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「地べたに転がって眠るなんて、わたしにできるかしら? 虫とか出ない?」
「最初に追い払っておくのよ」
「出るのね……」
銀髪に緑色の瞳をした、ヴィーラ・リッツ子爵令嬢が身体を震わせて言った。
彼女はとても勉強熱心な秀才令嬢で、光魔法持ちだとわかるまでは少しでも有利な政略結婚ができるようにと、親に命じられて花嫁修業の毎日だったらしい。外からわからない場所に体罰まで受けていて、そっと見せてくれた時にクラスメイトたちが全力で回復魔法をかけていた。おかげで今のヴィーラさんは、全身に傷ひとつなくピッカピカのご令嬢だ。
彼女は聖女になったら実家とは縁を切りたいと呟いていたから、おそらく人権を無視した酷い扱いをされていたのだろう。聖女として力をつけて、親から搾取される人生とはお別れするのだと話していた。
残念なことに、このように子どもを政治の駒としか思わない親が、貴族の世界には存在するのだ。
聖女になったヴィーラさんはさらに価値が高くなるだろうから、リッツ家は彼女を簡単には手放さないだろう。神殿に後ろ盾になってもらい、きっちりと縁が切れるといいと思う。なんならリーベルト家の力を使って穏便に諦めさせてもいいわ。アライアさんも「ならば、チェスター家の力を使って……」と同じようなことを呟いていたから、リッツ子爵家は半分くらい蛇に飲み込まれたネズミのような状態ね。
幸い、リーベルトの一族には女性を軽んじる人物はいないようである。もしいたとしても、ジルベールの件でわたしが怒り狂った姿を見たお父様が、すでに手を回して片付けていると思う。リーベルトの関係者で問題児だったのは、リリアンの父親だった美貌の悪魔、ジルベールくらいかしら?
うちの一族は比較的、女性陣の力が強い。聖女を娶ることが多かったからかもしれない。その頂点に立つのが我が父オーガスタ・リーベルトで、お父様はわたしに頭が上がらないから……あらま、わたしがリーベルト一族のボスなの? それは確かに女性の発言力が強くなるわ。
でもね、マーガレットのように可憐で控えめなわたしですもの、美しさの頂点に立つだけでもよろしくてよ?
「虫除け加工を寝袋にもした方がいいと思います。先輩からの情報によると、羽毛の詰まった寝袋は必須だそうですわ」
会話の輪に、復活したアライアさんが加わった。
「どうしても無理だと思ったら、早めに宿舎に退避する方が、変なトラウマを作るよりもマシだというアドバイスもいただきましたわ」
「お嬢様たちは立派な寝袋があっていいわねえ。あたしは厚い毛皮を敷いて、その上に寝袋を置いて寝るつもりよ。虫除け剤の粉末を揉み込んでおこうかな」
経済的に余裕がなさそうなスージーさんは、水が染み込まないように油を塗り込んで、しっかりと防水加工した毛皮を用意したらしい。それはなかなかいい考えだ。地面からの湿気を遮断し、空気の層を作ることでも快適な寝床になるだろう。
野営の寝床の難点は、固い、冷たい、凹凸が痛い、湿気がすごい、そして虫が出るといった点で、眠る時には無防備だし、ちゃんと寝ないと体力が落ちるから、睡眠グッズにお金を注ぎ込むことが野営を乗り越える第一歩かもしれない。
実家の援助が少なそうなヴィーラさんも「わたしも真似をしてよろしいかしら?」と防水加工して売っているお店の名前をメモしているから、毛皮作戦を実行するらしい。
貴族の令嬢はふかふかのベッドの上でしか寝たことがないから、クラスメイトたちのほとんどは頼りないテントやターフを張っての野営に耐えられるだろうかと恐れている。
寝不足で体調を崩すほどなら、すぐにダンジョンの外の宿舎に移動できるから安心なのだけど、そのまま現場に出られない未熟な聖女になってしまうわけにはいかないので、徐々に野営に慣れる必要がある。
「三日目の晩くらいはテントで寝られるといいわね。安全な場所であれば、わたしはどこでも寝られるけれど」
「シャンドラさんは教室でもよく寝ているわよね。背筋を伸ばして白目をむいて熟睡する人を、初めて見たわ」
ヴィーラさんに言われてしまった。
「ミリアム先生がにらんでいるから、教室は安全な場所ではないですわよ」
アライアさんは、先生を危険物認定しているようだ。
「ミリアム先生は、うるさいけれど襲いかかってこないもの」
わたしは笑顔で言った。
命が危うくならない場所は、安全なのよ。
「……確かにそうね」
ヴィーラさんが頷いた。
リーベルト家の領地にもいくつかダンジョンがあって、そこに通いつつメンダル師匠に野営の基本を叩き込まれたから、わたしは全然大丈夫だ。木の上に登り、紐で身体を固定してそこで夜明かしをしたこともある。テントも寝袋もあるなんて、大満足で熟睡しちゃうわ。
「みんなはオーダーメイドの寝袋なの?」
貴族のお嬢様たちは頷き、スージーさんとガブリエラさんは「うちは王都の冒険者ギルドの近所の店からお買い得品を買ったよ」「わたしも冒険者のための手頃なお店で入手したわ」と答えた。
「シャンドラさんは? まさか、ドラゴン素材の寝袋を?」
「さすがにドラゴンはもったいないでしょ。わたしも王都の冒険者向けのお店に頼んであるわ。手持ちのものが小さくなってしまったから新しくしたの」
ボタンをはめると寝袋になり、広げてフード付きマントとして使うこともできる便利グッズなのよ。メンダル師匠から紹介してもらったお店の特注なの。
「……自分用の寝袋を、すでにお持ちでしたの?」
ヴィーラさんに聞かれたので、わたしは「子どもの時からリーベルト領にある初心者向けのダンジョンに入っていたからね、ひと通りの用具は揃っているのよ」と答えた。
「どうして? ダンジョンで、なにをしていたの?」
「そりゃあ魔物を狩ったりしていたわ」
「ええっ、シャンドラさんが?」
ヴィーラさんは驚いて立ち上がった。
「伯爵令嬢が魔物を狩るなんて、リーベルト家の花嫁修業ってどうなっているの? 今、一瞬、リッツ家の教育方針の方がややまともだったような気がしてしまったわ!」
リッツ家では魔物狩りより少し下くらいのレベルで花嫁修業をさせられたのかしら? それはそれですごいと思うわよ。
「そうねえ……花嫁修業と言うよりも、わたしは次代のリーベルト領主になる予定じゃない? だとしたらダンジョンの魔物の間引きくらいはできるようになっているべきだと言われたのよ」
にこにこ顔のメンダル師匠にね!
お父様は「待って、シャンドラちゃんにそこまでやらせなくていいんじゃないかな!?」と半泣きになっていたけれど、師匠に「遠足みたいなものだから、安心してください」と押し切られたわ。
そして帰宅後に「お父様、魔物狩りはとても楽しいからまた行きたいですわ。はい、お土産!」と、ゴブリンという小鬼の魔物の耳とコボルトという犬の魔物の耳を紐でくくり、ネックレスにしてプレゼントしたら、「シャンドラちゃんが、わたしの手の届かないところに行ってしまううううう」と、今度は本気で泣いていた。
「耳は食べられなくてごめんなさい。討伐した証拠に、こうして魔物の身体から切り取って持ち帰るのだと、メンダル師匠に教えていただきました。そのままにしておくと、ダンジョンに吸い込まれて消えてしまうんですよ。次は食べられる部分をお土産に切り取ってきますわね。ゴブリンとコボルトは弱い魔物で、肉は臭くて美味しくないんです。ちょっと焼いて味見しました。アレはないですね! だから、泣かないでくださいね、お父様」
「違う、そうじゃないいいいい」
首にかけた耳が揺れて、こびりついた血がお父様のシャツに擦れてくっついた。洗濯すれば落ちるから問題ないわ。
「お父様、オークという大きな魔物のお肉が美味しいらしいのです。骨で出汁を取るといい風味のスープになるんですって! ふふふ、楽しみですわね。わたし、コボルトという犬っぽい魔物で皮を剥ぐ練習もいたしましたのよ。今回は興奮のあまりメッタ斬りにしてしまって、毛皮も肉もぼろぼろにしてしまったので、オークの時には急所をスパッと切り裂けるように留意して狩ってきたいと考えております」
「……斬るの、楽しかったの?」
「はい! それはもう! ブシャーって吹き出す血を浴びないように逃げながら、魔物を切り裂きまくるのが楽しいのですわ!」
「可愛い娘が血まみれバーサーカーになっちゃううううう」
お父様の流した美しい涙が血糊を溶かして、シャツをいっそう赤黒く染めてしまった。美味しいお土産じゃなくてごめんなさいね、お父様。
「女領主になるのって、大変なのね。そこまでしないといけないなんて」
「魔物狩りはまだいいんだけど、書類仕事が大変なのよ。たまにお手伝いがてらお勉強をさせてもらったけれど、わたしには向いていないわ。いい代官を探して雇わなくちゃ。学問研究部にも顔を出して今から見繕っておきたいわ。魔法科にはうちの領地から来たシェリーさんが在籍しているから大丈夫。人材を見極めてスカウトしてくれるはずよ」
「シャンドラさんの見繕う基準は、かなり高そうだね」
「スージーさんは数字が嫌いだから、うちに来るのは無理ね」
「無理無理無理ねー、あたしの天職は聖女だねー、商売も文官も向いてないねー」
スージーさん、光魔法の才があってよかったわね。




