37 ランディ先輩は策士だから
国の偉い人たちの授業見学の日から半月ほど過ぎた。
わたしはあいかわらず聖女の魔法に苦戦していたけれど、漠然と『聖水を出したい!』と願って力を込めるのではなくて、聖水を必要な人に届けたいというイメージを持つことで、わずかな量だけれど安定して作れるようになってきた。
今はなんと、スプーンで八杯ほどまで聖水を出せるのだ。短期間で倍になったのである。
「さすがはお姉様ですわね! 素晴らしい成長ぶりです」とリリアンが絶賛してくれたが、彼女はガラス瓶の上に壺を傾けて、ダバダバと際限なく聖水を出すのだから嫌になる。
リリアンこそ、さすがは大聖女だ。
ただ、調子に乗ると魔力が枯渇してひっくり返るので、気をつけてあげないといけない。
今朝は授業が始まる前に、先生からの連絡事項があった。
見学がどうとか言い始めたので、わたしはそんなのはどうでもいいとばかりに頬杖をついた。
ミリアム先生は、最近はわたしを見放したのか、またかという目で見るだけで特に注意もしなくなった。廊下に立たされることがなくなったのは、立たされ令嬢のシャンドラちゃんとおしゃべりをするために足を止める人が多くて、廊下が騒がしくなるかららしい。
けっこう楽しみにしていたのに、残念である。
「……そのようなわけで、我が学院からも王太子殿下の婚約者候補が選定されました」
わたしはミリアム先生の言葉を適当に聞き流して、窓の外に視線をやった。
青空に浮かぶ雲を見ながら『なるほどね、先日の授業見学はやっぱり花嫁探しだったんだわ。そういう目で授業中の聖女科の学生を見ていたなんて、大人って気持ち悪いわね』などと思っていた。
特に、見学にやって来たという王太子殿下が駄目だ。
クラスメイトはとてもハンサムで素敵だったときゃあきゃあ言っていたけれど、公私混同して神聖なる学舎で結婚相手を探そうだなんて、ろくな奴じゃないわね。一番気持ちが悪いわ。
先生の話によると、婚約者候補の令嬢を二十名近く選んでおいて、その中から一番上手く育った女性を正式な婚約者として、残りははいご苦労様さようなら、という予定だそうだ。
『王太子妃になれなくても、箔がつくからいいだろう』という、上から目線の偉い人たちの思惑に、貴族の令嬢なんて所詮は駒なんだなと、改めて苛立ちを感じる。
他人から愛されて、求められて、初めて一人前の女性だと認められる。
それを常識だと刷り込まれたわたしは、愛を得なければ自分は無価値なのだと思い、前世で暴走し、拒まれて、絶望した。
今振り返ると、そんな安い愛を求めるなんて馬鹿みたいだったわね。
わたしには、神様の愛だけで充分だわ。
一度死んだから、人生というものを見直して、わたしは少し賢くなったと思うの。もう他人の思惑に操られたりはしない。
この学院を卒業したらどうしようかと、わたしは以前から進路を考えていた。
親切な騎士科のジェシカ先輩が、生徒会役員の立場を使って、聖女科から騎士科への転科についてを学院側と交渉してくれたのだが、やはり光魔法使いという特殊な人間を、一般の職業に就かせるわけにはいかないと断られてしまったとのことだ。
「力が及ばなくてごめんなさいね、シャンドラさん。あなたのような才能のある方を騎士にしないなんて、そっちの方が余程もったいないのに」
わたしが聖女科で苦戦していることを知っているジェシカ先輩は、すまなそうにそう言った。
わたしの前には、聖女になる道しかない。
だが、聖女の魔法が苦手なわたしが聖女になっても、ろくな仕事ができないと思う。つまり、このまま一生落ちこぼれるというわけだ。
そしてその先には、未来の聖女を産むための母体になるという仕事しかない。
リーベルト伯爵家を継いで婿をもらい、せっせと子作りをしながら領地を治めるのだろうが、おそらくはわたしは名ばかりの領主となるはずだ。
主な仕事は、あくまでも次代の聖女を生み出すことなのだから……お母様のように。
そんな人生は、ごめんだわ。
せっかく人生をやり直しできるのだから、出産からくり人形になるのではなく、もっといろんな経験をしたい……というのは、貴族に生まれた義務をはたさない、出来損ない令嬢の考えなのだろうか。
わたしは、八百屋のスージーさんの顔をちらりと見た。
彼女は学院に入る機会を与えられて、四苦八苦しながらも生き生きと勉強をしている。明るく社交的な性格で、親しみやすい聖女になりそうだ。聖女になったら実家にたくさん仕送りができるから嬉しいと言っていた。
彼女に比べると、自分は本当にわがままで傲慢で甘っちょろいお嬢様なのだと感じる。
神様にお説教されていた時に見せてもらった、悪い敵と戦う元気な女の子達の映像を思い出した。
どこか別の世界で生きているあの子達は、とてもカッコよくて素敵だった。
わたしもあの世界に生まれたかったわ。
着ている服も、動きやすそうで可愛らしい、とても素敵なデザインのドレスだったのよね。あの服を再現できないかしら? 部屋の中でこっそりとでいいから、わたしも着てみたいなあ……そうしたら、自由な気持ちになれそうだし……。
「それでは、このクラスから選ばれた学生を発表します。アライア・チェスターさん」
「はい」
アライアさんが誇らしげに立ち上がり、カーテシーを披露した。クラスメイトからの温かい拍手をもらった。
「アライアさんは、チェスター伯爵家の令嬢でいらっしゃるし、学習態度もよく魔法の才能に満ちているということで選ばれました」
彼女は、授業見学の時には、あのわかりにくい『上から目線』な態度を出さなかったようだ。あれさえなければ、アライアさんはとてもいい方だし、チェスター伯爵家はリーベルト伯爵家と並ぶほどの名家だし、聖女魔法も問題なく扱えている。婚約者候補として妥当だろう。
それに最近では、わたし以外のクラスメイトからも言葉と態度を注意されるから、アライアさんのコミュニケーション力は入学したての頃よりもずっとましになっている。
「次に、リリアン・ウィングさん」
「ええっ? は、はい」
リリアンがびっくりした顔で、両手を机につきながら立ち上がった。
「わたしですか? お間違えではありませんか? うちは男爵家なんですけれど」
「間違いではありません。リリアンさんの聖女の魔法は、どれも群を抜いていますので、将来性を見込まれて婚約者候補に選ばれたそうです」
拍手が起こったので、リリアンはうろたえながらも「ありがとうございます」とお礼を言ってから、乱れた制服を直しながら椅子に座った。
「そして、シャンドラ・リーベルトさん」
「はい。なんですか?」
わたしは頬杖をついたまま、ミリアム先生に「罰を受けるようなことはしていませんよ」と答えた。
「頬杖など、淑女がつくものではありません」
「はーい」
「『はい』は短く!」
あまり怒らせても面倒なので、わたしは姿勢を正した。
「シャンドラ・リーベルトさん」
「まだなにか?」
「だから、最後のひとりはシャンドラ・リーベルトさんです」
教室がしんと静まり返った。
「このクラスから選ばれた三人目の婚約者候補が、シャンドラさんだと申しているのですよ!」
「……先生、きっとなにかの間違いです」
「わたしもそう思って、確認しました。確かにあなたが婚約者候補のひとりです」
「わたしは、授業見学の時にいらした方々とはお会いしておりませんし、座学は完璧ですが、聖女の魔法はからきしですわ。選ばれるはずがございません」
八百屋のスージーさんが「顔よ、きっと顔で選ばれたのよ、世の中やっぱり顔なのよ」と、隣の席の学生に囁いた。
「それに、リーベルトの名前のために選ばれるはずもございません。わたしは一応、リーベルト伯爵家の跡取りですし、登録もしてあると父が申しておりましたわ。配慮がされているはずです」
「……それでも、あなたが選ばれているのですよ。シャンドラさん、あなたは王太子殿下と面識がありますね」
「王太子殿下? 夜会に出席したこともありませんし……どこかでお会いしたと殿下がおっしゃっているのですか?」
「そうです。言葉も交わしたこともあるとのことですよ」
「話したことのある王族というと……リナリオ第三王子殿下と……あ」
わたしはミリアム先生に「もしかして王太子殿下って、金髪で金色の瞳をしていて、この学院の魔法研究科を卒業した魔法剣士だったりします?」と尋ねた。
「その通りのお方です。ランドルフ王太子殿下はこの学院の優秀なる卒業生です」
うわあ、王太子殿下ってランディ先輩じゃない!
なにしてくれちゃったのよ!
親切な先輩だと思って信じていたのに、こんな仕打ちをするとは……いや、もしかすると、これは先輩なりに気を使ってくれたのかもしれないわ。
わたしが聖女コースから完全に落ちこぼれた場合に、王太子殿下の婚約者候補だったら、その後の就職にも有利に働く筈よ。結婚にも有利だけど、わたしはリーベルト伯爵家を継がずに逃げる予定だからね。
つまりこれは、出来レースよ。
落ちることが確定した婚約者候補として、後輩のわたしの名前を加えてくれたんだわ。
でなければ、落ちこぼれ聖女のわたしを王太子妃候補にするわけがないもの。
「ほら、やっぱり顔じゃない。シャンドラさんのお顔がとても美しいから、超カッコいいランドルフ王太子殿下のお目に留まったに違いないわ! くうう、美男美女でお似合いだもん……」
スージーさんは、盛大に勘違いしているわ。
確かにわたしはとびきり可愛くて美しくて綺麗で儚げな花の如き美女のシャンドラ・リーベルトですけどね。
授業をサボって木登りをしている令嬢を王太子妃に迎えようなんて酔狂なことを、あの頭の回るランディ先輩が考えるはずがないわ。




