32 おほほほほ、では参りますわよ
「そうだ、お嬢様も身体を動かしていけばいいですよ。机に座りっきりで、身体が鈍っているんじゃないかな?」
「確かに、ここのところは座学ばかりでろくに運動をしていませんわね」
「では、ぜひどうぞ。いつもの鬼ごっこですよ」
騎士科のお邪魔をしては申し訳ないので、もう帰ろうかなと思っていたら、メンダル師匠に放課後の鬼ごっこに誘われた。
「楽しそうですわね。でも、鈍った身体で騎士科の皆様についていけるかしら……」
「軽く流していけば大丈夫。こっちの学生もけっこう激しい訓練をした後だから、全力では動けないよ。軽く軽くーで気軽にどうぞ」
メンダル師匠はそう言うと「せっかくだから、シャンドラお嬢様が鬼ね。誰か、地面に大きな円を描いてー」と言いながら柵の木材を一本引っこ抜いて、ナイフで削ってわたしの腕くらいの長さの小ぶりのショートソードもどきを作ってくれた。
「聖女科のお嬢様が参加するのか? 確か、大貴族のリーベルト家のお嬢様だよな」
「怪我をさせないように気をつけなければ」
ひそひそとそんなことを話している。騎士科の一年生は四十五名なのだが、そのうち七名が女性だ。女騎士を目指して、剣のトレーニングを積んだ方たちだろうから、女性だからといって容赦する必要はないだろう。
「はい、シャンドラ様」
「ありがとうございます。師匠は器用ね……」
わたしが小さな声で「例の、よく効くポーションはお持ちですか?」とメンダル師匠に尋ねると、彼はいい笑顔で「もちろんだよ。だから遠慮なくやっちゃって」とウィンクした。
「学生たちはこのソードを喉元に当てられたら、速やかに円の外に出るようにね」
「はーい……い?」
わたしがショートソードで素振りを始めると、しゅんッ、しゅんッと風を切る音がしたので、騎士科の学生たちが無言になった。
「先生、攻撃はありですの?」
「怪我をするといけないので、なしで。でも、偶然当たっちゃうのは仕方ないから気にしないでいいよ、全力で追い詰めてね」
「はい」
「骨折くらいなら、すぐに治せるし」
「はい」
「首の骨を折ったり頭蓋骨を陥没させるのは、治すのに時間がかかって授業に遅れてしまうから、なるべく避けてね」
「はい、なるべく頭には当たらないようにします。あの、わたしはほんの少しなら癒しの魔法を使えるようになったんですよ。まだ骨折は治せないけれど……」
「あ、そうなんだね。じゃあ、ちょっとくらいなら平気かな?」
学生から「平気ではありません!」と、必死の声があがった。
「聖女科のお嬢様相手に、腑抜けたことを言ってはいけないよ。これは気楽な鬼ごっこなんだからね」
「メンダル師匠」
ルークが手を上げた。
「なんですか、ルークくん」
「騎士科を全滅させたくなかったら、例のアレを封じておいた方がいいと思います」
「あっ、そうだね」
メンダル師匠にこっそりと「身体強化魔法はなしでね」と言われてしまった。
まあ、困ったわ。
か弱き聖女見習いのわたしが、魔法なしで騎士科の皆さんと対等に鬼ごっこができるかしら?
「それじゃあ行くよ、鬼ごっこ開始!」
師匠の合図と同時に、剣を振り上げながら学生の群れに突っ込んだ。
「うわあ、バーサーカーかよ!」
殴って倒すわけにもいかないし、捕まえても体格の優れた騎士科の学生相手では力任せに振り切られてしまうだろう。というわけで、わたしは訓練で疲れている皆さんの体力を削っていく作戦に出ることにした。
円の中を縦横無尽に駆け抜けて、笑顔で学生たちを追い回す。
「うふふ、うふふふふ、楽しいわー」
「うわあああーっ!」
「早くお逃げなさい、ほらほら、捕まえますわよー」
「うわあああああああやめろおおおおおおおおーっ!」
「首を刈り取りますわよ、首刈り鬼ですわよー、おほほほほほ」
「来るなっ、くるなああああああああーっ!」
「なんだこの異常な恐ろしさは!」
「いやあああああ、こないで、来ないでええええええーっ!」
女子が泣き出してしまった。でも、手加減はしない。それが師匠の教えなのだ。
同情したら、自分の足元をすくわれるのが戦いというものだ。
「ひいっ!」
恐怖で脚をもつれさせて、ひとりの女生徒が転んだ。わたしはゆっくりと喉元に剣を当てた。
「ふふふ、首、もーらった」
メンダル師匠譲りの、わたしの殺気に満ちた笑顔を見た女生徒は、四つん這いになって円の外に出てから号泣した。
メンダル師匠はというと、逃げ惑う学生たちの姿を見て大笑いをしている。
「あははははは、可愛いお嬢様の姿に惑わされて油断したね! シャンドラお嬢様はこの鬼ごっこを六歳の時からほぼ毎日続けてきた強者なんだよ。いついかなる時も、相手を甘くみてはならないということがよくわかっただろう?」
「先に教えておいてください!」
「先生の鬼!」
「嫌だなあ、これも訓練なのに……シャンドラお嬢様、やっておしまいなさい」
「はい、師匠。ふふふふふ、もっともっと首をちょうだあああああーい!」
「ぎゃああああああああああああ!」
阿鼻叫喚である。
鬼ごっこ慣れしたルークは、軽やかなステップで逃げながら「お嬢様、いい笑顔です」と笑い、彼と同じくらい身のこなしに優れたオレンジ頭のリナリオ王子は「なんなのだ、あの人は、いったいなんなのだ」と、ぶつぶつ呟きながら素早く逃げた。
学生たちは互いにぶつかり、つまずき、体力が尽き、次々に地面に沈む。わたしはそこへ素早く近づいて首に木の剣を当てて「首、もーらった」と笑顔で宣言した。
そして、残るはリナリオ王子とルークだけになった。
優秀な剣士だと評判のリナリオ王子は、身長はまだまだルークには追いつかないけれど体力はあるようだ。
ふふふ、リナリオ。
前世でわたしに剣を向けた聖女パーティの剣士。
ここで会ったが百年目……。
剣を振り上げて彼に飛びかかり、『うっかり』一撃くらわそうとしたわたしだったが、残念なことに脚が力尽きていたようで、ふらっと身体が傾いでしまう。
受け身を取ろうとしたわたしの腰を、たくましい腕が抱き止めた。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「あ……ルーク、ありがとう」
どうやら自分で思っていたよりも体力が落ちていたようだ。
わたしはルークにお礼を言ってから、彼に抱きつくようにして「捕まえた! 首、もーらった」と背後から木の剣を当てた。
「捕まっちゃいました」
ルークは笑いながら、わたしのおでこに自分のおでこを当てた。
「お、おのれ、ルークめええええええ」
「最後の最後にそんな攻撃をしてくるとは……くそっ、羨ましすぎて涙が出てきやがるぜ……」
メンダル師匠は、また大笑いをした。
「いいねいいね、身体を沈めてから心を真っ二つに折る、見事な攻撃だよ。さすがはシャンドラお嬢様だね」
「ありがとう……ございます?」
精神攻撃をした覚えはないのだけれど。
「じゃあ、この鬼ごっこの優勝者はリナリオくんだね。はい、みんな拍手ー」
師匠の合図で、皆はリナリオ王子に拍手を送った。
「リナリオ様、さすがだな! 精神攻撃にもびくともしないしな!」
「首狩り鬼から生き残るとは……さすがはクラスのトップだ」
当の王子は、なにか釈然としない表情だったが、軽く片手をあげて「ありがとう」とお礼を言った。
「そうだわ、これを」
わたしは、少しふらつく脚でリナリオ王子に近づいて、メンダル師匠作の木のショートソードを両手で持って、彼に渡した。
「優勝おめでとうございます。記念に、この剣をどうぞ」
わたしは、今度は殺気を込めないで笑顔で言って、目をぱちぱちさせているリナリオ王子に剣を渡した。
「ああ、シャンドラ・リーベルト嬢……その、ありがとう……」
少し顔を赤くして剣を受け取った王子は、なぜかわたしの右手を取って言った。
「あの、よければ……シャンドラ嬢の剣士として……」
「シャンドラお嬢様!」
「きゃっ!」
素早く駆け寄ってきたルークに抱き上げられて、わたしは小さく悲鳴をあげた。
王子は空中に手を残したまま、ぽかんと口を開けている。
「今日はお疲れのようですから、わたしが寮までお送りいたします。さあ、このまま戻りますよ」
「え? そんな、大丈夫よ、ひとりであるけ……」
「途中で転んでお怪我をされてはいけません。では、失礼いたします」
彼は師匠(なぜかおなかを抱えて笑い転げている)と騎士科のクラスメイト(なぜか地面に倒れて目をこすっている)に頭を下げると、わたしをお姫様抱っこしたそのままの姿で歩き出した。
「ねえ、おろしてよ」
「駄目です」
「恥ずかしいし……わたし、たくさん汗をかいたから……」
「いい匂いです」
「にゃっ!」
変な声が出てしまった。
「早く汗を流したいのなら、少し急ぎましょうか。わたしの首にしっかりつかまってください」
体力が有り余っているのか、厳しい訓練の後だというのに、わたしを抱き抱えたルークはかなりの速度で寮に向かって走り出した。
わたしは落ちないように彼にしがみつきながら『ルークったら、お日様の匂いがするわ……』などと頭の隅で考え、赤くなった顔を見られないように彼に押し付けたのだった。
シャンドラちゃんが
楽しそうでなによりです(●´ω`●)




