34 面倒ごとは嫌いですの
なんだか知らないけれど、王族の偉い人と、国の偉い人と、大神殿の偉い人が学院を見学しに来るらしい。
これは急に決まった話らしく、今日は朝から学内がバタバタしている。
警備の人たちも増員されて、準備がいろいろと大変そうだ。
だけど、どうしてわざわざ聖女科の一年生の教室に来るのだろうか。
タイタネル国立学院の授業レベルを知りたいのなら、より高学年の授業内容や学生の様子を見学した方が効率的だと思うのだ。
わざわざ自分で見学に来るあたりも奇妙である。偉い人たちは、わたしが想像するよりも忙しくないのだろうか。
お父様はいつも仕事を有能な部下に丸投げして「ああ、領主の仕事はなんて忙しいんだろう」と言いながら、わたしの方を誉めてもらいたそうにちらちら見るから、上に立つ者ほど自分は働かないのかもしれない。
それにしても、入学したてのうちのクラスに来たって得るものなどなさそう……なるほど、わかった!
嫁が目当てなのだわ!
まだまだ純情可憐な一年女子を見定めて、あわよくばうちの息子とか親戚とか孫とかの嫁にと無理矢理話を進めてくるあれだわ。
そして、あわよくば若い女の子のエキスを吸い取ろうとか考えているに違いないわ。ま、まさか、愛人候補を探しに来るなんてことも……。
嫌ねえ、不潔だわ。
偉い人って怖い。
この学院は、いつから悪徳嫁斡旋業に手を染めたのでしょうか。
「学生は、くれぐれも無礼のないように細心の注意を払うように。特に、シャンドラ・リーベルトさん。失礼のないようになさい。なるべく口もきかず、わたしの指示したこと以外は動いてはなりませんよ。わかりましたね」
ミリアム先生から、名指しされてしまった。おそらく、わたしが一番純情可憐な美しい学生だからだろう。
お母様譲りの艶やかな金髪に、宝石のように輝く赤い瞳を持つ、薔薇色の頬をしたわたしをひと目見たら、下手をすると偉い人たち本人が「ちょっと離婚してくるから、わたしと結婚してくれたまえ!」「すべての地位も名誉も富を捧げるから、わたしと結婚してくれたまえ!」などと血迷ったことを言い出すかもしれない。
それは、愛人になるよりも罪作りである。
わたしは他所の家庭を崩壊させたくない。
なんと言っても、わたしは『今世はなにも壊さない』美少女、シャンドラ・リーベルトなのだ。
だから断らせていただく。
「わたしは結婚するつもりはありません」
「……は?」
先生は目を細めて「またあなたは訳のわからないことを。いいですか、淑女にふさわしい振る舞いを心がけて、くれぐれも、くれぐれもですよ、妙な行動を取らないように。我が学院の教育方針に泥を塗るようなことは慎む……いえ、絶対に、してはなりません。それから……」と延々とお説教を始めた。
わたしは机の中からそっと石を取り出して『クロマル、今日もよい手触りで可愛いわねえ。あなたは世界で最高に素敵な石よ』と愛でながら、立派そうだが退屈なお話を軽くスルーした。
今日は天気も良く、木登り日和だわ。
風も爽やかに吹いているし、偉い人に気を使って過ごす授業よりも、外でのんびりした方が精神的によさそうよね。
ほら、わたしってとても繊細だから。
精神が曇って、うっかり闇聖女方面に転んだら大変でしょ?
というわけで、世界の平和を考えたわたしは、休み時間になると教卓に『おなかが痛いので帰ります』と手紙を残して教室を後にした。
寮に戻ったわたしは、エマに「面倒なことに巻き込まれそうな予感がしたから、今日は授業には出ないことにしたの。裏庭にある登り心地がよい木の上に隠れているから、あとでおやつと飲み物とお昼ごはんを届けてちょうだい」と頼んだ。
「わかりました。お嬢様はそういう勘がよく働きますものね」
「そうよ。出席すると世界が崩壊するような気がしてならないの」
「それは困ります」
というわけで、わたしはエマに重要指令を出すと、ハンモックを持って学院の裏庭に向かった。
目をつけていた木はかなり高いが、すでに木登りマスターを名乗っているわたしには造作もないこと。素早く中程まで登ると、持ってきたハンモックを木の枝にセットして、居心地よく整えた。
邪魔な枝をはらったら下に山ができてしまったけれど、あれもエマに片付けてもらおう。寝ている時に落下したら困るので、腰に巻くための命綱も用意してある。メンダル師匠の教えを受けたわたしには、全方位にぬかりはないのだ。
「お嬢様」
デキる侍女のエマが、あっという間に必要物資を調達してきてくれたので、ロープをおろして袋を受け取った。なにも言わないうちに、落ちた枝も処分してくれる。彼女もメンダル師匠の教えを受けた身、ぬかりはない。
さあ、これで昼寝の準備は整った。
午前中は聖水作りの実技があるから、クラスメイトも先生も学内神殿に向かっただろう。
まだお昼前だけれど、袋の中に入っていた薄手の毛布を身体にかけて、気持ちのよい風に吹かれて目をつぶった。
お昼の鐘が、わたしをまどろみの中から現実へと連れ戻した。
「……うん、おなかが空いたわ」
わたしは起き上がると枝に座り直して、ハンモックの結び方を変えた。こうすると、居心地のよいソファが出来上がるのだ。
エマが用意した袋をのぞくと、飲み物が入った瓶とハムやチーズや炒めた野菜がたっぷり挟まったパンが入っていたので、いそいそと取り出す。
瓶の中は、レモンとハーブの香りがついた水が入っている。喉が渇いていたので、遠慮なくごくごく飲むと、生き返った気がした。
現実にはもう二回生き返っているけれど。
「偉い人たちはもう帰ったかしら。だとしても、授業に戻る気はないけれどね」
わたしはパンの最後のひと口を上品に口の中に押し込んでから、瓶の飲み物を飲んだ。空中のランチはとても美味しいものだ。ここにエマやリリアンやルークがいたら、もっと美味しかっただろう。
でも、そんな楽しい時間はもうやってこない……。
「こんにちは、勇敢なお嬢様。すごいところにいるね」
不意に声をかけられたので下を見ると、金髪の若い男性が手を振っているのが見えた。
「わたしもお邪魔させてもらおうかな」
「あら、この木に登るのはかなり難易度が……あなた、すごいわね」
素晴らしい身のこなしで彼が登ってきたので、わたしは驚いて顔を見た。
金髪に金の瞳をした男性は、かなり整った顔をしている。ルークが影の貴公子(ふふふ、大サービスしてみたわ)だとすると、この人は光の貴公子という言葉がぴったりだ。おそらく社交界では、たくさんのお嬢様方の心をつかんで離さないのだろう。
わたしの心?
この世のものならぬ美貌をお持ちの神様に、さんざん教育的指導を受けたわたしは、今さら整った顔如きで気持ちが揺れたりしないのですわ。
あの美しいお顔で、天上の笑みを浮かべながら、神様は何度も何度も前世の姿を見せつけてはわたしの精神力を削って削って折って折って……ああ、一瞬意識を飛ばしてしまったわ。
その男性の胸に、学院に入る許可証である紫の薔薇のブローチが付けられていたので、わたしは安心してこの秘密の場所に招いた。
「ごきげんよう。こんなところに登るお客様がいらっしゃるなんてね」
「ごきげんよう。わたしも、こんなところに聖女見習いのお嬢様が隠れているとはと、驚かされたよ」
彼は上品な身のこなしで「お嬢様、失礼いたします」と近くの枝に腰をかけた。
「実を言うとね、この枝にはわたしも何度か登ってきたことがあるんだよ。わたしはこの学院の卒業生なんだ」
「まあ、先輩でいらっしゃったのですね。騎士科ですか?」
「いや、魔法研究科だよ」
「そうでしたの。てっきり体力勝負の方だと……」
「うん、わたしは魔法剣士なんだよ」
なるほど。だから木登りが上手なのね。
「名乗りもせずに失礼いたしました。わたしは聖女科の一年次に在籍しております、シャンドラ・リーベルトと申します」
「わたしのことは、ランディと呼んでほしい」
「ランディ先輩ですか。よろしくお願いいたします……あの、その瞳は……」
金の瞳を見逃すわけにはいかない。
彼は王家の血を引くものが持つ、特別な金の瞳の持ち主なのだ。
わたしがやんわりと指摘すると、この上品なんだかやんちゃなんだかよくわからない貴公子は「今日はお忍びだから、単なる先輩ってことでよろしくね」と笑った。
こんな木の上で、身分がどうのとこだわるつもりもないので、わたしは「承知いたしましたわ、ランディ先輩」と頷き「それでは、一緒にデザートでもいかがですか?」と袋の中をのぞいた。
「あっ、特別に美味しいりんごが入ってるわ!」
エマが、蜜の滴るような甘さと爽やかな酸味のバランスが最高の、わたしの大好きな種類のりんごを入れてくれていたので、思わずにやけてしまう。
「あとはナッツと……干したお肉とビスケット? エマったら、野営じゃないんだから。それとも、ここで夜明かししてもいいってことなのかしらね?」
わたしが呟いていると、ランディ先輩は「まさか、君は野営をしたことがある……わけじゃないよね?」と尋ねた。
「野営の経験は何度もありますよ」
「え? 聖女科だよね?」
「この学院に来る前に、剣とか木登りとか野営とか鬼ごっことか、ありとあらゆることを教えてくれる師匠に習ったのですわ」
「……変わった淑女教育を受けたお嬢様なんだ」
「否定はしません。でも、とても楽しかったんですよ。先輩は、野営の経験はございますの?」
「学院にいた時に、実習で何度かね……ありがとう。見事な魔法の操作だな」
わたしが光魔法の応用(光をうんと圧縮すると、なんでもさっぱりと切れるようになるのだ)でりんごをふたつに切って手渡すと、ランディ先輩は感心したように切り口を見て、「……聖女科だよね?」とまたわたしに尋ねた。




