32 教師ミリアム・ローリー 2
国立学院の生活は忙しかった。わたしは全国から集まった騎士のたまごたちと毎日鍛錬し、サマンサは聖女科で勉学に励み、たまに顔を合わせて食事をしながら話すくらいで日々が過ぎていった。
聖女科の教育課程は、実技重視の騎士科とは違って多岐に渡り、わたしがすごいと褒めるとサマンサは身体を張っているお姉ちゃんの方がすごいと笑った。
「ねえ、そろそろドラゴンを倒せるくらいになった?」
「わたしがあと九十九人いればいけそう」
「そんなにいたら、治癒魔法が追いつかないよ。わたしも百人に分裂しなくちゃ」
そんなふざけた話も、何度となくしているうちに本当にできるような気になってくるのが不思議だった。
「聖女って、神殿で祈っていればいいのだと誤解してたわ。もっと体力をつけておけばよかった。わたしもお姉ちゃんに剣を習っておくべきだったよ」
サマンサはダンジョン実習を何度も行い、たくましさを身につけた。
卒業したら、高位の貴族の子女は王都の神殿でお勤めをして、庶民の出身は各地に配属になるのだといい、わたしはできることならサマンサの近くに就職をしたいと考えていた。最近の彼女の様子に、根拠のない不安を抱いていたのだ。
「魔物と戦って負傷する戦士はとても多いの。聖女の数は多くないから、すべての人を救いきれないかもしれない……」
「すべてを救おうだなんて考え、あまりいいとは思えないよ」
「わたしたちは期待をされているの。皆の心の支えなのよ。そんな人達を見捨てることなんてできないよ」
聖女は人で、大いなる神とは違う。
なのに、非力な少女達に希望と妄想と願望を重ねて多くを求める人の、なんと多いことよ。
そして、聖女のたまご達は、期待に応えようと死に物狂いで努力をする。
わたしは先に卒業して、とある貴族家の騎士となった。その領地は中央から離れていたので、新米騎士として仕事に慣れるのに奮闘するわたしはしばらく実家に帰ることがなかった。帰ってもサマンサは寮暮らしだし、帰省のタイミングがうまく合わなくてすれ違っていた。
サマンサも学院を卒業し、聖女として赴任地に引っ越して行った。そこで穏やかに暮らしているとばかり思っていたわたしの元に、実家から手紙が来た。
サマンサが倒れ、聖女を引退して戻って来たという。
休みをもらって実家に戻ったわたしを迎えたのは、悲しみに暮れる両親とすっかり小さくなったサマンサだった。
「お姉ちゃん……もう、ドラゴンは、倒せるのかな……」
カサカサに干からびた手と唇。
若い娘のみずみずしさを失い、髪の半分が白髪になったサマンサは、かすれた声でわたしに言って、そのまま眠った。
厳しい戦闘で次々に後方に送られてくる負傷者を治そうとして自分の命まで削ってしまったのだという。
「どうして? サマンサ、どうしてこんなになるまで……」
わたしは妹の手に油をすり込んで、元のようにふっくらさせようとした。涙が流れて止まらない。
「こんなことになるなら、この子を行かせるのではなかった!」
「奉仕と自己犠牲は違うのに、学院で何を教わったの? 聖女は大切にされる存在ではなかったの?」
父と母は嘆き、やがてわたしを責めた。
どうして気づいてやれなかったのかと。
どうしてこうなる前に妹を救い出してくれなかったのかと。
今考えれば、両親は誰かを責めずにはいられなかったのだと思う。けれど、妹の姿に衝撃を受けたわたしの心は、彼らの悲しみまで引き受けるには脆すぎたのだ。
数日の後、サマンサは息を引き取った。
葬儀を済ませると、国から多額の見舞金を受け取った両親は、魂が抜けたような顔でどこかへ旅立ってしまった。どうやら口封じのために僻地に送られたようだ。
聖女が国に使い潰されたなどという噂を流すわけにはいかないのだ。
今までこうして、多くの聖女が消えて、問題が揉み消されてきたのだろう。
わたしは勤務地には戻らず、帯剣し王都へと馬を走らせた。そして、神殿に向かった。
「妹はなぜ死んだのですか!? 大神官様、答えてください!」
泣きながら抜き身の剣を持つわたしの前に大神官様が現れて、深く頭を下げた。
そしてわたしに言った。
「ミリアム・ローリーさん、神様より啓示を受けています。話を聞いてもらえますか?」
「今さら何を!」
わたしを落ち着かせようとする大神官様に連れられて奥の部屋に通されたわたしは、そこで改めて魔法洗礼を受けるように勧められた。
「成人してから再度洗礼を受ける例は、数度ありました」
神様からの啓示を受ける聖女と神官のための部屋で、わたしは新たに才を授かったことを知る。
そこには『聖女の教育者の才』とあった。
大神官様が言った。
「ミリアムさん、聖女と神官は似ていて非なる存在です。神官は身体を鍛えていて、戦うことができ、体力もありますが、治癒魔法はさほど強力ではありません。聖水を出す量も聖女には遠く及ばないのです。そのため、どうしても聖女の負担が増えてしまう。聖女科の生徒は皆心優しく、献身的で、熱心です。そして、他人のために自分の命を投げ出すことも厭わないのです」
「あなたはサマンサが、自らの責任で命を落としたのだと言いたいのですか?」
「聖女に献身を強制することはできません。ですが、彼女達は周りの期待や願いを敏感に受け取ってしまう。そして、自分のことよりも他人を優先させてしまう傾向があるのです」
さらに、現在、タイタネル国立学院で聖女を育てている教師は、皆聖女なのだという。そのため自己犠牲に走りがちな流れを止めることができないのだ。
「この流れは危険なのです。誰かが止めなければならないのです」
「神様は、その役目をわたしにさせたいのですね」
大神官様は悲しそうな顔をして頷いた。
「わかりました。水を張った大穴に飛び込んでいくネズミのように愚かな娘達に、思い上がるなと教えましょう。死なない聖女を作り上げましょう。それで満足ですか?」
「ミリアムさん……」
「大神官様、わたしはあなた方を憎みます。わたしの愛するサマンサは、本当に優しくて、明るくて可愛くて、お日様のように笑っていたあの子はもう戻ってこない。神殿を憎みます。この国を憎みます。神を憎みます。気づいてあげられなかったわたし自身を憎みます。それでもわたしを教育者にしたいというのならば、わたしの教え子は誰ひとりとして殺させはしません。誰かの犠牲になるな、誰かを犠牲にしてでも自分は生き続けろ、そう教えましょう。それでよろしければ、わたしは教師になります」
こうしてわたしは、タイタネルの学院聖女科の教師となった。
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ミリアム先生の話は、衝撃的だった。
「聖女だなんだともてはやされ、勘違いして身を滅ぼすような愚かな小娘たち。それがあなた方なのですよ」
「……先生は、わたし達のことが嫌いですよね」
「別に、嫌ってなどいませんよ。あなた方がわたしを嫌って憎んでいることは知っています。けれど、わたしのやり方を変えるつもりはありません」
「先生は、嫌われてもかまわないと思っているんですか?」
「ええ、かまいません。好かれるような甘い指導をしているつもりはありませんからね。嫌われようが憎まれようが、あなた方の愚かさを叩き潰せるのならそれは些細なことですから」
「……」
わたしは立ち止まってしまった。
少し歩いた先で、先生が振り返った。
「聖女もその他の人も、対等なのです。身を挺して他人を救おうなどという考え方をするのは、わたしから見たら思い上がりですよ。人はまず、自分自身を大切にしなければならないのです。わたしの生徒がサマンサの二の舞になることは許しません。シャンドラさん、早く教室に戻りなさい」
ミリアム先生は、そのまま行ってしまった。
わたしは、やっぱりミリアム先生のことが嫌いだ。
でも、教師として少しだけ尊敬する。
そう思った。




