2 では、やり直しますわね
「お嬢様! しっかりなさってくださいませ!」
「早く、お医者様を!」
「まさか空からこんなに大きな木の実が降ってくるなんて」
「石飛礫のように固い殼だ。こんなものが頭に落ちてきたら……ひとたまりもないな」
わたしの周りで、誰かが騒いでいる。
頭が痛い。
思いきり拳骨で殴られたような痛み方に、わたしは泣きそうになる。
「いたたた、痛いよう……わあ、これは見事なたんこぶだわ」
わたしが手で頭を触り、ぷっくりしたこぶを確認して痛みで「ぎゃっ」と叫ぶと、「ああ、お嬢様、お気がつかれましたか! よかったですわ」とホッとしたような声がした。
目を開けると、青空が見えた。
たんこぶを作ってひっくり返ったわたしは、どうやら若い女性に抱き上げられているところらしい。
「……ここはどこかしら」
ズキズキする頭のことがなければ、爽やかな風が花の芳しい香りを運ぶ、気持ちのよい場所である。
「ご自宅の庭園でございますよ、シャンドラ様」
庭園……そうだわ。ここは我が屋敷が誇る、国中から集められた植物が美しく育てられている庭園だった。
「お嬢様がお散歩をなさっていたら、巨大な鳥が飛んできて、お嬢様の頭に木の実を落として去って行ったのです」
「……それは……とても不運な事故ね」
鳥が木の実を落とした?
それがわたしの頭に見事に命中して、たんこぶを作ったと。
果たして単なる事故なのだろうか?
だって、その衝撃で、わたしことシャンドラ・リーベルト六歳が闇聖女から転生して、もう一度人生をやり直している最中であることを思い出したのよ。
その怪しい鳥に、誰かさんの意思を感じるわ。
「お嬢様、申し訳ございませんでした! このエマが身代わりに、木の実に打たれるべきでございましたのに……」
煉瓦敷きの遊歩道に座り込んで、半泣きでわたしを横抱きにする幼い侍女……そう、この子はエマだわ。わたしのみっつ上の、子爵家の令嬢だったかしら?
一年前に母を亡くしてすっかり荒れてしまい、わがまま放題だったわたしのお世話係としてエマは雇われた。
そして、横暴なわたしにかなり苦労させられたのよね……ごめんなさいね、エマ。
神様のお陰で『反省する心』を手に入れたわたしは、罪滅ぼしの意味も込めて彼女に笑いかけた。
「大丈夫よ、エマ。こんなのなんてことないから、心配しないで。あなたの頭に当たらなくてよかったわ」
身体は六歳、中身は十七歳のわたしは、青い顔で涙ぐむ九歳の侍女に言った。
わたしの言葉を聞いた彼女はぽかんと口を開けて、それから「ひいっ!」と悲鳴をあげてめちゃくちゃ驚いた顔でわたしを見た。
「た……大変です、早く、早くお医者様を! お嬢様の頭の中が壊れてしまったのかもしれません!」
ちょっと、それ、酷いわ!
ムッとしたわたしは、なぜだか激しく動揺しているエマと、同じく恐ろしい怪物にでもあったかのような顔でわたしを見ている人々の手で自室に運ばれて、全身をくまなくお医者様に診療してもらったのであった。
「特に異常は見当たりません。こぶを冷やして三日ほど安静にして、栄養のあるものを食べてください。おやつの食べ過ぎはいけませんよ。この薬を朝晩塗ると、痛みと腫れが治ります」
お医者様はそう言って、こぶに薬を塗って帰って行った。緑色の塗り薬はハーブのよい香りがして、塗ってしばらくするとほとんど痛みが気にならなかった。
触ると痛いけれどね。
「ほら、エマ、わたしはどこも悪くないでしょう」
疑い深そうな目でわたしを見る美少女侍女(淡いブルーの髪に鳶色の瞳をしたエマは、整った顔立ちをしている)に向かって、わたしはドヤ顔(これは神様がやっていたものだ。気に入ったので真似をさせていただきます)で言った。
「わかったなら、さっさとわたしに美味しいおやつを持っていらっしゃい!」
「お嬢様、先ほどお医者様におやつの食べ過ぎはいけないと……あら、すっかり元のお嬢様に戻りましたわね。よかったです」
エマはほっとした表情で言った。
「なんなのよそれは。わたしはなにか変なことを言ったとでも?」
「変なことというか……お嬢様はわたしに向かって労いの言葉をかけてくださったではありませんか」
「そうだったかしら……」
「あなたの頭に当たらなくてよかった、とかなんとか」
「あっ、確かに言ったわね」
「お嬢様なら『この可愛いわたしでなく、あなたの頭に当たればよかったのに』と言う筈です」
「ええっ、ひどっ、そんなこと言うわけが」
「そして、八つ当たりするために、わたしへ投げつけるために石を拾ったりした筈」
「やだ、そんな……ことを、したかも、しれないかしら、ええ……いやいや、さすがに女の子に向かって石は投げないと思うけどね!」
そう、前世のシャンドラは優しい母を亡くして以来、わがままで傲慢で高飛車で自分勝手な幼女になってしまったので、八つ当たりでそれくらいのことは言っていたと思う。
けれど。今は違う!
神様に羞恥拷問……ではなく、丁寧な教育的指導を受けたわたしは、今度は身勝手ではた迷惑な闇聖女になどならないと深く心に誓っているのだから。
「あのね、エマ。頭脳明晰で魅力溢れる天才的な美幼女のわたしは気づいたの。もう愚かな振る舞いはしません。これからはこの可愛い外見にふさわしい、天使の如き愛に満ちたシャンドラ・リーベルトになるわ。だから、エマも誇りを持ってわたしに仕えるのですよ」
「……そんなこと、信じられませんと言いたいところですが……言葉の端々から溢れる残念さで、やっぱりお嬢様はお嬢様なのだとよく分かりました。なんというか、これからはそういう遊びをするのですね?」
「違うわよ、遊びではなくて、わたしの生き方! 新生シャンドラ・リーベルトの生き様をご覧なさいって言っているのよ」
「シャンドラ様は、難しい言葉をお使いになるのですね……わかりましたわ。どこかでそれを覚えてきたので、『新しい生き様』という遊びをしたくなったのですね。なるほど、それならばどこまでもお供いたしますわ」
賢い九歳の侍女だけれど、エマは勘違いしまくっている。
「エマ……ふわぁ……」
違うのよ、と言いたかったけれど、六歳児の体力がもたなかったので、わたしは大あくびをしてそのままお昼寝に突入するのであった。