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「そうそう、シャンドラさんにこちらをお渡ししようと思って、お呼び出したのですよ」
大神官様は何事もなかったように言って、テーブルの上にことりと音を立てて小さな瓶を置いた。鎖がついていて首にかけられるようになっているそれは、携帯できる聖水入れだ。三つある。
でも、なぜ今それを?
「あの、大神官様、わたしに今日のことをお聞きになるのではないのですか?」
「今日の……というと、宰相閣下が噴水になったことですか?」
「聖女科でも神官科でもない、光魔法の才がない人たちが聖水が出せた件です!」
「そうとも言いますねえ。でも、出ちゃったものは仕方がないというか、今回のことは慶事ですからね。騒ぎになったからといって、聖女科の皆さんにお咎めがあるようなことは、もちろんありませんし……あっ、ご褒美ですか? なるほど、そうですねえ、生徒の皆さんにはご褒美をお渡ししなければなりません。聖女科が主催のイベントでしたものね」
大神官様はなぜかキリッとした顔つきになって「ふっ、何がいいですか?」とポーズをキメた。
「は? いえ、いりませんけど。というか、そういう話ではないと思うんですが」
「おやまあ、欲がないのですねえ。ほら、美味しいおやつとかモフッとした可愛いぬいぐるみとか、何か欲しいものがあるでしょう? 遠慮しないで言ってごらんなさい」
孫娘に貢ぐおじいちゃんですか?
わたしは当惑した。
大神官様は、想像以上にぽんこつ……いや、我が道を行かれる方のようだ。
わたしはお茶を淹れてくれた神官様を見て『この人をどうしたらいいの?』と目で助けを求めた。
神官様はため息をついて「大神官、順番に話を進めていきましょうね。まずはそれから片づけましょう」と小瓶を指さしてくれた。
「どうしてそれが出てくるのかを、シャンドラさんにご説明しないといけません」
「おお、そうでした。あのね、これをシャンドラさんに渡すようにと神様から啓示があったのです。この中に入っているのはさっきわたしが出した聖水なのですが、ほら、キラキラしてとても綺麗でしょう。それなのに噴水騒ぎで誰も気がついてくれなかったので、わたしはちょっと寂しい気持ちになっています」
大神官様のお守り係らしい神官様が視線でわたしに『褒めてあげてくれませんか?』と合図をしたので、わたしは小瓶を手に持つと「まあ、本当に素敵で可愛い聖水ですね。とても光っています」と褒めた。
大神官様は「そうですね、ありがとう、ございます」と頬を染めた。とても嬉しそうだ。
そして、ぽんこつ臭が強くなった……。
「シャンドラさん、その聖水に見覚えはありませんか?」
神官様が、とうとう大神官様を無視して話を進め始めた。
『このお方はきっと普段からご苦労なさっているのだろう』と思いつつ、わたしは聖水を見た。
「あっ、これ、わたしが出すのに似ているわ」
「そうですね。シャンドラさんが出す聖水は、他のものとは違ってこんな風に不思議な光り方をしますよね。こちらの聖水には他にはない効果があることをご存じですか?」
「いえ、出した聖水は神殿にお納めしているので、わたしはどのようなものなのかよく知らないのです」
ルークに渡した小瓶の聖水以外は、わたしの手にはないのだ。
「で、それはどのようなものなのですか?」
「実は……」
「もしもし! わたしを仲間はずれにするなんて酷いと思います!」
頬を膨らませている大神官様が、会話を遮った。
「仲間はずれになどしていません。迷走なさる大神官様の軌道の修正をしているだけです。聖水の説明をしたいのですが」
「わたしにお任せください!」
仲間入りして機嫌が良くなった大神官様は、咳払いをしてから話し始める。
「シャンドラさんがお出しになる聖水にはとある力があることは、以前からわかっていました。具体的に言うと、効果が並外れていて、一緒の瓶に入れておいた聖水も同じように変化するのです。『超聖水!』といった感じでしょうか」
「あー、はい、超聖水ですかー、そうだったんですね」
わたしは何度か神様と直接お話をしているし、その際にはお近くに寄らせていただいている。だから強い加護があり、それが聖水にも反映されているのだろう。
「違いますよシャンドラさん、『超聖水!』です。それほどまでに超えているのです。『超! 聖水!』の方がいいかもしれません」
誰か、このお方を止めてください。
「それでですね、このたびわたしは、シャンドラさんの活動を補佐するようにと神様より様々な啓示をいただき、気がついたらこの小瓶を三つ用意していました」
神様、根回しをありがとうございます。
「そして、先ほどシャンドラさんと共に祈ったところ、わたしもこの『超聖水!』を賜ることができたのです。シャンドラさんのお役に立てていただけるように、この三つの『超聖水!』をお渡しいたしますが、わたしにはそれがなぜなのか、どう使うのかということがわかりません」
「そうですか。わたしにはわかりますから大丈夫です。ありがたく頂戴いたしますね」
わたしは小瓶のひとつを首にかけて、残りのふたつはしまった。これはきっと、エマとリリアンの分だ。ルークにはわたしが出した聖水を渡してあるのだもの。
わたし達は、これからなんらかの危険に巻き込まれるのだ。この聖水はわたし達の助けになるようにと、神様がくださったに違いない。
「確かに受け取りました。ありがとうございます」
「シャンドラさんに神様のご加護があらんことを。それからもうひとつ。シャンドラさんは王太子殿下の婚約者候補に選ばれましたよね」
「はい」
「あれは、『超聖水!』を出せるシャンドラさんを守るためです。実は王太子殿下の婚約者にはベルナデッタ・グリューセル侯爵令嬢が内々に決定していまして、今のところ変更はありません」
「……そういうことでしたか。リリアンとアライアさんはわたしの隠れ蓑なのですか?」
「そういうことになりますね」
「嫌なことをなさいますね」
「悪い大人で申し訳ありません」
神官様が新しいお茶を淹れてくださったので、わたし達は黙って飲んだ。
わたし達貴族は、確かに王家に忠誠を誓っている。けれど、ゲームの駒のような扱いをされる筋合いはないのだ。
「でも、リリアンさんも規格外の力を持つ方なので、ゆくゆくは大聖女になるのではと思われます。彼女も守る必要がありました」
「宰相閣下とミリアム先生には負けますけどね」
「あははは、その通りですよ! 宰相閣下は次の大神官になるのでしょうかねえ」
神官様が慌てたように「戯れ事をおっしゃらないでください、宰相閣下はこの国の重鎮ですよ! あの方が宰相を辞めたらこの国はどうなるのですか! 大神官のお立場で滅多なことを口に出してはなりません」と大神官様に注意をした。
「じゃあ、今のは『なし』ね。でも惜しいですねえ、あの聖水の出しっぷりですよ! 宰相閣下が治癒魔法を使ったら、大変な威力がありそうなのに」
「そんなことをして宰相閣下に倒れられては困りますから。大神官様、くれぐれも、そそのかすような真似はおやめくださいね?」
「そんなに怖い顔をしないでください」
大神官様は首をすくめた。
「まあ、でも、これからは積極的に聖女と神官を増やしていくでしょうから、宰相閣下のお手を煩わせることは避けられます。教育についても考え直さなければなりませんね。治癒魔法を使うには、ある程度の知識がないと危険なことになりかねません。シャンドラさん、治癒魔法はうっかり使わせては駄目ですよ?」
「はーい」
気の抜けた返事をしてしまい、慌てて口を押さえた。
にこにこしながらこっちを見ている大神官様は、『学内神殿ツアー』が『聖水チャレンジツアー』だということに気づいているようだ。
「さてさて、最後の用事も片づけてしまいましょうか。お待たせいたしました、本日の特別ゲストの登場です! はい! どうぞ!」
新たに現れた人物を見て、わたしは思わず立ち上がった。
「……え? ランディ先輩? 何してるの?」
「特別ゲストのランドルフと申します! シャンドラさん、よろしくお願いしますね」
壺を抱えてにこにこしながら登場したのは、ランディ先輩こと、この国の王太子であるランドルフ殿下であった。




