23 ここから始まる青春ですのよ
タイタネル国立学院は全寮制で、学生は男女別の建物の中から好きなタイプの部屋を選ぶことができる。無料の部屋もあるし、毎年寮費を払うことになるが、お値段なりに豪華になる部屋まである。
あまり財政に余裕がない領地を持つ貴族はシンプルなひとり部屋や二間の部屋に入り、わたしのような大貴族の令嬢ともなると、侍女や使用人の部屋もついた豪華なスイートルームとなる。そこには専用の浴室や簡単な厨房も付いている。
わたしの部屋には、侍女のエマとお父様が手配してくださった王都のメイドがひとりつくことになった。リンダというこのメイドは、王都にあるリーベルトの別邸で働いていた身元の確かな者だそうだ。
基本的に食事は学院で用意してくれて、食堂に食べに行ってもいいし、部屋に運んでもらうこともできる。そちらは学生も教師も従者もメイドもみな無料だ。食事がよいとやる気が出るということで、国の大神殿から補助金が出ているらしい。
リリアンはあまり領地の広くないウィング男爵家の養女であり、男爵家には財政的な負担をかけたくないとのことなので、ひとり部屋に入る手続きをした。
ルークも男子寮のひとり部屋らしい。
ひとり部屋は無料でも、清潔なベッドや質のいい家具が置かれていて狭苦しくはなく、住み心地はよいとのことだ。
ちなみに学舎や大ホールなどは総合学部も学問研究部も一緒で、専門実習のための建物が別館として建てられている。
騎士科には鍛錬場や闘技場、魔法科には結界が張り巡らされた魔法練習場、そして聖女科と神官科にはそれぞれの小さな神殿だ。そこで光魔法を使って、将来のための修行を行うことになる。
ちなみに、神殿とは光魔法を使える聖女と神官がいて、教会には信心深いが光魔法の才はない神父様とシスターがいる。神様を信仰するのは同じだが、職務の内容が違う。けれど、どちらもこの国に大切なものだ。普通の人々に馴染み深いのが、各地にある教会である。わたしもかなりお世話になった。
エマがあらかじめ荷解きをしておいてくれたので、わたしはこれから四年間暮らすことになる部屋に行ってくつろいだ。と言っても、ベッドに大の字に寝転んだりはしない。
十五歳にもなると一人前の大人として扱われるし、社交界にデビューもできる。ただし、デビューしてしまうと本格的に大人の仲間入りということで、婚約がどうのという煩わしいことも多くなるので、学院に通っている者は学業優先ということで遅らせることが多い。
わたしはリーベルト家が用意した触り心地の良いソファに腰かけて、ティータイムの支度をするエマに言った。
「考えてみたら、ルークとリリアンが一緒じゃなくなるのは初めてよね」
ふたりとは夕食の時に合流する約束をしている。
リリアンはわたしの部屋に来たがったが、そのままこちらに入り浸りになりそうなので断った。子ども時代にはべったりと依存させて可愛がったが、そろそろ姉離れして歩んで行く練習をしなくてはならない。
ここでの生活の中で、リリアンに良き友人が見つけられたらいい。素直で人懐こいリリアンだから、心配はしていない。
低位の貴族の男性と再婚して子どもも生まれたというセーラ夫人とも和解をして、程よい距離で付き合いが始まったらしいし、あの子はもう大丈夫だと思う。
「お嬢様にはわたしがしっかりとお仕えいたしますから、ご安心くださいませ」
十八歳を迎えてすっかり大人の女性になったエマが、ティーカップにお茶を注いでくれる。こぽこぽと満ちる赤く透明なお茶を見ながら、わたしは「エマは、結婚しないの?」と尋ねた。
学院に入らずにすごす令嬢は、十五歳を過ぎるとさっさと結婚してしまうことも多いのだ。わたしの侍女をしてくれるのは助かるけれど、婚期を逃してしまったら申し訳ない。エマには前世も今世もとてもお世話になったから、そろそろわたしから解放されて自分の幸せをみつけてもらいたいのだ。
「お嬢様を置いて、結婚などいたしませんわ」
あらま。
「エマは独身主義? 結婚を強制するつもりはないのよ」
文武両道のエマは、知識も技術も一流なのだ。どこに行っても仕事には困らないし、彼女ならば王宮に就職することすら可能だと思われる。
「そういうわけでもございませんが。お嬢様のお側にお仕えしていられるなら、結婚してもしなくてもよろしいと思っております」
涼しい顔で、そんなことを言っている。
どれだけわたしのことが好きなの? と冗談を言いたくなるが、やめておいた。
「うーん、その条件を満たす夫を見つけるのは難しいと思うわよ」
「そうですわね」
淡いブルーの髪を後ろに結って、優しげな鳶色の瞳を持つエマは、美少女からとても美しい女性に育った。クラーク伯爵家の養女となり、我がリーベルト一族の後ろ盾がある彼女には、きっと縁談が山ほど届いているに違いない。
わたしも十五歳になって、お母様譲りの美貌にますます磨きがかかっているため、おそらくお父様のところに縁談がたくさん来ている筈だ。
わたしが「ええー、いやーん、シャンドラはお父様とずーっと一緒に暮らしたいから、お嫁になんて行かないわ。ね、いいでしょ?」と、こてこてに可愛らしくお願いしてあるから、すべてお断りされていると思う。
あ、婿を探されたらどうしよう?
『シャンドラ、お父様よりもイケメンでカッコよくて強くて賢くて身分も最高の男性じゃないと結婚したくなーい!』も付け加えておくべきだったわね。
プライドの高いリーベルト伯爵には、自分以上の男性など決して見つけられませんでしょうからね、おほほほほ。
ちなみに、わたしは独身主義者だ。
将来はひとり立ちして、リーベルト伯爵家から離れて生きていこうと考えている。
聖女としての才能はないから、どこかの教会のシスターになって、神様に祈りを捧げて過ごしたい。
だって、わたしは大罪人だもの。
人並みの幸せを求めてはならないのよ。
この世界の存続を確認しながらひっそりと生きて、ひっそりと死ぬの。
そうね、リリアンが無事に大聖女になったら、この世界にわたしはいらないわ。
「お嬢様、なにを考えていらっしゃるのですか?」
「なんでもないわ。将来に思いを馳せていただけよ」
「そうでございますか」
自分の分のお茶も用意したエマは、テーブルについて言った。
「信心深すぎるというのも考えものですわね。時折り、お嬢様が空気に溶け込んでしまうような気がいたしますわ。あまり神様の世界にお近づきにならないようにしてくださいませ」
エマの勘のよさには驚かされるわ。
夜になって鐘の合図があったので、食堂に向かった。
学生食堂は、広いカフェテリア方式(トレーに乗った料理を自分で持ってくるのだ)のカジュアルなテーブルと、レストランのように予約が必要なテーブルがある。テーブル席の場合は、各々が連れてきた使用人が食事をサービスすることになっている。
提供される料理はどちらも同じで、メンダル師匠によると「めっちゃくちゃ美味しいからね、すごく楽しみだね!」というレベルの味だ。
「おなかいっぱい食べてたくさん学ぶんだよ。俺もおなかいっぱい食べて本気で教えるからね!」と、師匠はとても張り切っていたから……騎士科の皆さま、ご愁傷様です。命だけは取られないと思いますけれどね、最初は魂が抜けそうになること請け合いです。
リーベルト家のテーブルが予約されていたので、そちらに向かうと、すでにリリアンとルークが席についていた。
「お待たせしてしまったかしら」
ルークに椅子を引いてもらってわたしとエマが席に着くと、メイドのリンダが食事をサービスしてくれる。
「ワインはいかがなさいますか?」
「けっこうよ。基本的に、学院ではお酒はいただかないことにするから、甘みのない飲み物を用意してちょうだい」
「承知いたしました」
前世では浴びるように飲んでいたお酒も、今回は断つことにする。
「特別な時間以外はお酒はやめておくつもりだけど、リリアンとルークは飲む?」
「不要です」
「いいえ、わたしも大丈夫ですよお姉様! お姉様に会えなくて寂しかったです」
さっそくリリアンから寂しい子ウサギアピールをされてしまった。ひとりで暮らした経験がないから、ひとりの部屋が不安なのかもしれない。
「リリアンには侍女がいないものね。誰か新たに侍女とメイドを手配して、あなたも大きな部屋に入れるようにしましょうか?」
「いいえ、いりません。お姉様以外の人では意味がないんです……」
上目遣いの子ウサギはあざといほど可愛い。
わたしは、可愛いよりも美しい寄りになってしまったから、愛らしさではリリアンに負けるわね。
美しさでは圧勝ですけどね!
「リリアン、そんなことを言っていたら駄目ですよ。もうすぐ大人の仲間入りをするのですから、きちんとなさいね」
「むうう」
わたしがお姉さん風を吹かせると、リリアンは唇を尖らせた。
前世と違って、感情をしっかりと表せる甘えん坊さんに育っている。
今思うと、リリアンがわたしに必死で食らいついて来たのは、義理の姉であるわたしに救いを求めていたのかもしれない。
あの頃のわたしは自分のことで精一杯で、幸せいっぱいに見えるリリアンのことが鬱陶しくて憎らしいという感情しか持てず、この子の心の中に抱えたものに気づかなかった。
神様に言わせると、それもわたしの罪なのかもしれない。
やり直してみて、初めて見えてくるものがたくさんあるのに驚かされる。
「ルーク、あなたの方はどう? 落ち着いた?」
「よい部屋をいただきましたよ」
余裕の笑みを浮かべるイケメンは、すでに女性からの視線を集めている。テーブル席にしておいてよかった。
「それならよかったわ。なにか足りないものがあったら、すぐに知らせなさいね。不足があって学業に支障があったらリーベルト伯爵家の名がすたりますからね」
「はい、よろしくお願いいたします。早く授業を受けたいものです……特に、剣技の」
見た目は大人になったけれど、瞳の中にはまだ少年のルークがいた。不意に懐かしさを感じて、少しだけ胸が痛くなった。
もう、一緒に木登りしていた頃には戻れないのだ。
宝物のように輝く、子どもの頃の想い出。
気持ちを切り替えるように背筋を伸ばして言った。
「あのねルーク、お手柔らかにね? 同級生をやたらに叩きのめしてはいけませんよ」
「大丈夫ですよ、殺し合いのその先に友情が芽生えるものだとメンダル師匠に教えられましたから、ちゃんと半殺しにとどめます」
「え、待って、大丈夫? それ、間違ってない?」
師匠はたくさんのことをわたしたちに教えてくれたから、感謝し、尊敬もしているけれど……そこには巧妙に隠された『非常識』があったりするから、気をつけなければならないのだ。




