20 幼年期の終わり
リリアンが、魔法洗礼を行わないのに癒しの魔法を発動した件については、お父様が公にせずに話を収めるように尽力してくれたので助かった。
まだ幼いリリアンが過剰にちやほやされて、せっかくの子ウサギが女狐にでもなってしまったら、神様に叱られるのはわたしなのだ。
気をよくして「さすがはわたしのお父様ですわ、大変よくできました」と頭を撫でながら笑顔で褒めたら「親を上から目線で褒めるのはよくないよ」と注意されてしまった。
「わたしはシャンドラの僕にはならないからね」
「まあっ、なんてことをおっしゃるのですか? わたしのように奥ゆかしくて地味で可憐な白い花のような幼女が、他人を僕扱いするなどといった非道な真似などいたしませんわよ」
「うん、無自覚だったんだね」
解せない。
「だが、頭を撫でるのは許す」
ますます解せない。
わたしとリリアンも連れられて行った教会との話し合いの結果、「これはもしかすると、シャンドラ・リーベルト嬢の信仰心が大変篤いために、特別に起きた奇跡なのではないか」という結論になった。
どうやら教会側も、七歳の頃から自分の意思でせっせと教会に通って、毎回お小遣いからけっこうな額の寄付をして、おまけに教会が運営している孤児院にも(『自分の誕生日プレゼントはいらないから』と親に頼んで)寄付をして、事あるごとに神様に祈りを捧げているわたしのことを、ただの幼女ではないと見抜いていたようだ。
「大人でも、ここまでの信仰心を持つ方は少ないのです。シャンドラお嬢様は素晴らしいお方なので、神様も特に気になさっておいでなのでしょう」と神父様は言っていた。
わたしのことを特に気になさっているのは確かなのだが……少し意味が違う。わたしがまた世界を破壊するのではないかと、天から目を光らせていらっしゃるのが事実である。
「二年後、十二歳になればリリアンお嬢様の才についてのすべてがわかりますので、ここは穏便に済ませましょう」ということになり、『天才聖女現る!』とせずに国の大教会へ内々で報告するだけにしてくれた。
「シャンドラお嬢様、お命が助かってよかったですね」
顔馴染みの神父様が、微笑みながら声をかけてくれた。
「危険な行動をしてしまったのは、反省する必要がありますが……他人のためにその身を犠牲にできる素晴らしい魂をお待ちであることを、神様はよくご存知だと思いますよ。でも、お嬢様の命もかけがえのないものですから、大切になさってくださいね。お嬢様になにかあったら、わたしも悲しく思います」
さすがは神父様である。愛が深い。
不覚にも、うるっときてしまった。
「ありがとうございます、神父様。たくさんの人に叱られましたし、わたしの今回の行動はうかつだったと反省しています。神様に助けていただいたこの身で、もっと有意義な人生を生きられるように、これからはさらに精進していきたいと思っています」
「ご立派です。お嬢様は小さな聖女ですね」
初老の神父様が、まるで孫を愛でるように頭を撫でてくれたので、わたしは嬉しくなった。
「いいえ、とんでもないです! わたしなんて、教会のすみっこでひっそりとお祈りをさせていただくだけの、ただの幼女ですから。聖女というのは、わたしを治してくれたリリアンみたいな子のことを言うと思います」
聖女という肩書きを、リリアンにパスして逃げる。
すると神父様は、わたしの腕にしがみつきながら話を聞いていたリリアンの頭も撫でて「リリアンお嬢様もご立派でしたね」と褒めて、リリアンは顔を赤くした。
「シャンドラお嬢様は奥ゆかしい方です。けれど、神様はすべてお見通しでいらっしゃいますからね」
「神様がいつも見守ってくださることは、よく知っています。本当にありがたいことです」
わたしの言葉を聞いた神父様は「信仰心が篤くて、本当に素晴らしいお嬢様ですね」と満足そうだった。
白い世界で神様におひざ抱っこしてもらって、おでこにちゅーしてもらったことは、内緒にしておこうと思った。
このように、十歳の時にひと山あったけれど、あとは平穏な日々が過ぎた。
メンダル師匠の訓練は、わたしとリリアンは体力作りの前半だけ参加するようになり、後半はルークとエマがかなり本気の訓練を行った。
騎士志望のルークはわかるけれど、なぜエマがと不思議に思ったのだが、聞いても笑って流されてしまう。
そして、エマが十五歳になった時に、子爵家から抜けてリーベルト関連のクラーク家(リリアンの父親であるジルベールが子息だった、あの分家だ)の養女となった。
エマは、子爵家ではあまりよい扱いを受けていなかったそうで、その話が決まってとても清々しい表情をしていたから、よかったと思う。
考えてみたら、わたしの侍女となってから一度も実家に帰らないというのは、おかしな話だ。
まあ、人にはそれぞれの事情があるのだろう。
わたしの事情は半端なく大きいので、人様の事情までを肩に背負うつもりはない。
そして、ルークなのだが。
死にかけ事件のあとから、彼は変わった。
身体もぐんぐん成長して、十二歳になった時には背が高いお父様にもう少しで届きそうなくらいに大きくなったのには驚いた。身体にも筋肉がついて、一気に子どもから少年へと駆け抜けてしまった。
わたしもいくらかは育って、女性らしい身体つきになってきたけれど、ルークの育ちっぷりは反則だと思う。
それから彼はなんとなく、よそよそしくなったというか……まるで大人のようにわたしの行動に目を光らせるようになった。
常に自分のことを『わたし』と呼ぶようになり、執事兼護衛としての立場に忠実になった。
俺じゃなくてわたしでしょ、という注意は、もう二度とわたしの口から出ないだろう。
エリザベス夫人にそのことをこぼすと、笑いながら「楽しい子ども時代は終わったのですよ」と言われて、寂しい気持ちになった。
「なんだかつまらないわ。いつまでも仲良く暮らしていきたいのに」
「シャンドラ様は伯爵令嬢であり、リリアン様は男爵令嬢。エマ様もクラーク伯爵令嬢におなりでございます。ルークは、亡くなったご両親は名の知れた商会の経営をなさっていたようですが、平民なのですよ。まあ、騎士として認められれば貴族と同じ扱いになりますし、将来は間違いなくそうなると思いますが、今のところは身分が違うのです。彼はとても賢いので、わきまえているのでしょう」
「子どもではなくなると、身分を考えた振る舞いをしなくてはならないのですわね」
「本当は、子どもでも、淑女は淑女の振る舞いをすべきなのですよ? それを、お嬢様は……」
そこからはエリザベス夫人のいつものお小言なので、割愛させていただく。
日々は過ぎ、わたし、リリアン、ルークの三人は十二歳になったので、街の教会で魔法洗礼を受けることになった。
エマも十二になった時に受けたのだが、魔法の才は備わっていなかったとのことだ。貴族でも、全員が魔法を使えるというものではないし、使えても手品くらいの小さなものであることが多い。
その中で優れた者が、タイタネル国立学院の総合学部に進学を許されて、光魔法の才がある者は聖女科、または神官科に進むことになる。
本音を言うと、わたしはなるべく『聖女』と名のつくものから離れていたい。だから、聖女科には進みたくない。できれば騎士科か魔法科に進みたい。
わたしは魔力を全身にまとえるので、身体強化ができる。これは剣士としてかなりの強みになる筈だ。また、魔力が強いので、魔法科に行って研究者になることもできる筈だ。
攻撃魔法は研究したくないけれどね。
だが、光魔法を使えるものはとても少なく、聖女科にはタイタネル全土から有望な女子が集まるのだが、それでも毎年十人程度しか入学しないほどなので、ほぼ強制的に全員が聖女科に入れられてしまうのだ。
前世のわたしは癒しの魔法も浄化の魔法も苦手で、聖水なんて一滴も生成できないほどに才能がなかったから、聖女科に進んだら、また落ちこぼれるのは目に見えている。
でも、そんな試練も一度闇聖女となってしまったわたしへの罰なのだと思うから、これはもう仕方ないから、甘んじて聖女科への進学を受け入れようと……あああああ、やだやだ、ちょー行きたくないわ!
くっそつまんないんだもん!
とにかく、わたしたち子ども三人と、護衛のメンダル師匠と、保護者のお父様が馬車に乗り、街の教会にやってきた。
メンダル師匠はルークとエマのことを弟子だと公言している。
わたしとリリアンは、あくまで『体力作りに参加するお嬢様』というくくりだ。
将来、結婚する時に不利になるからかしら? エリザベス夫人の言う「淑女の嗜みの範囲内で」っていうやつね。リリアンなんて棒を持たせたら、撲殺子ウサギですものね……。
最近は、地獄の鬼ごっこをすることもなくなり、わたしたちは淑女教育として、新たにやってくるようになった先生にダンスやお茶会の作法などを習っている。
リーベルトの関係する家での、練習のための『子どもお茶会』にも参加した。
おほほほという会話に飽きて鬼ごっこを始めたら「ドレスを着て駆け回る令嬢がどこにいますか! 首謀者は、やっぱりシャンドラお嬢様ですわね!」と、エリザベス夫人にめっちゃ叱られた。
夫人だって、ドレスを翻してわたしを追いかけ回して首根っこをつかんだくせに。
大人はずるいわ。
ちなみにエマは、忙しいスケジュールをよくこなすと感心するが、メンダル師匠の厳しい訓練も淑女教育も両方行なっている。
戦うお嬢様になって、どうするつもりなのかしら? もしかすると、そのうち学院の騎士科に入るのかしら?
でも、エマが身につけているのは、どう見ても暗殺技術とか隠密の技なのよね。
あいかわらずエマの目指すものがわからないわ。
以前お父様から「エマは、シャンドラの忠実な侍女として一生生きるらしいよ。よかったね」と囁かれたことがあるから、なにかふたりの間に密約がありそうだ。
それはともかく、魔法洗礼だが。
「ようこそいらっしゃいました。シャンドラお嬢様、リリアンお嬢様、そしてルークくん、十二歳おめでとうございます」
生まれた時からにこやかなおじいさんだったのかしら? と思うほど、何年経っても変わらない初老の神父様が、わたしたちを出迎えてくれた。
「おひとりずつ、奥にある特別な祈り場に入って祈りを捧げていきます。さっそくですが、シャンドラお嬢様からどうぞ」
「はい。よろしくお願いいたします」
この奥は、普段は聖職者しか入れない特別な部屋になっている。
神託もそこで下されるとのことだから、もしかしたら神様とお話ができるのかもしれない。
聖女科に入学したら、どこにいても神様の声が聞こえるようになるのかしら?
大聖女になりたくはないけれど、厳しいけれど優しい神様とお話ができるようになりたいわ。




