段の訓練で1.5倍の力を振り絞っておきなさい。そうすれば、本番で緊張し動揺しても、余裕を持って全力を出すことができます」という言葉通り、倒れるギリギリまでの鍛錬を日々重ねておいてよかったわ。
エリザベス夫人には「淑女の嗜みどころではありませんわ、新兵の訓練と同じことをお嬢様にさせるなんて!」と卒倒しそうな顔で言われてしまったけれど、地獄の鬼ごっこに食らいついて続けたことは、確実にわたしの財産になっている。
そこにいたご婦人はわたしの振る舞いを見てとても驚き「まあ、素晴らしいお嬢様ですこと」と呟いた。
「セーラさん、リリアン、わたしの娘のシャンドラだ」
頭をあげると、お父様が紹介してくださった。わたしは下腹にぐぐっと力を入れて笑顔を作り、しっかりとした口調で挨拶をする。
「シャンドラ・リーベルトでございます。本日はようこそおいでくださいました」
「シャンドラ、こちらは今日から我が家に滞在する、遠縁の女性であるセーラ・ウィング男爵夫人と娘さんのリリアンだ」
「どうぞよしなに」
わたしが会釈して姿勢を戻すと、セーラ夫人は「本当に素晴らしいマナーで驚きましたわ。とてもリリアンと同い年とは思えませんわ、さすがは評判のお嬢様ですわね。……あら、失礼いたしました。わたしはセーラ・ウィングと申します。しばらくこちらでお世話になります」と笑顔を見せてくれた。
その場の雰囲気に呑まれたのか、落ち着かない様子の小さな女の子は、びくっと身体を揺らしてから、か細い声を出した。
「あ……わたし、リリアンです。七歳です」
ふわふわした茶色の髪に、濃いピンク色の特徴的な瞳をした女の子は、緊張した面持ちでなんとか自己紹介をした。わたしは彼女をじっと見つめて観察する。
この子がわたしの義妹となるリリアン・ウィング。
タイタニア国の大聖女になった、光魔法の使い手なのだ。
優しくて、愛らしくて、庇護欲をそそるような女の子らしい女の子。たくさんの人に愛されて、陽だまりの子猫のように幸せそうな様子でふくふくと笑っていた女の子。
『お姉様、もうおやめください! これ以上皆さんを傷つけるなら、いくらお姉様でも許しません!』
仲間を率いて『闇聖女ルミナスターキラシャンドラ』を討伐し、結局この世界を消滅させた、大聖女パーティのリーダー……。
「ひっ」
リリアンは、怯えた表情になってセーラ夫人の後ろに隠れてしまった。前世で自分を殺した大聖女を、無意識のうちに睨んでしまったようだ。
わたしは彼女から視線を逸らして、お父様を見た。
「こちらのおふたりは、遠縁の方たちなのですね」
「そうだ。事情があって、我が家で預かることに……」
わたしはお父様の言葉を遮った。
「失礼なことをお尋ね申し上げますが、リリアンさんのお父様はどなたでいらっしゃいますの?」
「……え? いや、それは」
わたしは、お父様の顔を穴が開くほど見つめる。
「リリアンさんは、わたしと同い年なのですね」
「う、うむ、そうだな、シャンドラの方が三ヶ月ほどお姉さんかな」
「三ヶ月の違い……ですか」
「シャンドラ、どうしたのかな? 今日は少し、その、怖い雰囲気が……」
わたしは腰が引けているお父様に近づくと、その手を握って「折り入って確認したいことがございますの。ささ、お隣のお部屋に行きましょうね」とニコニコしながら言った。
メンダル師匠直伝の、とても優しそうな笑顔なのに……お父様のお顔が青くなったわ。
わたしは動けなくなったお父様の手を引いて「ごめんあそばせ」と隣の部屋に退出した。
そして、お父様に聞いた。
「単刀直入に申し上げますが、リリアンさんは、お父様の隠し子ですの?」
「…………なっ! シャンドラ、何を突然」
「ですから、お母様が妊娠中に浮気をなさっていたのですか、そうではないのですか、違うのならばなぜ突然あの親子を我が家に連れてきたのですか、とお聞き申し上げていますの!」
「いっ、やっ、ちっ、ちがっ、とんでもない! わたしはエレーナを裏切ったことなど一度たりともないと誓う!」
「隠し子などではないと神様に誓えますか?」
「誓える!」
わたしは、お父様の濃いピンク色の瞳をじっと覗き込んで、唇を三日月の形に持ち上げた。
「それは大変失礼いたしました。突然、この屋敷にご婦人を連れてこられて、おまけにリリアンさんの瞳の色があまりにもお父様のものと似ていましたので、幼いわたしは動揺してしまったのでございます」
「いや、全然動揺していないよね? 恐ろしいほど肝が据わっているよね? エレーナに瓜二つの顔でとんでもないことを言われて、お父様は正直言って腰が抜けそうになったよ!」
「セーラ夫人との再婚のご予定は?」
「まったくないから!」
「……」
「わたしはエレーナだけを生涯愛している。もちろん、可愛い娘のシャンドラも愛している。浮気とか、隠し子とか、絶対にないし、最愛のエレーナにそっくりなシャンドラが側にいるのに他の女性に心を移すなんて恐ろしいことはできないから、だから、その顔をやめてもらえるとお父様は嬉しいのだが!」
「……」
「これは、絶対に他言無用なのだが、リリアンの父親は私の従兄弟なのだよ。放蕩息子で家を飛び出して好き勝手をし、トラブルに巻き込まれて死んでしまったのだ。それが片付いていないので、あの二人の身柄をとりあえずウィング男爵家に寄せて、我が家で引き取ることになった……本当だってば、信じなさいって」
わたしの顔(というか、お母様の面影かしら)から発射する冷たい何かに怯えたのか、お父様は前世では漏らさなかった秘密をペラペラと喋っていた。
わたしは『リリアンは異母妹ではなかった』という事実を知って、衝撃を受けていた。
前世ではお父様の隠し子だと言われていたリリアンのことを、わたしはとても憎み、こんな子は消えてしまえと呪い、蔑んでいたのだ。
ああ、隠し子ではなかったなんて!
「シャンドラはとても賢いからわかるだろうけど、このことは絶対に他の人に話してはいけないよ? セーラさんとリリアンの身が危険になるからね? 本当だよ? お父様を信じておくれ」
「……お父様の言葉を疑ったりしておりません。その場しのぎの作り話をするような、卑劣な方ではないとわかってますから」
あと、神様に誓ってますしね。
嘘だったら、お父様はこの場で天罰に打たれているはずですから。
あの、とてもお美しいお顔をなさっている神様は、この世界を大切に思っていらっしゃるので、わたしが不幸になる要素を決して許さないと思うのです。
「そうか、よかった……でも、浮気を疑われたなんて、お父様はかなりショックだなあ……」
「お父様はカッコいいし、独身の今は女の人にモテモテだと思うので、心配なんです」
わたしがそう言うと、お父様は「え、そう? シャンドラちゃんにはわたしがカッコよく見えてるの? あはは、照れるなあ」と、嬉しそうな顔になった。
「って、シャンドラはまだ七歳の子どもなのに、隠し……ええと、大人の事情に関する難しいことをよく知っているな。お父様は驚いたよ、変な汗が出てしまったよ」
「『殿方の残念な欲望とその結果について』の、書物を読んだことがありますの」
「そんな本、どこにあったの! 駄目だろう、そんなものを子どもの手の届くところに置いたりしては!」
「さて、どこでしたっけ? でも、よかったですわ。お父様がクズではなくて……よかった……」
「……シャンドラにクズ認定されなくて……よかった……」
父娘で胸を撫で下ろした。
前世では、リリアンがお父様の隠し子であるという噂が流れていて、わたしはそれを信じた。なぜならば、こんなピンク色の瞳の持ち主は滅多にいないのだから。
そして、リリアンはリーベルト一族が得意とする光魔法の使い手だった。
これでは隠し子だと思い込んでも仕方がない。
二度目の人生でいくら愛情を示されても、心のどこかに重石のようにあったこの疑いが、今日、砕けて散った。
お父様はお母様を裏切らなかったのだ。
本当に、よか、た……。
身体がふわふわと軽くなり、長年抱えていた辛い気持ちが消えたことで、わたしの身体に異変が起きてしまった。
「シャンドラ、どうしたのだ? しっかりしなさい、シャンドラ!」
「お父様……よかったですわ……」
「シャンドラ? 誰か、医者を呼んでくれ! シャンドラの様子がおかしい!」
わたしはそのまま、気を失ってしまった。