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「……」
え?
なに、今のは、ルーク、なにをしたの?
「ル……」
「うわああああああーっ、ルーク! ルーク! うちの可愛いシャンドラちゃんになにしてくれちゃってるの! わたしの天使に! 君は! なんてことを!」
お父様が真っ赤な顔になって泣きわめいているので、わたしは驚きを表現できなくなった。
「わたしのシャンドラに! ルーク!」
「治療行為ですので」
「はあっ?」
「お嬢様がパニック状態になって、たいそう苦しんでいらっしゃいましたので。ね?」
彼はわたしに向かって、とても綺麗な笑顔を向けた。
手からダラダラと血を流しながら……って、血が! すごいんだけど!
「ルーク、それ、早く治療を、リリアン!」
「はいお姉様!」
クラスで一番の治療魔法の使い手は、神への祈りを捧げながら、わたしが噛んでしまったルークの指に手をかざした。
光が傷を包み、あっという間に治癒した。
「お姉様、治りました!」
「よくやりました、リリアン」
「えへへ。それじゃあ、お姉様の浄化もしちゃいますー」
リリアンは唇を尖らせて「んー」とわたしの口に迫ってきた。
その顔を、ルークの大きな手がつかんだ。
「にゃにをしゅるのでしゅか」
ほっぺたを潰されて無惨な顔になったリリアンが抗議する。
「リリアンお嬢様こそ、なにをなさっているのですか?」
「高貴にゃるお姉ひゃまの唇を、浄化しゅるのが妹ぶんにゅ役目れひゅ」
「不要です」
「ぐにゅうううううう!」
ルークは「どさくさに紛れてなにをやってるのですか」と言いながら、リリアンをポイっと捨てた。
って、あなたが言いますか!?
わたしが抗議をしようと口を開けると、彼は「お嬢様、落ち着かれたみたいでよかったです」と優しく言った。
お父様が「いや君、よかったじゃないよ!」とルークにつかみかかろうとしたが、するっとかわされて絨毯に転がる。
「ルーク! 貴様! 温厚なわたしもこれは許さないよ!」
「伯爵、お嬢様のお心を乱すような振る舞いはお控えください」
「……ルーク! 本当に、もう! そういうところはフロリアンにそっくりだね! どうしてそんな子に育っちゃったの!」
フロリアン・ジュール氏は、リーベルト家の事務内政官で、執事のスミスソンと共にルークを育てた男性だ。お父様を手のひらの上で転がしてお仕事をさせるフロリアン様が仕込んだら、そりゃあ、そっくりにもなるでしょうね。
と、ちょっとした騒ぎになっているわたし専用の居間に、メンダル師匠がやってきた。
「やっぱりここにいましたか。エマさん、明日のことなんですけど」
「はい。教会に参りますの?」
「いや、神父様がここに来てくださるそうですよ」
「まあ、ありがたいですわね」
にこにこメンダル師匠とにこにこエマの会話がわからない。わたしが首を傾げていると、エマが「お嬢様、明日は結婚誓約書に署名をするんです」と囁いた。
「あ……」
わたしは事の発端を思い出した。
「エマ、本当に? 結婚するの?」
「はい。こんなに都合のいい相手は他にはいないので、逃せないんですよ」
「都合のいい相手って、エマったらなにを言ってるの? っていうか、誰と結婚するのよ」
「メンダル師匠です」
「……はあああああああーっ!?」
悲鳴のような声をあげたわたしは、そのまま手近なソファに沈み込んで頭を抱えた。もう、なにがどうなっているのかわからない。
目の前では、メイドがルークの血で汚れた絨毯を掃除して、そこにリリアンが「浄化! 浄化!」と魔法をかけまくっている。
メンダル師匠は「わたしにとっても都合のいい話なんですよね。ということで、わたしたちはずーっとお嬢様のお側に控えていますので、今後ともよろしくー」と軽い感じで言ってから、なにかの用事に戻って行った。
「お嬢様、ご理解いただけましたか? 結婚いたしましても、このエマはお嬢様が一番なのです。そのような条件で結婚いたしますので」
「それは……どうなのかしら」
「もちろん、条件通りにいかなくなれば、即離婚いたしますのでご心配は不要に存じます」
「でも……」
「メンダル師匠は剣術馬鹿なので、下手に結婚すると妻が不幸になる方です。ですから、この役目は弟子であるわたしが適任だと思うのです。わたしも言い寄ってくるうるさい虫を追い払う手間が省けるので、助かりますわ」
「虫除けのために結婚するの?」
「もちろん、それだけではありませんけれどね。わたしの生き方を理解して、すべて肯定してくれるのは、メンダル師匠だけなので……」
エマは頬を染めて、ふふっと笑った。
「それに、お嬢様。わたしは子どもを産むことはありませんわ。その点もご安心くださいね」
「えっ、でも、結婚したらできてしまうものではないの?」
「子どもがね、できない身体なのですわ。諸事情により、その機能が損傷しておりますの」
わたしは凍りついた。曇りのない笑顔で言う言葉ではない。
「だから、わたしが育む存在は、未来永劫、お嬢様おひとりなのです」
エマはわたしの隣に座ると、わたしを抱きしめた。
「エマはお嬢様のために生きる存在で、それがとても嬉しいのですよ」
「エマ……」
「お嬢様のお側にいることが、エマの幸せなのです」
わたしも抱きしめ返そうとして手を伸ばし、途中で止めた。
無償の愛を、わたしに一生捧げようとしているエマ。
けれど、わたしにはそれを受け取る資格がないのだ。
わたしは、闇聖女ルミナスターキラシャンドラだったのだから。
この世界に死を撒き散らし、破壊と絶望で染め、すべてを死に至らしめた大罪人なのだ。
誰かに愛されることなど許されない存在なのだ。
そう、エマも、ルークも、リリアンも、お父様も、わたしが前回の生で犯した罪を知ったなら……。
わたしは恐怖で身体をこわばらせた。
「ごめんなさいね、エマ。わたしはあなたが思っているような人間ではないのよ……だから、わたしは、エマを幸せにすることはできない……」
すると、エマは悲しそうな顔でわたしを見る。
この表情はよく知っている。エマは、そしてルークとリリアンは、たびたびこんな顔をしてわたしを見るのだ。
そう、わたしが闇聖女だったことを思い出して、身の程をわきまえようとする時に。
「エマには、わたし抜きで幸せになる方法を探してもらいたいの」
エマだけではなく、ルークも、リリアンもね。
少しの間、その場を沈黙が支配する。
それを破ったのは、お父様だった。
「シャンドラちゃんは、どうしてそんなことを言うのかなあ。それは、『ルミナスターキラシャンドラ』だったことに関係ある?」
「……………………え?」
わたしはひどくしゃがれた声を発して、お天気の話でもしているような、上品な笑顔のお父様を見た。
「たまに怯えた捨て猫みたいになるよね、シャンドラちゃんは」
はっとして、周りを見回す。
エマもルークもリリアンも、「え?」という顔でお父様を見ている。
それから、三人はわたしを見た。
そして、笑った。
「…………嘘」
そんな、まさか。
みんな、知っているの? 知っていたの?
わたしが『ルミナスターキラシャンドラ』だったことを?
「嘘、なんで? いつから……」
そのまま、わたしは意識を失った。




