28 それではのんびり落ちこぼれますわね
翌日から、主にミリアム先生の『聖女的な』授業が始まり、数日が過ぎた。
聖女科に入ったのは、ひとりを除いては貴族だったので、一般教養はそれぞれの家で家庭教師を雇い、学び終えている。
平民出身の生徒だけがまだ知識を身につけていないが、聖女魔法を学ぶために特に支障がないので一緒に授業を受け、放課後に他の科の平民出身と家庭の事情により学習レベルが充分でない貴族の学生(貧乏な貴族、というものも存在するのだ。領地に生産に向かない土地、例えば資源にならない岩山や作物が育ちにくい土質の土地などが含まれている場合、領地の経営はかなり厳しくなる)は知識を補うために特別授業を受けるのだ。
スージーさんという平民の生徒も放課後の授業を受けているが、なかなか苦労しているようだ。光魔法の才があるというそれだけで、強制的にこの学院に入れられてしまうので、たとえ勉強に向いてなくてもやらなければならない。
「ふわあああ、眠い……」
目の下にくまを作った長いおさげのスージーさんは、教室に入ってくるなり机に突っ伏した。きっと遅くまで勉強しているのだろう。
「ああもう辛い、辛すぎる……聖女科やめたいよう、おうちに帰って爆睡したい」
「なんてことをおっしゃるの! スージーさんは!」
ふたつの縦ロールを震わせて、腰に手を当てて横に立つのは、言葉がすべて上から目線になる呪いにかかった(としか思えない)アライアさんだ。
「わたしたちは神様から貴重な才を与えられたのよ。それなのに、まだ始めて間もないというのに、弱音を吐くなんて情けないですわ」
「うあー……アライアさん……じゃなくて」
わたしはぼんやりと頬杖をつきながら、おさげ対縦ロールの戦いを眺めていた。
「これはこれはチェスター伯爵家のご令嬢ではございませんかー、えーと、本日もご機嫌麗しゅう類い稀なる美しき輝ける金髪があれまあ今朝も眩く目に刺さっていたい眠いもうマジやめたい」
スージーさんが、作法の授業で習ったらしい『淑女としての丁寧な話し方』を試みて、途中で見事に撃沈した。
彼女は机をバンバン叩きながら叫んだ。
「あたしには無理なのよ! なんで八百屋の娘に光魔法なんて才が下されるの! 才能の無駄遣いってやつじゃないさ! 計算が早いとか甘い果物を見分けられるとか男運がよいとか、あたしが欲しかったのはそういうささやかなやつだったのに! 無理だよ、あたしには無理だよう……おうちに帰してよう……」
いや、男運は違うだろう。
「スージーさん、『あたし』じゃなくて、『わたし』ですわよ。……かなり深刻な感じね。まったく、ろくな勉強をしてこないでこの教室の席に座ろうなどと、無謀の極みですわよ。さあ、どこがわからないの?」
「計算が……」
アライアさんは目を見開いた。
「まさかのそれ? 八百屋の娘として計算が苦手というのはどうかと思いますわよ! ほら、さっさと教科書を出してご覧なさい」
「うわーん、ありがとう」
今朝も上から目線が絶好調のアライアさんは、スージーさんの隣の席から椅子を借りてくると、そこに座ってスージーさんに教え始めた。
わたしは窓の外を見て「あー、わたしも聖女科やめたい」と呟いた。
「大丈夫、シャンドラさん」
その言葉を耳にして、クラス委員長のアルマさんが声をかけてくれた。
「大丈夫じゃないわ。わたしはどう見ても、聖女科にいるのがおかしいでしょう」
アルマさんは「うーん、まあ、でも……」と困った顔で笑った。
「確かに、かなり苦戦しているみたいね。でもまだ勉強を始めたばかりじゃない? 入学式の日には聖女魔法の発露も確認できたんだし」
「これっぽっちの光だったけれどね、ほら、こーんなの」
わたしは指先で、とっても小さな粒を表した。
「ミリアム先生も、目を凝らさないと見えないくらいだったわ」
「たとえ小さくても、あるのとないのでは大違いだし、これから魔力が育つかもしれないじゃない」
アルマさんは、頭が良くて面倒見もいい、とても優しい令嬢なので、そう言ってわたしを励ましてくれる。
「手伝えることがあるなら、いくらでも力をお貸しするわ。そう気を落とさずに、ね?」
「ありがとう、アルマさん」
黒髪に茶色い目をしたアルマさんは、微笑んで自分の席に行った。優しいし、まさに聖女にふさわしい女性だ。
今日も顔が怖いミリアム先生が教室にやってきて、わたしたちの顔をぐるっと見回してから「聖なる文言の授業を始めます」と言った。
これは控えめに言って、大変つまらない授業だ。神様がお姿を現した時に発したとされる言葉をかき集めて、それらしくまとめた本を、順番にひたすら読む。
前世では、自分が大聖女になるのだと信じて丸暗記していたわたしだから、これ以上勉強する必要がないし、今はその内容に引っかかるのだ。
神様に直にお会いしたわたしが言うのだから、間違いない。
これ、絶対、神様は言ってない!
神様の言葉なら「やあ、シャンドラちゃん、元気にやってる? 今度世界を壊したらデコピン百連発しちゃうからねー、でもそれ以外は楽しく暮らしていいよ!」って感じだ。
間違っても「汝ら迷える愛し子たちに、聖なる指標となる言葉を授けよう」なんてことは言わない。神様は神様としてのお仕事はきちんとやるし、せっせと神託を授けてくれて、いつもわたしたちを(ハラハラしながら)見守っているけれど、やたらに偉ぶったりしないし、「みんないい子だねー可愛いねー」とは言うだろうけど「我を崇め奉らん」なんて言わない。
そんなの聞いたらきっと「うわー、ダッサ!」と、鼻の頭に皺を寄せるだろう。
今日もいい天気だ。
窓から入る風はとても爽やかで……眠りを誘う……。
「シャンドラさん! 起きなさい!」
おう、驚いた!
ミリアム先生は瞬間移動ができたのかしら?
机の脇で、先生が眉を吊り上げていた。
「授業中に背筋を伸ばして白目を剥いて眠るのはやめなさい。その器用さを、どうして魔法に生かせないのですか?」
あら、一瞬で落ちてたのね。
「そんなにわたしの授業を受けたくないのなら、どうぞ廊下にお行きなさい」
「寮に帰ってもいいですか?」
「駄目です! しばらく廊下に立ってなさい!」
わたしが「はーい」と言って立ち上がると「『はい』は伸ばさない!」と、また叱られてしまった。
「そのように不真面目で聖句を覚えないのだから、ろくに魔法が使えないのです」
いや、丸暗記してるのよね。
「先生、それは違うと思いますよ。こんなのは神様の言葉じゃないから、いくら覚えても魔法には関係がないんじゃないかなって……」
「口ごたえは許しません! さっさと出て行きなさい」
「はーい」
「『はい』は」
「伸ばさない」
「シャンドラさん!」
また先生が怒鳴る前に、わたしはとっとと廊下に出て扉を閉めた。
「意味のない授業を受けるより、ここにいた方がましだわ」
授業の時間はそれぞれの学科でずれていることもあるので、廊下にはかなりの人通りがある。そして「あれ、また立たされてるの?」「君は授業の初日から立ってるよね、あははは」なんて声をかけられるので、とりあえず手を振って応えている。
聖女科のシャンドラ・リーベルトは、前世とは違った意味で有名人になりつつありますわ。
「シャンドラさん、お疲れ様ね」
くすくす笑うのは、騎士科のお姉様であるジェシカさんだ。
オレンジ色の髪をきりりと後ろで縛ったジェシカさんは、わたしと同じ赤い瞳だ。
二年生の彼女は、新入生ながら剣術に長けたルークに目をつけて、彼の主人である聖女科の美女とはどのような人物なのかと見に来たら……廊下に立たされる常連だった、というわけだ。
「授業はつまらないから、廊下の方が居心地がいいですわ」
「もったいないわね……騎士科に転科できればいいのに」
ジェシカさんはルークから、わたしも幼少時からメンダル師匠に鍛えられたことを聞き、聖女科にしておくのはもったいないとおっしゃるのだ。
「メンダル先生の鬼ごっこから長年生き残ってきた逸材を、廊下に立たせておくなんてね。国の決まりとはいえ、才能の無駄遣いだわ」
メンダル師匠、さっそく鬼ごっこをやってるんかい!
心の中で、全力の突っ込みを入れてしまったわ。
「わたしもそう思います。ミスリルの真剣を持って追いかけてくるメンダル師匠から、逃げ続けてきたあの日々を無駄にしたくありません」
「み、ミスリルの真剣を、ですって?」
「最初はナイフでしたけど」
「……今は訓練用の木剣を持って追いかけてくるのよ。それでもあんなに怖いのに……ええー、ミスリルの真剣は嫌だわー」
ジェシカさんは、ポケットからチョコレートキャラメルをひと粒取り出した。
「ほらこれ、美味しいからあげるわ。なんとか転科できないか、生徒会でも聞いてみるわね」
「わあ、ありがとうございます!」
おやつを貰って、大喜びである。
ジェシカさんは美人で剣が強くて優しい、素敵なお姉様である。おまけに、一年次から生徒会に所属している才媛なのだ。
わたしはジェシカさんを見送ると、さっそくチョコレートキャラメルを口の中に入れた。
「んー、美味しいわ」
もっきゅもっきゅと噛んで、口の中に甘く蕩けるキャラメルの味に酔いしれる。かなり大きなキャラメルなので、食べ応えがある。
騎士科の人は、激しい訓練でスタミナを消費するから、甘いおやつを持ち歩く人が多いのだ。この数日、廊下に立たされている時に、何人かの親切な先輩がおやつをくださって、その時に聞いた。
もっきゅもっきゅしていたら、急に教室の扉が開いた。
「……シャンドラさん!」
おやつがバレた。
そしてわたしは、放課後にお祈り室に行って聖句を書き写すという(これももうお馴染みの)罰を受けるのだった。




