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「丸焼きの話からは離れましょう。わかりました、リリアンは大聖女になりたい、ということね」
それじゃあ、今度はエマの夢と希望を聞いてみようかしらね。
淡いブルーの髪の美少女は、絵にして飾りたくなるような温かみのある笑顔を浮かべて言った。
「お嬢様の側仕えとして、一生日陰で、目立たず、地味に、汚れ仕事をすべて引き受けながら控えさせていただけましたら、本望でございます」
日陰の女になりたい!
暗黒面を担当したい!
そんな夢も希望もない未来だった!
あと、目立たず地味に生きるのはわたしのキャラクターなので、かぶらないでいただきたいわ。
「お願いだから考えなおしてちょうだいエマ、日陰には行かなくていいの。もっと明るいところに出ましょう。あなたはとても優秀な女性だから大歓迎よ。わたしの片腕になって、日陰ではなくてお日様のあたる明るい場所で、楽しく侍女のお仕事をしてちょうだいね」
「光り輝くような美しいお嬢様のお側にいたら、わたしのような平凡なものの姿がかすんでしまうのは当然のことですわ。陰でおとなしくしておりますので、わたしの存在などどうぞお気になさらず」
「お気にするわよ! 確かにわたしは輝くばかりに綺麗でスタイルもいいし、優しくて控えめで野辺の花のように可憐で愛らしいということは否定しないわ。でも、褒めてもらえるのは嬉しいけれど、エマだってたいそうな美人さんじゃないの。その美しさに惹かれて結婚を望む殿方からのお声がけがかなり来ているって、お父様が話していたわよ」
「お嬢様、『控えめ』の意味が崩壊していますわ。結婚してお嬢様から離れるくらいならば、一生独身で構いません。仕事の邪魔になる夫は不要でございます。お嬢様にお仕えすることを第一に考えてくださる方以外とは結婚する気はございませんので、悪しからず」
「うわあ……」
エマさん、迫り来る殿方を皆殺しにしそうな表情をするのは、やめてもらっていいですか? 求婚者は敵ではありませんわ、気弱なシャンドラちゃんは怯えてしまうの。それでは日陰ではなくて闇の女よ。
「ちなみに、わたしが一生お嬢様のお側に仕えることは、リーベルト伯爵も了承済みですわ。十五歳になり、クラーク伯爵家の養女となりました時に、その旨をお約束いただきました」
「すでにお父様の許可を得ていたの?」
「身も心もわたしの人生のすべても、シャンドラお嬢様にお捧げしたいと申し上げたら、『よろしくね』とおっしゃって喜んでくださいました」
「生け贄みたいな感じだからやめて」
「違います、それこそがわたしの至高の喜びなのです!」
怖いわエマ、それは狂信者の発言よ。
お父様と結んだ密約の内容は、後でお父様から詳しくお聞きしましょう。
エマがスペード子爵家からクラーク伯爵家(リリアンの父親である、ギルバートが飛び出した家ね)に引き取られた経緯について、なぜか教えてもらっていないの。もう少し大人になったら話すとお父様に言われたけれど……わたしの精神年齢はかなり高いのだから、大丈夫よ。
わたしは「ずるいー、ずるいー、わたしもお姉様の側にずっといるってお約束が欲しいですー、夫はいらないのですー」と荒ぶるウサギをなだめながら、本命のルークに目をやった。
ちなみに、彼はさっきからずっとわたしの手を握り、跪いたままでいる。
彼の青くて湖水のように澄んだ瞳は、光を反射してキラキラしながらわたしを見つめていた。とても綺麗で、水底に吸い込まれそうなブルーだ。
「ルークは? あなた、将来どうするの?」
彼はリーベルト家の騎士になるのかしら? それとも、箔をつけるためにいったん王家の騎士になるとか?
もちろんリーベルト家で引き取って育ててきた人材だから、最終的にはうちに戻ってもらわなくちゃ困るけれど。そうなると、離れて暮らすようになるわね。幼い頃からずっと一緒でほとんど家族のようだから、ちょっぴり寂しくなるかな……。
左手がルークに貸し出し中なので右手で品良くカップを持ち、ひと口飲んでから「ルークの夢はなにかしらね」と呟く。
「『愛と光の守護戦士』にふさわしい未来って、どんな職業があるかしら」
彼は不思議そうにまばたきをしてから言った。
「え? わたしはもちろんお嬢様と結婚する予定ですけれど」
「はっ?」
「あなたの夫、それ以外にどんな未来を望めと?」
握られた左手がルークの頬に寄せられた。
「大好きですよ、お嬢様」
いい笑顔で言われてしまって美形慣れしたわたしでさえ動揺して手が震え、ティーカップを落としてしまった。
カップの中身は、ほとんどルークが浴びてしまった。
「きゃあ、やだ、ごめんね、いやでも、ル、ルーク! 結婚って!」
いきなりの爆弾宣言! というか、求婚宣言?
「ルーク、ずるいー! わたしもお姉様と結婚するー!」
ウサギは暴れていますが、できませんよ。
「このエマを差し置いてお嬢様と結婚でございますか? あなた、ずいぶんと偉くなりましたわね」
だから、エマさんは表情が怖いってば。
しかしルークは動じない。「冷めていてよかった」なんて言いながら、メイドのリンダから受け取ったタオルでわたしにかかったお茶を丁寧に拭く。自分の方がよほどかかっているけれど、そちらは無視のようだ。
「エマさん、今のわたしにはまだ偉さが足りていませんけれど、これから充分に力をつけて偉くなります。誰にも文句を言わせないくらいに。でも、もしも結婚できなかったら、近づく男はすべて蹴散らしますので……そうなるとお嬢様も一生、独身になりますね」
紅茶色に染まったイケメンは、あはははと爽やかに笑った。
今のは冗談だった……のね?
なーんだ。
「もう、ルークったら。驚かさないでちょうだい」
「わーい、みんなで一生独身なのです!」
「納得ですわ、無敵のリーベルト戦隊のお仕事は忙しいので、やはり伴侶は邪魔になりますものね。あ、蹴散らすのをお手伝いいたしますので、その時はお声がけください」
だからエマさんは、邪魔者は消すって顔に出さないでください。
あと、伴侶が邪魔になる仕事って、どんなブラック戦隊ですか?
「それではお嬢様、まずはお着替えをいたしましょう」
ルークが立ち上がり、わたしを引き上げた。改めて身長差を感じる。ちっちゃくて可愛いルーク坊やはどこに行ってしまったのかしら。
「わたしのことよりもまずはルークのお着替えでしょう。早くなさい、風邪をひくといけないわ。予備に着替えて制服の汚れを落としなさい」
彼は立ち上がると、悲しそうな顔をして紅茶に濡れたシャツを手で撫でた。
「せっかくお嬢様色に染めてもらったのに……」
おやめなさいって。
ほら、リリアンとエマがわたしに新たなカップを持たせようとしてるじゃないの。もう落とさないしお茶をかけないわよ、そこにしゃがんで待つのはおやめなさい!
かいがいしく働くわたし付きのメイドのリンダのおかげで、わたしとルークのお着替えも無事に終わり(このサロンの控えの部屋には、着替えもメイク道具もドレスも常備されているのだ)、わたしたちはまたお茶の時間の続きをする。寮に戻ると部屋が別になるので、ここは夕食までお喋りをしたり情報交換をする大切な場所なのだ。
リーベルト家は仲良しなのよ。
「お嬢様の将来の希望もお聞きしたいのですが」
エマも座り、わたしに尋ねる。
「ここのところ身の周りが騒がしいですが、お考えをお聞きしておけばわたしたちでお手伝いできることもあるかもしれません」
「あら、頼りになるわね。そう、わたしの夢は……」
「無敵のリーベルト戦隊で、世界征服ですか?」
「リリアン、世界征服などしません」
わたしはもう闇聖女にならないから、世界を欲しがらないのよ。
「それでは、すべての者をお嬢様の前にひれ伏せさせますか?」
「エマはわたしをなんだと思っているの」
一番大切なのは、世界を消滅させないことね。
今のわたしはおとなしくて優しい、控えめ令嬢のシャンドラちゃんで、今の生活をとても大切にしているの。神様がおっしゃる通り、わたしはわたしでいいのだから、これ以上のものは望まないわ。自分をよく見せて賞賛を勝ち取りチヤホヤされて、自己顕示欲を満たしたいなんてこれっぽっちも思わない。
「わたしの夢は、今のまま穏やかな暮らしが続いて……」
前世に比べたら、孤独な感じがなくて、大聖女になって他人に認められようとがんばる必要もなくて、たぶん普通に幸せなこの人生は、かなり気に入っているわ。
そう、壊そうとする者がいたら絶対に許さないくらいに気に入ってるからね。不届者がいたら容赦するつもりはないわ。
「それで、神様の元に戻る時に褒められたいわ」
この前、うっかり死んでしまった時に、神様に抱っこして可愛がられて額にキスをしてもらって、わたしはとってもとっても嬉しかった。甘くてあったかくて、金色の蜜のような嬉しい気持ちが胸から溢れてきて、ずっとこうしていたいと思ったわ。お母様が生きていらした時みたいだった。温かな胸をなくしたその後には、誰かに抱きしめてもらったことなどなかったのよ。
お父様は、たまに頭を撫でてくれるしいろんなものを買ってくれるけれど、あまりスキンシップをしないタイプだし。むしろ、わたしにいい子いい子させて嬉しそうにするのは、父親としてどうかと思うわ!
だから、次に神様に会った時に、ぎゅっと抱きしめて褒められて、またちゅーってしてもらえたらどんなに幸せだろうって思うの。
「死ぬ時には、シャンドラ、よく(世界を消さないで)がんばったね、(闇堕ちしないで)いい子で穏やかに迷惑をかけず人生を終えたねって神様に褒められたい。それが将来の夢かしらね……どうしたの?」
エマとリリアンとルークが、変な顔でわたしを見ている。
「控えめなわたしにふさわしい、ささやかな夢でしょ?」
「お姉様……それは、変です」
リリアンが涙を浮かべて言った。
「将来の夢なのに、どうして死ぬ時の話になっちゃうんですか!」
「え? あら、そうね」
「お姉様の幸せはどこにあるんですか! 生きている今に、未来に、もっと欲を持ってください!」
縁起でもなかったかしら。
「でもね、わたしはもう、欲しいものはないのよ」
わたしが首を傾げると、エマがわたしの身体を包み込むようにしがみついた。
「お嬢様、そういうところです! そんな、生きることになにも求めないような、自分の命を蔑ろにするようなところ! そういうのは本当にダメです、わたしを置いていかないでくださいませ」
「大聖女になってみんなを救うのは、わたしがやりますから! お姉様は楽しく笑って毎日を過ごして、ちゃんと死にたくないって思って長生きしてください! リリアンを置いていかないで!」
「お嬢様、俺はお嬢様の幸せを一番に守りたいんです、神様じゃなくて俺を見て! 絶対に俺より先に逝かないで!」
「あ、え? なに、わたしが悪いの、これ?」
三人に縋りつかれ、ぎゅうぎゅうに絞められたわたしは、そっと目を逸らすメイドのリンダに「助けて! このままじゃ命が危ないの! 今すぐ神様のところに送られちゃう!」と訴えた。




