5 そんな、あなたはまさか
わたしは七歳で、エマは十歳。
ふたりともお子ちゃまなので、外出する時には当然大人が付き添っている。エリザベス夫人と護衛の騎士メンダルさんだ。
エリザベス夫人は、わたしが前世を思い出してからリーベルト家に付き添い人としてやって来た人で、マナーと刺繍と音楽の先生もしてくれている。
ちなみに、侍女のエマはわたしと一緒に勉強をしている。侍女として雇われた貴族の子女は、行儀見習いをして働きながらいろいろな知識を身につけていくのだ。そんなエマは、刺繍が得意である。わたしよりも女子力が高い。
エリザベス夫人は以前のわがままで高飛車なわたしの姿を知らないので、わたしのことを勉強熱心で素直ないいお嬢様だと思っている。
三十代でまだ若いのだが、もうふたりの子どもがひとり立ちしたらしい。
もしや彼女は、三十代の後半ギリギリなのだろうか。
怖くて聞けないので、その辺りは謎のままである。
タイタネル国立学院の騎士科を首席で卒業したというメンダルさんは、温和な顔をした優しそうなイケメンである。お日様みたいなニコニコ顔をしていて、お父様に『ぜひうちの可愛い娘の護衛をして欲しい』と気に入られて雇われた。
外見にはとても迫力がないのにとても強い。剣も強いし精神も強い。メンタル強めのメンダルさんである。
彼は見た目で悪い人たちに舐められないのかと心配になったけれど、エリザベス夫人が「怪しい人物には殺気を飛ばして瞬殺しているから、心配無用ですわよ」とにこやかに言われてしまった。
そんなことをしていたなんて全然気づかなかった。
メンダルさん、すごい人だった。
あと、にこやかに瞬殺とか言うエリザベス夫人もすごい。
彼はそのうち、王宮の騎士になれそうな予感がする。
それまではしっかりとわたしの身を守ってもらいたいので、時々おやつの焼き菓子をあげたり、ティータイムに『お客様の役をお願いね』と言ってテーブルにつかせて、美味しいケーキを振る舞ったりしている。彼は甘党なのだ。
こうした付け届けは人間関係の潤滑油だと、賢いわたしは知っている。
わたしはリーベルト家の馬車に乗って教会に来ていたので、メンダルさんが一押しのお菓子屋さんに寄ってから、そのまま孤児院に向かった。と言っても、ほんの十分ほどで到着した。
その孤児院は教会が運営(?)しているので、近所にあるのだ。
「突然の訪問で、お騒がせいたします。リーベルト伯爵家の令嬢でいらっしゃるシャンドラ様が、教会の神父様にご紹介いただきまして、慰問に参りました」
エリザベス夫人が挨拶をすると、孤児院の責任者らしい年配のシスターがにこにこしながら「ようこそいらっしゃいました」と出迎えてくれた。
そして、さっきお菓子屋さんで買ってきた大量のクッキーを渡すと「まあまあまあまあ、素敵なお土産をありがとうございます」と、とても喜んでくれた。
固く焼かれて砂糖ごろもがまぶされたクッキーは日持ちするので、しばらくは孤児院の子どもたちは美味しいおやつが食べられると思う。
これはメンダルさんの発案だ。彼は素晴らしい人材だと思う……王宮に行かないで、ずっとリーベルト伯爵家で働いてもらえるように、お父様に給料の値上げを頼んでみるのもいいかもしれない。
わたしたちは、シスターの案内で孤児院の中を見学させてもらった。建物はしっかりしているし、子どもたちの服も質素だが清潔なものを着せられていた。教会への寄付金できちんと運営されているようだ。
「なにか足りていないものはありますか」
わたしが尋ねると、シスターは「そうですね……勉強するための筆記用具や、本がもっとあればと思っております」と、子どもたちに基本的な勉強をさせたいことを話してくれた。
「孤児院を出たら、ひとり立ちして仕事をして生きていかなければなりません。その時に基本的な知識があれば、仕事の選択の幅が広がるのです」
「同感ですわ、知識を持つのはとても大切なことです。こちらには、先生がいらっしゃるのですか?」
エリザベス夫人の問いに、シスターは少し悲しげに答えた。
「週に一度、学者さんが慰問に来て教えてくださっています。あとは……大きな子が小さな子に教えていますわ」
「週に一度、ですか。ふうむ……」
エリザベス夫人は考え込んだ。
助け合いの精神でなんとかやっているようだが、たぶん先生が足りていない。しかし、奉仕の精神で孤児院に教えに来てくれる人がいるだけありがたいことなのだと、シスターは言った。
お金を払えれば、先生は見つかると思う。
ここはとても雰囲気の良い孤児院に思えるしね。
子どもたちが庭で遊んでいる。
庭の端っこの、他の子にぶつからない場所で、わたしと同じくらいの年頃の、黒髪の子どもが熱心に棒を振っていた。その様子を見たメンダルさんが「ほほう」と感心したように言った。
「自己流にしては、素直なよい剣筋ですね」
どうやら彼には剣技の才能がありそうだ。
彼は子どもだけれど、すでにシュッとした体型をしているところを見ると、毎日がんばって鍛錬しているのだろう。
「あの子はとても勉強が得意ですし、努力家なのです。体力もあるので、将来は騎士を目指しているのです」
「騎士になるには、国立学院の騎士科に入る必要がありますわね」
エリザベス夫人がそう言うと、シスターはまた悲しそうに「そうなのです。学費を出してくださる方を見つけなければなりませんが……よいお方に出会えることを、神様にお祈り申し上げていますの」と黒髪の子を見た。
貴族の子女が集まる国立学院には裕福な平民も通うことができるが、孤児院出身の子が通うのは費用的に難しい。
よほど才能に満ちて、かつ、運良くお金持ちのパトロンを見つける必要がある。
視線に気づいたのか、彼がこちらを見て、軽く会釈をした。
なかなか礼儀正しい子のようだ。
綺麗な青い瞳をしていた。
整った顔立ちをしているから、将来はとんでもないイケメンに育ちそうだ。
黒髪で青い瞳のイケメン……?
うえええええーっ?
まさか、あの子は!
「あの、シスター、差し支えなければあの子のお名前を教えていただけますか?」
「彼はルークと言います。ご両親が馬車の事故で亡くなってしまい、二年ほど前からここで暮らしているのです」
やっぱり勇者ルークだったわ。
なんで勇者がこんなところにいるの? 孤児院出身だったかしら?
敵の詳しいプロフィールなんて覚えていないわ。
それにしても、子どものルークが可愛い!
わたしを倒すパーティにいた時のルークは、強くて憎たらしくて可愛げがなかったけど、今はまだ可愛い!
わたしが目を見開いて彼を凝視していると、呼んでいるのかと思ったのか、棒を置いてこちらに駆けてきた。
きゃーっ、とてとて走る姿も可愛いけど、殺されるーッ!
いいえ、落ち着くのよシャンドラ。
わたしはまだ闇聖女ではないし、これからも闇聖女になる予定はないのだから殺されない!
むしろこれは、敵になる筈の勇者を味方にするチャンス。
「あなた、ルークとか言うあなた! わたしの側近になりなさい!」
わたしはビシッと指差して、叫んだ!
ついでにドヤ顔もした!
ルークは足を止め、わたしの攻撃を避けるように素早く横に転がって立った、さすがは勇者!
「お嬢様!」
「お嬢様!」
「お嬢様!」
エマとエリザベス夫人と、優しげな騎士メンダルにまで、同時に叱られてしまった。
「あ、えーと、今のは違うのよ?」
わたしは亀のように首をすくめて、両手の指をもじもじと組み合わせながら、もう一度『勇者ルーク』になる予定の子に言った。
「あのですね、わたしの近くで、護衛をしたり、相談相手になってくれたりする、頼りになる側近が欲しいと思っておりましたのよ。あなたはお勉強も得意だそうですし、希望があれば、わたしが国立学院に入る時には一緒に騎士科へ入学もできますので、もしもよろしければうちに就職なさいませんか?」
「お嬢様……ルークくんはまだ子どもですから」
エマが、わたしのわがままが出たのだと思ったらしく、諌めるように言った。
「でもわたしは彼をひと目見て、ルークに来てもらいたいと思ったのです。神様からの神託は、きっとルークのことだと思うの」
ルークは完全に状況を理解して、嬉しそうに言った。
「初めまして、お嬢様! 俺はルークと言います! 七歳です! 大変よいお話をありがとうございます!」
ハキハキしてしっかりとした物言いに、エリザベス夫人が満足そうに頷いた。さすがは勇者、子どもの時からとても賢いようだ。
「可能ならば、ぜひともそのお話をお受けしたく存じます!」
言葉遣いが丁寧なところを見ると、ご両親からしっかりと教育を受けていたのだろう。いい子である。
シスターも「まあ、そうでしたの。神様のお導きでございましたのね」と嬉しそうな表情だ。
話が丸く収まりそうなので、わたしはほっとして言った。
「前向きに考えていただけてよかったわ。それでは父に話をしてきます。未来の従者ルーク、しばしお待ちを」
「はい」
こうして、行動力のあるシャンドラちゃんは馬車を飛ばして屋敷に戻ると、お父様に即、誕生日プレゼントに勇者が欲しいのです! いや違う、側近候補を育てたいのです! 神様の神託があったから人柄に間違いはありません! とおねだりをして、その日のうちにルークを屋敷に連れ帰ったのでした。
神様、素敵なプレゼントをありがとうございました。
ちなみに、ルークの就職が決定した後に、孤児院の子どもたちにもっと勉強をさせたいから、毎年の誕生日プレゼントをわたしにくださる代わりに、そのお金を毎年孤児院に寄付をしてくださいと追加のお願いしたら、お父様に泣いて喜ばれた。
「ああ、なんて優しくてよい子なのだろう! さすがはエレーナにそっくりなわたしの娘! 天使だろう! 見た目も可愛くて中身が天使で最高だろう!」
うちの使用人たちは慣れていたけれど、ルークがちょっと引いていた。
就職先に疑問を持たないでくれたならいいけれど。