33 Side.S その1
聖水に異変が起きた。
タイタネル国王都にある大神殿ではなく、国立学院の中にある学内神殿でのことだ。
その日わたしは、大神殿で神の像に向かって祈りを捧げていた。
「次は……豊作の祈祷、ですね」
祈祷の申請書を読んでいると、ひとりの神官が「おつとめの途中、失礼いたします」と部屋に入ってきた。
「お疲れ様です。なにか異変でもありましたか?」
どこかで災害でも起きたのかと緊張するわたしに、息を切らしながら神官は言った。
「神官長、異変と言えば異変ですが、祝福といえば祝福であります。どうぞこの聖水をご覧になってください」
「おやおや、悪い知らせではなくてほっとしましたよ」
国立学院を出てもう五年になる有能な神官が、いつになく慌てた表情をしていたので、内心の驚きを隠しながら彼の手に持つ聖水の小瓶を受け取った。
「こちらは先日、学内神殿から納められたもので、一年次のクラスの実技で作られた聖水の一部なのですが……」
「なるほど。今年の新入生もがんばっているようですね」
美しい光を放つ聖水は、神殿の収入源にもなっている貴重な品である。
ちなみに聖水というものは神より賜るものであり、生成するためには魔力が必要ではあるが、誰が作っても同じ品質のものが出来あがる。
つまり、聖女見習いである聖女科の学生が作ったものも、神殿の大神官であるわたしが作ったものも、その効能は同じになるのだ。
「大神殿に搬入した時には、おそらく普通の聖水であったと思われます。保管庫に数日置いておいたところ、このひと瓶だけが不思議な光を放つようになりました」
「不思議な光を?」
「日に当たるとよくわかります」
聖水は光魔法の使い手であり、聖なる魔法、すなわち聖女と神官が使う主に癒しの魔法を使うための特殊な魔力を扱える者にしか作れない特殊な物質なので、その管理も厳しく行われている。
誰かが手を加えたとは考えられない。
わたしは受け取った小瓶を持って窓辺に行き、光に透かしてみた。
「……おや? この色は、とても美しくて……ええ、とても光ってますね。これは素敵な聖水ができましたねえ」
赤、青、黄色、緑、薄桃色と、様々な光がゆらめく瓶に見惚れてしまう。楽しくてよい聖水ができたようだ。
「違うんです、色が美しいという話ではなくてですね」
「色が問題ではないのですか」
わたしは小瓶を開けると、手のひらに一滴だけ聖水を落とした。そして、よく観察してから匂いを嗅いでみる。
「……無臭ですね」
わたしは祭壇に行き、小瓶を置くと、手のひらに取った聖水をおしいただきながら額につけた。そして、先ほどの申請書にあった村のために、神へ豊作のための祈祷を捧げた。
「……どうぞ、額に汗して熱心に働く良き人々のために、謹んでご加護をお願い申し上げます」
すると、木彫りの神の像が七色の光を放ち、そのまま天に昇って行くのが見えた。
「おやおやおや、これは驚きました。神様の像も綺麗に光りましたね」
窓の外を見ると、光は豊作を願う村へ向けてものすごい勢いで虹の橋を作っていく。
「なんと! ここまで力のある聖水とは!」
神官は興奮しながら虹の先を目で追った。
「ねえ、素晴らしい美しさです。とても綺麗な虹ができました。あれを見た皆の心を明るくしますね」
「大神官様! 畏れながら、目のつけどころがずれていらっしゃるように思えます!」
「そうですか?」
人の心の慰めになるということは、とても素晴らしいことだと思うのだが……。
「あの聖水は、とにかく、使うと様々な効果が倍増するのでございますよ。それを学生が作ったというのです」
「素晴らしい才能の誕生ですね。では、さっそく感謝の祈りを捧げましょう」
わたしは小走りで祭壇に戻り、祈りを捧げた。
神官は「いやいや、それも違うのですが……わたしも祈りを捧げましょう」と言って隣にやってきて「新しき聖女のたまごに祝福をお願い申し上げます」と祈った。
「今日はいいことがありました」
「はい。……ではなくて、ですね。これは大変なことなのですよ、大神官様!」
「わたしに『様』はつけなくていいのですよ。わたしたちは同僚なのですからね」
「申し訳ございません、つい、学生の時の癖が出てしまいました。で、いいですか?」
「はい」
「この瓶には、新入生クラス十二人分の聖水が混ざって入っています。つまり、その中のひとり以上が作り出した聖水に、特別な力があるのだと考えられます」
「大きな瓶の中の聖水を、特殊な力を持つ美しい聖水に変える力を持つ聖水……なかなかロマンのある話です」
「ロマンはこの際、横に置いてください。わたしが申し上げたいのは、このような力を持つ者は今までいなかったということです。これはもしや、大聖女の誕生の兆しではありませんか?」
「大聖女が……おお、それは喜ばしいことですね。神に感謝をしなければ」
わたしたちは大聖女が誕生するかもしれないことに対して、感謝の祈りを捧げた。
「よき知らせをありがとうございました」
「畏れ入ります……ではなくてですね! このことは、王家にご連絡差し上げなければなりませんよ」
「ああ、そうでしたね! 大聖女が誕生するかもしれないなら、お知らせしなければなりませんね。ありがとうございます、あなたはしっかり者で、助かります」
「畏れ入ります」
「しっかり者の同僚を配してくださったことに感謝を」
わたしは、神に感謝の祈りを捧げた。
こうして、この不思議な聖水のことは王家に報告されて、大神殿の者と王族がタイタネル国立学院の聖女科へ授業参観と称して、未来の大聖女が誰なのかを調べるために査察に向かうこととなったのだ。




